柔軟剤にご注意を。匂いを気にしすぎる社会に思う
パートナーに「口が匂うよ」「歯医者行きな」と指摘された。パートナーは誰もそんなこと、あんたにはダイレクトには言わないでしょ?だからわたしが教えてあげたのというスタンス。確かに一理ある。それでも指摘されるのは嫌なものです。救われるのは、毎回ではないこと。やはり疲れているときや前日飲酒したときに口臭が出るらしい。「らしい」というのは、指摘されないと自分ではわからないから。
いまの社会では、「臭い」は単なる不快感を超えて、ほとんどマナー違反、場合によっては社会悪のように扱われるようになった。汗のにおい、加齢臭、食べ物のにおい、部屋干し臭。人はそれぞれ生活しているのだから、多少のにおいが出るのは当たり前なのに、私たちはいつの間にか「他人に一切におわせてはいけない」という、なかなか過酷なルールの中で暮らしている。
その結果、無臭であることが清潔の証のようになり、さらに一歩進んで「よい香り」をまとえば安心、という発想が広がった。そこで登場するのが、香りの強い柔軟剤である。柔軟剤は本来、衣類の風合いを柔らかく保ち、静電気を防ぐための補助的な製品だが、2000年代後半以降、香りを前面に出した商品が増え、いまでは洗濯物に香りを残すこと自体がひとつの価値になった。国民生活センターも、柔軟仕上げ剤の香りに関する相談が継続して寄せられていることを公表しており、2014年度以降2020年1月末までに928件、そのうち594件が「危害があった」という申し出だったとしている。(国民生活センター) つまり、柔軟材の香りがよすぎて、頭が痛くなるというものらしい!!!柔軟剤で頭痛がする「化学物質過敏症」という病気もあるらしいのだ。しかも、爆増しているらしい。
もちろん、香りで体調を崩す人の存在を軽く見てはいけない。消費者庁など5省庁の啓発ポスターでも、柔軟剤などの香りで頭痛や吐き気がするという相談があること、香りの感じ方には個人差があること、使用量や周囲への配慮が必要であることが呼びかけられている。 皮膚科領域でも、香料は接触皮膚炎の原因になり得るし、米国皮膚科学会は、香り付き柔軟剤や乾燥機用シートが刺激につながる場合があると説明している。(皮膚科学のアメリカ学会)
ただし、ここで少し立ち止まりたい。人間の嗅覚は、実はかなり「慣れる」感覚でもある。同じにおいにさらされ続けると、そのにおいの強さはしだいに感じにくくなる。嗅覚順応の研究では、継続的・反復的なにおいへの曝露によって知覚される強度が下がることが示されており、短時間の曝露でも強度の低下が起こると報告されている。(スプリンガーリンク) つまり、理屈の上では、相手が少し臭いとしても、しばらくすれば鼻はある程度なじむ。昔の社会は、今よりもこの「鼻が勝手に慣れる力」に多くを任せていたのかもしれない。
いや、わたしの子供のときは、どっぽん便所だった。いや、ぼっとん便所だったかな。要するに異常に匂う汲み取り式トイレだ。そういう時代に口臭っていうやつはいなかったかな。貧乏な家はトイレットペーパーもなく、新聞折り込みの広告用紙を使っていたぞ。確か。昔の広告用紙は裏が白紙だったから、裏紙としてみな重宝していたものだ。
けれど、現代人のつらいところは、鼻より先に心が慣れないことだ。
「臭いかもしれない」
「迷惑と思われるかもしれない」
「この香りでまた具合が悪くなるかもしれない」
そう考え始めると、においは単なる感覚ではなく、不安のスイッチになる。においを消そうとする努力が、別の強い香りを生み、その香りを避けようとする努力が、さらに過敏さを広げていく。清潔を求めたはずなのに、社会全体がにおいに対して神経質になりすぎる。これは、ある意味でとても現代的な不健康さだと思う。
化学物質過敏症についても、症状に苦しむ人がいる一方で、診断方法や治療法は確立されておらず、化学物質や香料との因果関係、発生メカニズムには未解明の部分が多いと行政情報でも説明されている。だからこそ必要なのは、「気にしすぎ」と切り捨てることでも、「香りはすべて悪」と決めつけることでもない。(文京区公式サイト)
柔軟剤は、生活に必須のものではない。使うなら少量でいい。強い香りを長く残す必要もない。とくに学校、職場、電車、病院、集合住宅のように他人との距離が近い場所では、自分にとって快適な香りが、誰かにとっては負担になることを忘れないほうがいい。
一方で、他人のわずかな体臭や生活臭まで徹底的に許せなくなる社会も、決して健やかではない。においは本来、人間が生きている証でもある。多少の不快は、鼻がやがて慣れる。どうしても無理な人には配慮がいる。けれど、誰もが完璧に無臭でなければならない社会は、清潔というより、少し息苦しい。
柔軟剤に注意することは大切だ。同時に、「においを恐れすぎる時代」にも注意したいものだ。
