5人の写真家たち(2)
ちょっとした実験のつもりが私自身のアートへの思いを見詰める機会になった名写真家風イラスト生成。今回は、ヨゼフ・クーデルカと土門拳、そして、前回のブレッソン、サルガド、バーク=ホワイトを含めた5人を通しての振り返りです。見出し番号は、前回(1)から通しです。
前回はこちら:
4.ヨゼフ・クーデルカ
ブレッソン、サルガド、バーク=ホワイトと3人が出そろったところで、投稿しようかと思ったのですが、投稿する・しないに関係なく、ChatGPT から名前が挙がった写真家には全員トライしたい気分になって、ヨゼフ・クーデルカ風をChatGPTにお願いしました。この写真家も、セバスチアン・サルガドと同じく、私には初見の写真家です。
生成されたのが、次のイラストです。

あれ、なんだかシックリきません。そこで、私の率直な感想をChatGPTに送ってみました。
4-1.私の感想
ちょっと笑顔がマッチしていない感じです、彼女がもう少しシリアスな表情の方が合うでしょうか?
4-2.ChatGPT、クーデルカを語る
《引用はじめ》ーーーーーーーーーー
その通りだと思います。
実は、私も生成画像を見た瞬間に同じことを感じました。クーデルカの世界では、笑顔は非常に珍しいのです。
彼の写真に登場する人々は、
*遠くを見つめる
*少し疲れている
*考え込んでいる
*ただ立っている
ことが多く、「喜怒哀楽を見せる」というより、存在そのものを写しています。
今回のKamenoさんの画像では、女性は笑顔です。背景は
「人間は広大な世界の中を歩いている」
というクーデルカらしい世界なのに、女性だけが
「旅行の記念写真です」
と言っているように見える。
この温度差が違和感になります。
《引用、いったん中断》ーーーーー
【ここでKamenoツッコミ】
ユーザーに寄り添う(と言われている)AIにしては、「ミスマッチで『旅の記念写真』に見える」とは、ずいぶんな物言いです。
確かに、元画像では、笑顔の女性の背景が大自然です。ですが、その背景をクーデルカに寄せて描き直したのはChatGPTじゃないですか。つまり、ChatGPTが、女性とマッチしない背景にしたんですよ。
それでいて、「すみません」の一言もなしに、「旅の記念写真」……ですか! まったくその通りであるだけに、余計、腹が立ちます。
《引用、再開》ーーーーーーーーーー
私ならこうします。
口はほぼ水平。ほんの少しだけ柔らかい。目はカメラを見るのでなく、遠くを見る。風に髪が流れる。カメラは「趣味」ではなく、旅の道具という存在になる。
Kamenoさんが最近描いている女性は
*少し笑う
*優しい
*人生を受け入れている
という表情が多いですよね。
それはワイエスやサルガドとは相性がいい。
しかし、クーデルカは
●もっと孤独
です。
希望がないわけではありませんん。むしろ
●希望も絶望も超えて、ただそこに生きている。
そんな静けさがあります。
《引用おわり》ーーーーーーーーーー
ChatGPTが改善(?)案を出してくれましたが、私はすっかり拗ねてしまって、再トライはしませんでした。
ここで、これまで外国の写真家ばかりを取り上げてきたことに気づきました。我が母国、日本の写真家にも登場いただきたい。
……そこで、思いだしたのが、土門拳です。彼の写真は、目にしたことがあります。ちょっと「重くて暗い」という印象を受けましたが、嫌いではありません。そこで、クーデルカの改善は飛ばして、土門拳風を頼むことにしました。
5.土門拳
出来てきたのが、次のイラストです。

これは気に入りました。と同時に、やはり「重い」と感じました。
そこで、私の感想をChatGPTに伝えました。
5-1.Kameno、日本の映像作家を語る
私は、生意気に、恐れ知らずに、次の独断と偏見を語りました。相手がAIだと、感情的な反発を受ける恐れがないので、思いきったことを言いやすいですね。
あ、感じが出ています。彼、ちょっと重いんですよね。「日本的重さ」って言うんですか? 黒澤明、溝口健二、小林一樹の映画みたいな。でも、この写真、悪くないと思います。
小林一樹は、小林正樹 の間違いです。自分が大好きな映画監督の名前を失念するとは...…
5-3.ChatGPT、土門拳を語る
《引用はじめ》ーーーーーーーーーー
ええ、まさに「日本的な重さ」という表現がよく合います。
土門拳の重さは、単に暗部が深いとか、人物が笑わないというだけではなく、土地、歴史、生活が人の身体に蓄積している感じなのだと思います。
人物を軽やかな一瞬として切り取らず、そこに背負っているものまで写そうとする。そのため、画面に逃げ場が少なく、見る側にも真正面から向き合うことを求めます。
今回の画像では、五重塔や古い町並みが少しそれと分かりやす過ぎる気配はあります。それでも、
●笑顔を消した口元
●画面外へ向いた視線
●黒く沈む木造壁
●背後を歩く傘の人物
●女性と背景の近い距離感
が効いていて、単なる「京都旅行の写真」にはあんっていません。女性が観光客というより、何かを目撃し、撮るべきか考えている写真家に見えます。
《引用おわり》ーーーーーーーーーー
5-4.ChatGPT、映画監督を語る
《引用はじめ》ーーーーーーーーー
黒澤明には、激しい天候や暗い明暗によって人間の意志を彫刻するような重さがあります。
溝口健二には、人物が社会や歴史の中から容易に逃げられない重さがあります。
そして、おそらく「小林一樹」は小林正樹のことだと思いますが、彼には制度や倫理が人間を押しつぶすような、冷厳な重さがあります。
土門拳の写真にも、それらと共通する戦後日本の感覚が確かにあります。
《引用おわり》ーーーーーーーーーー
小林正樹の作品に現れている冷厳な重さについては、
橋本 健史|note さんが小林の『上意討ち 拝領妻始末』について書かれたエッセイの中で、次のように表現していらっしゃいます。
強大な組織、理不尽な権力に孤立無援で立ち向かい、そして無慈悲に踏みにじられる個、その「異様に凄まじい怨念」
橋本さんの記事はこちらです:
橋本さんのこちらの記事も、小林正樹に触れていて、感銘を受けました。
『切腹』については、ジャスミン眞理子|note さんが、主演の仲代達矢および他の俳優陣の名演技を通してこの作品の素晴らしさを語ってくださっています。こちらの記事です。
6.振り返り
最後に、今回の経験の振り返っての感想を記します。
6-1.自分を見つめる機会になった
これは記事の初めにも書きましたが、5人の写真家と私の元イラストとの相性を通して、「私が写真とイラストに何を求めているか?」があぶり出されてきたと感じています。
私は、
①生活と活動の中にある人物を描きたい
②温かさと「ネアカさ」がある人物を描きたい
のです。
①について、ブレッソンとバーク=ホワイトと親和性があり、②にについてサルガドとバーク=ホワイトと親和性があるのだと思います。
そして、この2つは、どちらも
※人間を描く時は、理知にも情にも流されず、楽観も悲観もせず、命の根っこに忠実でへこたれない人物を描きたい
という私の方向性から来ていると思います。
生活感のある人物を描きたいという意味では土門拳とも共通する部分がある気はしますが、私は「重い」感じは、ちょっと苦手です。
かといって、軽やかさが好きなわけではありません。
私の中には、
※生命は滞ることなく変化し続け、流れていくものだ
という感覚があるのだと思います。
ですから、セザンヌは好きだけれども、あのスキのない構成の仕方は苦手です。小林正樹の映画は大好きですが、やはりスキがなくガチッと構造化されている感じがして、重いと感じます。
私のこの感覚は、Xのプロフィールに固定しているこの投稿で記した感覚と通じている気がします。

この写真は、私の作品ではありません。次の方の著作権フリー写真を使わせていただいています。
https://pixabay.com/ja/users/sonyuser-11407366/
6-2.ChatGPTとのこれまでの積み重ねを感じた
今回、ChatGPTとずいぶん対話しました。ここでは抜粋しなかった対話が大量にあります。
それを通して思ったのは、ChatGPTでイラスト生成を始めてから約1年の間に、ChatGPT との相互理解がずいぶん進んだということです。相互理解と書きましたが、私の方で進んだのは、「どういう風にお願いしたら、私の意図が通じやすいか」という実用レベルの理解であるのに対して、ChatGPT の方は、私の作風や好みを実によく覚えてくれていると感じました。
それはありがたいことであると同時に、ChatGPTが私に提案してきてくれる内容は「過去の私」に立脚しているため、私をそこに縛り付ける危険もあるということだと思います。
ChatGPTは私の良き相棒ですが、これからも緊張感をもって、操られ過ぎないように接していきたいと思います。
6-3.5作品の振り返り
最後に、今回生成した5作品全部をXに投降した際のキャプションつきで紹介して、この記事を締めくくりたいと思います。
6-3-1.瞬間を切り撮るアンリ・カルティエ・ブレッソン

6-3-2.世界を写すセバスチアン・サルガド

6-3-3.「働く」を撮るマーガレット・バーク・ホワイト

6-3-4.人生の旅を撮るヨゼフ・クーデルカ

6-3-5.存在を焼き付ける土門拳

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
