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【独り言】noteの、面白いところ。(#008)

問いのとなりで、独り言。

小さな独り言を、ただ、そっと。

読まずに通り過ぎても、大丈夫。
よければ、少しだけ耳を澄ませてみてください🌿



noteの面白いところは──

読者の姿が、少しだけ見えることだと思う。


スキやフォローをしてくれる人。

コメントやチップを届けてくれる人。

有料記事を買ってくれる人や、
メンバーシップに入ってくれる人。


書いたものに対して、
いろいろな形で「返事」が届く。


それはやっぱり──
うれしい。


けれど。

見えているのは、
きっと、ほんの一部だ。


毎回読んでいても、
スキは押さない。


更新を楽しみにしていても、
フォローはしない。


過去の記事まで読んでいても、
コメントは残さない。


そんなふうに──

何の反応も残さず、
実は、かなり好きで読んでいる人も、
どこかにいるのかもしれない。


数字が見えると──

数字にならない気持ちまで、
ゼロに見えてしまうことがある。


けれど。

反応がないことと、
何も感じていないことは、
きっと同じではない。


考えてみれば──
私自身も、そうだった。


好きな著者がいても、
本人に感想を伝えたことは、ほとんどない。


何度も読み返している本があっても、
レビューを書いていないものばかり。


長く聴き続けている曲があっても、
ファンクラブに入ったり、
つくり手に思いを伝えたりしたことはない。


それでも──

その作品は、
私の生活のどこかに残っている。


作り手は、
私のことを知らない。


私が、どの言葉で立ち止まり、
どの場面を何度も思い出したのかも知らない。


それでも、作品との関係は、
私の中で静かに続いている。


本や音楽、映画にも、
売上や再生数といった数字は残る。

noteにも、ビューという数字がある。


けれど──

どこまで読み、
何を感じ、
その言葉がどこに残ったのか。


そこまでは、わからない。


noteは、読者が見える場所というより──

読者が、
少しだけ見える場所なのかもしれない。


言葉を届けてくれる人もいれば、
何も言わずに、
そっとページを閉じる人もいる。


本当に、そんな読者がいるのかは、
わからない。

でも、いないとも言い切れない。


そのくらいの曖昧さが、
noteには、ちょうどいいのかもしれない。


そんなnoteを、
私は少なくとも10年くらいは続けたいと思っている。


文章は、
今よりも上手になっていたい。


書くものも、
考えていることも、
きっと少しずつ変わっていくのだと思う。


それでも、10年後。


始めた頃の記事までさかのぼった誰かに──

「土方さんって、
昔から、何も変わっていないんですね」


そんなふうに言ってもらえたら、
たぶん、少しうれしい。


同じようなところで立ち止まり、
同じように言葉を探し、
そこに、そっと問いを置いてみる。


書くものが変わっても、
その姿勢だけは、変えずにいたいと思う。


その言葉を届けてくれるのが、
10年後に初めて私を知る人なのか。


それとも、
今は何の反応も残さず、
どこかで、そっと読んでいる人なのか。


それも、今の私にはわからない。


見えている読者とも。

まだ、見えていない読者とも。


ゆっくり時間を重ねていける。


そんな未来を勝手に想像できるのも──

私にとっての、
noteの面白いところなのだと思う。





最後までお読みくださり、ありがとうございます。

また、となりで言葉をこぼせたら──
静かな日々を、あなたにも🌱


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土方 翔 (Kakeru Hijikata) あなたの共感が、私にとって何よりの対話です。 もしそう感じていただけたら、小さな応援をいただけたら幸いです。