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他責と思考の境界線

他責思考は良くないと思うし、そう伝えている。
自分に矢印を向けるようにと。

ただ、それができていないことも多いようだ。
そこは素直に反省。

ただ、ほんとに単なる他責になってるケースもあるけど、そうではないことも結構あると自分の中では考えている。

例えば、自分の言動に対して、家族からツッコミを入れられたときの僕の反応に対して、他責だと捉えられることがある。

僕としては、自分のせいじゃないとか、あなたのせいだとか、そういうことを言っているわけではない。
単に、ほんとに、僕自身が、その刹那の瞬間に巡らせた思考回路を説明しているだけ。
しかも、独り言のようなイメージで。

自分が他者の些細な言動を察知して、それに対して反応しただけ。自分自身の言動の背景で働いた思考プロセスを説明しているだけ。

決して、他者の言動に対して、あーだこーだ言っている訳ではない。
だけど、あまり伝わらない。

これは屁理屈なのか?どうなのか?
微妙なところかもしれない。
けど、全てを他責だと言われると心外だな、とも思ったりもする。

こればっかりは、説明しても伝わらない気もする。

だから、言わない。ってのが正解なのかもしれないw

自己分析として頭の中で整理して、今後に活かす。
それでいいのかな?いや、どうなのかな?

というか、何の話?

下書き状態の原稿を加筆修正する感じでまとめたものの、しっくりこない。
おそらく、下書きをした時の感覚と、現在の感覚が違うから。

そんなに前のものではないけど、変化するもんなんだな。

それが分かっただけでもヨシとしよう。

ということで、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!


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