定年延長は「毒饅頭」である——人生100年時代に、なぜ会社にしがみつくのか

近年、定年延長の動きが加速している。
2021年に改正高年齢者雇用安定法が施行され、企業には70歳までの就業機会確保が努力義務となった。政府も少子高齢化による労働力不足を補うため、高齢者の活用を強く推進している。大企業を中心に、65歳・70歳定年制を導入する動きも広がっている。
一見、良い話のように聞こえる。しかし私はこれを「毒饅頭」だと思っている。
食べた瞬間は甘い。でも、じわじわと毒が回る。

個人にとっての毒
定年延長の最大の問題は、「放り出される年齢が後ろにズレるだけ」という点だ。
65歳定年が70歳になったとして、何が変わるか。会社を辞めた後に残される時間は、相変わらず20年、30年ある。人生100年時代とはそういうことだ。
違うのは、スタートラインが5年遅くなるということだけである。
70歳を過ぎてから「さて、第二の人生をどう生きようか」と考え始めるのは、正直しんどい。体力も気力も、50代・60代とは違う。新しい仕事を覚えたり、人脈を一から作ったり、趣味に本気で打ち込んだりするには、若さとエネルギーが要る。
もったいない、と思う。
最近の60代は驚くほど元気だ。知識も経験もある。視野も広い。その人たちが、会社の論理に縛られて、慣れ親しんだ仕事を惰性で続けている。本人が心から望んでいるならともかく、「まあ給料もらえるし」「辞めても何もないし」という消極的な理由で残り続けているとしたら、それは人生の浪費ではないか。

企業にとっての毒
企業側から見ても、定年延長はそれほど美味しい話ではない。
70代・80代の社員がオフィスに残り続ける光景を想像してほしい。2つのパターンが想像できる。一つ目は、これまでの経験やスキルを活かして、若手に頼られながらあるいはノウハウを伝授しながら、バリバリ活躍する。二つ目は役職も権限も縮小され、肩身の狭い思いをしながら席に座っている——そういう現実が生まれやすい。
若い社員にとって、これは何を意味するか。
若手の社員は自分の将来像に重ね合わせてしまう。ポストが詰まる。昇進が遠のく。ああはなりたくない。会社の未来図が見えない。
優秀な若者ほど、そういう組織に見切りをつけて去っていくかもしれない。定年延長が優秀な人材の流出を招くかもしれないという皮肉な構造がそこにある。

社会にとっての毒
マクロで見ても、定年延長が社会全体を豊かにするとは言いにくい。
70歳を過ぎた人が、本来であれば新しいキャリアや社会貢献に向けられるはずのエネルギーを、「どうしよう、どうしよう」と右往左往しながら使い果たしている。これは社会的損失だ。
元気な高齢者が、第二第三の仕事に就く、地域活動・NPO・起業・教育・農業・アート——さまざまな分野で活躍することで生まれる価値は、計り知れない。しかしその入口が70歳では、動き出す前に体がついていかなくなる人も多い。
さらに、やりがいのない仕事を続けることはメンタルヘルスにも影響する。社会保障費の問題は、単純な労働力の話だけではなく、生きがいを失った高齢者が増えることによる医療・福祉コストの増大とも切り離せない。

では、どうすればいいのか
答えはシンプルだ。
もっと早く、会社を出る。
60歳でも、55歳でも、思い切って会社という「居心地の良い場所」を出て、第二のキャリアを始める。あるいは長年温めてきた趣味に本気で向き合う。地域に飛び込む。学び直す。
時間があるうちに始めれば、失敗も取り返せる。試行錯誤できる。そして何より、自分の人生を生きている実感が持てる。
定年延長は、その入口を遅らせる仕組みだ。甘い顔をしているが、気づいたときには手遅れになっている。だから私は「毒饅頭」と呼ぶ。

会社はあなたの人生に責任を持たない。最後まで責任を持てるのは、あなた自身だけだ。
だとすれば、いつ、どこで、どう生きるかを、自分で決める必要がある。
定年延長という「甘い饅頭」を断る勇気——それが、人生100年時代を本当に豊かに生きるための、最初の一歩かもしれない。

内田和成

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