誰かに任せるたび、自分の居場所が揺らいだ
誰かに仕事を頼んだあと、その人の画面を横から見たくなることがある。
手順が違う。
そこは先に確認したほうがいい。
その書き方では、あとで直すことになる。
口を挟まずにいようと思うほど、細かなところが目についた。
結局、「少しだけいいですか」と手を出して、そのまま自分で終わらせてしまう。相手には申し訳なさそうに笑いながら、「説明するより早いので」と言った。
たしかに、早かった。
けれど席へ戻る相手の背中を見たとき、わずかな引っかかりが残った。頼んだはずなのに、何かを返してしまったような気がした。
人に任せるとかえって時間がかかる、という言葉はよくわかる。
頼む内容を整理し、背景を伝え、途中で質問に答える。出来上がったものを確認すれば、自分なら選ばなかった表現や、気になる抜けが見つかることもある。
それなら最初から自分でやったほうが早い。
この考えは、たいていの場合、本当に正しい。
少なくとも、その一回の仕事だけを見れば。
今回の言葉を読んでいて、私が引っかかったのは、任せることで能力を何倍にもできる、という部分ではなかった。
むしろ、なぜ私は、そこまで自分でやりたかったのだろうと思った。
速さのため。
質を守るため。
相手に負担をかけないため。
どれも嘘ではなかった。
ただ、その奥には、自分にしかできない仕事を持っていたい気持ちもあったのかもしれない。
ある知人は、小さな会社で長く実務を支えていた。
顧客とのやり取りも、資料づくりも、数字の確認も、ほとんど彼女が知っていた。何か問題が起これば、周囲はまず彼女に声をかけた。
彼女は忙しそうだったが、頼られることを嫌ってはいなかった。
「私がやったほうが早いから」
そう言って仕事を引き取り、遅い時間までひとりで残った。
何度か業務を分けようとしたこともあった。けれど、人に渡した仕事に間違いを見つけると、次からは頼まなくなった。
教える時間がない。確認する手間が増える。顧客に迷惑をかけられない。
やはり自分でやろう、というところに戻ってきた。
そのうち彼女は、休みの日にも連絡を確認するようになった。
誰かが代わりに対応しても、言葉遣いが気になった。少し返事が遅れるだけで、自分が見ていないことを不安に感じた。
周囲はますます彼女を頼り、彼女はますます席を外せなくなった。
ある日、体調を崩して数日休んだ。
仕事は止まらなかった。周囲の人たちは相談しながら、わからないなりに進めていた。少し時間はかかり、いくつかやり直しもあった。それでも、彼女が想像していたほどには崩れなかった。
復帰した彼女は、安心するより先に、寂しさを感じたという。
自分がいなくても回ったことが、胸の奥に小さく刺さった。
ずっと「自分にしかできないから」と抱えてきた仕事が、実は自分の居場所にもなっていたのだと思う。
任せられなかったのは、相手の力を信じられなかったからだけではない。
自分の手を離れたあとに、何が残るのかわからなかったからかもしれない。
仕事を抱えている間は、自分がここにいる理由が見えやすい。判断を求められ、名前を呼ばれ、困ったときに探してもらえる。
手放すことは、作業を渡すことよりも、自分の役割が変わっていくのを受け入れることに近かった。
彼女は復帰してから、急に何でも任せるようになったわけではない。
渡したあとで気になり、確認しすぎることもあった。説明の途中でじれったくなり、「やっぱり私が」と言いかける日もあった。
相手に任せた仕事を、こっそり自分でも確認していたこともある。
それでも、少しずつ見え方が変わったという。
自分と同じやり方をしないことは、自分より劣っていることではなかった。
遠回りに見えた手順から、彼女が思いつかなかった工夫が生まれることもあった。質問されて初めて、長年の勘で済ませていた部分に気づくこともあった。
任せることは、自分の仕事を減らすだけの話ではなかった。
自分の中で固まっていたやり方を、ほかの人の目にさらすことでもあった。言葉にできなかったものを言葉にし、自分だけの正しさが揺れるのを待つ時間でもあった。
だから、効率だけで測れば、最初は割に合わない。
時間もかかる。思ったように進まない。任せた側にも、受け取った側にも、気まずさが残る。
けれど、その不器用な時間の中で、仕事が「私のもの」から「私たちのもの」へ、少しずつ姿を変えていく。
彼女の仕事量が劇的に減ったわけではない。
会社が急にうまく回り始めたわけでもない。
ただ、誰かが自分のいないところで判断しているのを見ても、以前ほど落ち着かなくなったという。
自分が手を動かしていない時間にも、自分が渡した経験の一部は、別の人の中で働いている。
そう思えるようになってから、空いた時間が、奪われた場所ではなく、まだ名前のない場所に見えてきたらしい。
誰かに仕事を渡したあと、手のひらに残っているものは、本当に何もないのだろうか。
