誰にも知られない仕事が、心に残った理由
会議で、自分の名前が呼ばれなかったことがある。
何週間もかけて準備した企画だった。
最初の案をつくり、関係する人の意見を聞き、何度も書き直した。
当日の進行は別の人が担当し、企画は無事に終わった。
参加した人からは、よい反応があった。
責任者も満足しているようだった。
それなのに最後の挨拶で、協力した人たちの名前が挙げられたとき、私の名前だけがなかった。
たまたまだったのだと思う。
意図的に外されたわけではない。
それでも帰り道、胸の内側がざらついていた。
うまくいったはずなのに、少しも報われた気がしなかった。
誰かの役に立ちたい。
仕事を通して、よいものを残したい。
そんなことを考えていたはずなのに、名前が呼ばれなかっただけで、してきたことの意味まで消えたように感じた。
私はずいぶん長いあいだ、「役に立つこと」と「役に立ったと認められること」を、ほとんど同じものとして扱っていたのだと思う。
感謝されれば、やってよかったと思える。
評価されれば、次も頑張ろうと思える。
反応がなければ、時間を無駄にしたように感じる。
人に何かを渡しているつもりで、その人から返ってくるものによって、自分の価値を確かめていた。
仕事や奉仕が心の安定につながる、という言葉に触れたとき、最初は少し不思議だった。
人のために動くことは、ときに疲れる。
頼まれごとが増えれば、自分の時間が減る。
誰かを支えようとして、こちらが余裕をなくすこともある。
人の役に立てば心が満たされる、と簡単に言ってしまうと、自分を後回しにしてきた人には、さらに重い言葉になる気がした。
けれど、ここで語られている安定は、何でも引き受けることとは違うのかもしれない。
誰かに必要とされ続けることで、自分の居場所を守ることでもない。
自分の中にあるものを使って、誰かの世界に小さな余白をつくる。
その働きかけが、自分の名前へ戻ってこなくても、そこに確かに残っていると感じられること。
そんな静かな手応えに近いのだと思った。
以前、知人が小さな図書室で本の整理を手伝っていた。
仕事が休みの日に通い、傷んだ本を直し、棚へ戻していた。
誰かの前に立つ役割ではない。
利用する人たちは、彼女が作業していることさえ知らなかった。
ある日、私は尋ねた。
感謝されるわけでもないのに、なぜ続けているのか、と。
彼女は少し考えて、「本を探している人が、迷わず見つけられたら、それでいいのかもしれない」と答えた。
立派な使命を語るような口調ではなかった。
実際、面倒になって休むこともあった。
今日は誰かに気づいてほしい、と感じる日もあると言った。
それでも、乱れていた棚が整い、誰かが一冊を手に取っていく姿を見ると、自分のしたことが、その人の時間の中へ溶けていくように感じたという。
その話を聞いて、私は少し羨ましくなった。
私なら、どれだけ整理したかを誰かに伝えたくなる。
せめて担当者には、頑張ったことを知ってほしいと思う。
誰にも知られなければ、自分でも意味を見失いそうになる。
けれど彼女の仕事には、「私がした」という札がついていなかった。
残るのは、手に取られやすくなった一冊と、それを見つけた誰かの時間だけだった。
それは、自分が消えてしまうことではないのだと思う。
むしろ、評価の中に自分を閉じ込めず、したことを相手の人生へ返していく感覚なのかもしれない。
もちろん、仕事では評価も必要になる。
働いた対価を受け取ることも、貢献を正しく伝えることも欠かせない。
認めてほしいと思う気持ちも、なくせるものではない。
名前を呼ばれなければ寂しい。
感謝されなければ、次も同じように動く気になれない日がある。
私も今でも、反応を確かめる。
自分の文章が読まれたか。
渡したものが喜ばれたか。
時間をかけたことに、誰かが気づいたか。
その気持ちを浅ましいとは思わない。
ただ、認められることだけが支えになると、その支えはいつも他人の手の中にある。
反応がよければ安心し、届かなければ、自分のしたことまで疑う。
いつの間にか、相手のために始めたことが、自分を満たしてもらうための働きかけに変わってしまうこともある。
あの企画が終わってから、しばらくして一通の連絡が届いた。
参加した人の一人が、そこで聞いた話をきっかけに、長く止めていたことをもう一度始めたと書いていた。
私が企画したことは知らない人だった。
私への感謝ではなく、その場で受け取ったものについてだけ書かれていた。
読んだとき、名前を呼ばれなかった寂しさが消えたわけではなかった。
けれど、自分の仕事が自分の知らない場所で、その人の何かに触れていたことを知った。
その瞬間、企画は私の実績ではなく、誰かの生活に渡っていったものとして見えた。
世界は何も変わっていない。
評価を気にする自分もいる。
次はきちんと名前を載せてほしいと思う自分もいる。
それでも、仕事の意味をすべて拍手の中に探さなくてもよい気がした。
誰にも見えない場所で差し出したものは、こちらへ戻ってこないまま、誰かの日々に残ることがある。
その行方を知らなくても、自分だけは、何を願って手渡したのかを覚えていられる。
いま誰にも知られずにしていることは、どこで、誰の静かな時間につながっているのだろう。
