やさしい言葉の奥で、少し離れていったもの
久しぶりに会った人と、二時間ほど話したことがある。
相手はよく笑い、こちらの話に何度もうなずいてくれた。言葉を挟むタイミングも自然で、私が話し終えるまで急かすこともなかった。
帰り際には、「今日は話せてよかった」と言ってくれた。
私も同じように返した。
けれど、駅へ向かって歩きはじめたとき、なぜか胸のあたりに小さな空洞が残っていた。
嫌なことを言われたわけではない。むしろ、ずっと感じよく接してもらっていた。それなのに、近づいたというより、薄い膜を一枚隔てたまま別れたような気がした。
その違和感を、しばらく説明できなかった。
人との関係は、言葉や態度によってつくられていく。
そう思っていた。
何を言えば相手が安心するのか。どんな表情で聞けば、話しやすいと感じてもらえるのか。相手を否定せず、自分の意見も押しつけないためには、どの言葉を選べばいいのか。
それらはたしかに、関係の中で役に立つことがある。
ただ、どれほど整った言葉でも、その人が本当にはそこにいないとき、聞いている側には説明しにくい寂しさが残ることがある。
私はあの日の空洞を思い返しながら、引っかかっていたのは相手の振る舞いではなく、その奥にいるはずの人が見えなかったことなのかもしれないと思った。
彼が嘘をついていたとは思わない。
ただ、場を穏やかにすることや、感じのよい人でいることに意識を向けすぎて、自分の気持ちから少し離れていたのかもしれない。
そして、それは私にも覚えのあることだった。
以前、身近な人が悩みを話してくれたとき、私は相手を傷つけないことばかり考えていた。
「その気持ち、わかるよ」
「無理しなくていいと思う」
「どちらを選んでも応援している」
ひとつひとつは、やさしい言葉だった。
けれど、相手は途中で黙り込み、「本当はどう思っている?」と私に聞いた。
その瞬間、答えに詰まった。
私はその人の選ぼうとしている道に、不安を感じていた。うまくいかないかもしれないと思っていた。けれど、それを口にすれば相手を否定することになる気がして、やわらかな言葉の後ろに隠していた。
「応援している」と言いながら、内側では心配していた。
「どちらでもいい」と言いながら、本当はそう思っていなかった。
相手が感じ取ったのは、おそらく言葉の不足ではなく、言葉と私のあいだに生まれていた距離だった。
その後、私は正直な気持ちを伝えた。
きれいには話せなかった。心配していることと、相手の選択を奪いたくないことが混ざり、途中で何度も言い直した。
相手も少し困った顔をした。
会話が劇的に深まったわけでも、わかり合えたわけでもない。最後には、互いに黙ってしまった。
それでも、あの沈黙には、最初のやさしい言葉にはなかった手触りがあった。
うまく話せない私と、簡単には受け取れない相手が、同じ場所にいた。
人は、言葉の意味だけを聞いているわけではないのだと思う。
その言葉が、どこから来たものなのか。
目の前の関係を整えるために置かれたのか。それとも、迷いや怖さを含んだまま、その人の内側から出てきたのか。
たぶん私たちは、そうしたものを思っている以上に感じ取っている。
だからといって、いつも率直に話せるわけではない。
本当のことを言えば関係が変わるかもしれない。嫌われるかもしれない。自分でも、自分の本音がわからないことがある。
そんなとき、私たちは誰かから借りた言葉で、その場をつなごうとする。
思いやりのある人に見える言葉。
理解しているように聞こえる相づち。
波風を立てないための微笑み。
それらは人を欺くためというより、自分を守るために身についたものなのかもしれない。
私にも、いくつもある。
だから、表面だけの言葉を使っている自分に気づいたとき、それをすぐに偽物と呼ぶ気にはなれない。
その言葉が必要になるほど、何を怖がっているのだろう。
何を知られたくなくて、どんな自分なら受け入れてもらえると思っているのだろう。
そこに触れると、相手との関係より先に、自分との関係がずいぶん遠くなっていたことに気づくことがある。
先日、同じ人ともう一度会った。
以前と変わらず、彼は穏やかだった。けれど途中で、「うまく返そうとしている自分がいる」と、少し照れながら言った。
そのあと、短い沈黙が落ちた。
会話の流れは止まり、気の利いた言葉も出てこなかった。
けれど不思議と、その瞬間に初めて、彼が少し近くにいるように感じた。
彼について何かを深く知ったわけではない。
世界も関係も、何ひとつ解決していない。
ただ、整えられた言葉の隙間から、ひとりの迷っている人が見えた。
そして私も、感じのよい返事を探すのを少しだけやめて、そこに座っていられた。
人と人とのあいだに残るものは、交わした言葉よりも、その言葉を口にしたとき、どれほど自分がそこにいたかという感触なのかもしれない。
いま誰かに向けている言葉の奥で、自分はどこにいるのだろう。
