見出し画像

予定を埋めた一週間に、いなかった自分

予定表を見れば安心できる時期があった。

空いている時間に仕事を入れ、移動の途中にも小さな用事を置いた。

朝にすること。

昼までに終えること。

誰かへ連絡すること。

買って帰るもの。

一日の中に隙間がなくなると、自分がきちんと生きているように感じられた。

けれど、予定どおりに過ごせた日の終わりに、なぜか何もできなかったような感覚が残ることがあった。

返信は終えた。

会議にも出た。

頼まれた資料もつくった。

それなのに、自分が本当に気にかけていたことには、少しも触れられていなかった。

あるとき、久しぶりに母から電話があった。

「急ぎじゃないから」と言いながら、何か話したそうにしていた。

私は予定表を見た。

三十分後には会議があり、そのあとも締切が続いていた。

「今ちょっと立て込んでいるから、またこちらから電話するね」

そう言って、短く切った。

電話をかけ直す予定は、その場では書き込まなかった。

空いたときに話せばいいと思った。

けれど、その「空いたとき」は来なかった。

数日後、母から届いた短い連絡を見て、まだ電話をしていなかったことに気づいた。

私は忙しかった。

何もしていなかったわけではない。

むしろ、毎日たくさんのことを終えていた。

それでも、母との時間は、しなかったことの中に残っていた。

優先順位という言葉を、私は長いあいだ、並べ替えのことだと思っていた。

目の前にある用事を集め、重要な順に並べる。

一番上から手をつけ、時間が余れば、その下へ進む。

ただ、実際には、声の大きな用事ほど上に来た。

締切がある。

相手を待たせている。

放っておくと困る。

頼まれた以上、断りにくい。

そうしたものを先に入れていくと、時間はすぐに埋まった。

そして、自分にとって静かに残したいものは、いつも最後になった。

家族と話すこと。

考えを整理すること。

身体を休めること。

まだ形のない文章を書くこと。

どれも、今日しなくても誰かに責められない。

一日延ばしても、すぐには何も壊れない。

だから、余った時間でしようと思っていた。

けれど時間は、必要なことをすべて終えたあとに余るものではなかった。

次の用事が入り、思ったより時間がかかり、疲れれば何もしたくなくなる。

大事にしたかったはずのものは、いつも予定表の外で待っていた。

以前、ある知人が週に一度、予定のない時間を持っていると話したことがある。

何をするかは決めていない。

ただ、その時間には仕事の約束を入れないという。

私は最初、それを余裕のある人の習慣だと思った。

忙しい時期に、何もしない時間を先に取ることなどできない。

やるべきことを終えてから休めばいい。

そう考えていた。

けれど彼は、「空いたから休んでいるわけではない」と言った。

家族と過ごすかもしれない。

一人で歩くかもしれない。

疲れていれば、何もせずにいるかもしれない。

その時間に何が必要になるか、前もってはわからない。

ただ、何かを受け取れる空間を残しているのだという。

実際、彼もその時間を守れないことがあった。

急な仕事を引き受け、あとで後悔することもある。

予定を空けていたのに、スマートフォンを見続けて終わる日もある。

それでも、次の週にはまた同じ場所を空けていた。

うまく過ごせたかどうかより、そこに時間を渡そうとすること自体が、自分への小さな確認になっているようだった。

何を優先しているかは、言葉より予定表に現れる。

家族が大事だと言いながら、家族との時間は空いた場所にしかない。

自分の健康を気にしていながら、休む時間はすべての仕事が終わったあとに置かれている。

いつかやりたいと思っていることは、期限のある依頼に押され続ける。

それを見て、意志が弱いと責めても、あまり変わらなかった。

私は大事なものを後回しにしたかったのではない。

大事だからこそ、待ってくれると思っていた。

仕事の相手は待たせられない。

約束した人には迷惑をかけられない。

けれど家族なら、また話せる。

自分のことなら、明日でもいい。

失いたくないものほど、自分を急かさない。

だから、いつの間にか見えなくなる。

私は母へ電話をかけた。

長い話ではなかった。

母が話したかったのは、近所で見かけた花のことと、古い食器を整理したことだった。

特別な相談があったわけではない。

あのとき電話を切ったことで、取り返しのつかない何かが起きたわけでもなかった。

それでも、話し終えたあと、予定表の外に追いやっていたものが、少しだけ自分の近くへ戻ってきた気がした。

それから私は、予定を立てるとき、一日ずつではなく、少し長い幅で眺めることが増えた。

毎日を完璧に整えるためではない。

どこか一日が崩れても、戻れる場所を見失わないためだった。

忙しい日に休めなければ、別の日に余白を置く。

書けなかったものがあれば、まだ誰にも渡していない時間を探す。

予定どおりにできない日があることも含めて、自分が何に時間を渡したいのかを眺める。

世界は変わらず、急ぎの連絡は来る。

頼まれごとを断れない日もある。

大事にしたいことを、また後回しにすることもある。

ただ、埋まった予定表を見て安心する前に、ときどき少しだけ立ち止まるようになった。

この一週間の中に、私が守りたいと思っているものは、どんな形で置かれているのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!