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感じのいい人でいられなくなった日のこと

初めて参加する集まりでは、相手の名前をよく呼ぶようにしていた。

話しているときは身体を少し相手へ向け、興味のありそうなことを尋ねる。

共通点が見つかれば、そこを丁寧に広げる。

別れ際には、会えてよかったと伝える。

そうすれば、短い時間でも感じのよい人だと思ってもらえる。

実際、そのやり方で会話に困ることは減った。

後から声をかけてもらうことも増えた。

私は、人間関係が以前より上手になったと思っていた。

けれど、ある人と長く仕事をすることになったとき、それまで使えていたものが急に役に立たなくなった。

最初のうちは、うまくいっていた。

相手の話をよく聞き、否定せずに受け止めた。

相手が関心を持っていることを覚え、次に会ったときに話題にした。

こちらからこまめに連絡し、困っていそうなら手伝った。

相手も私を信頼してくれているように見えた。

ところが、仕事が予定より遅れ始めた。

互いに余裕がなくなり、誰が何を引き受けるかで意見がぶつかった。

私は表面では穏やかに話しながら、内側では苛立っていた。

これまで十分に合わせてきた。

こちらばかりが気を遣っている。

少しくらい、相手も察してくれてよいのではないか。

そう思うほど、声に小さな棘が混ざった。

相手もそれを感じたのだと思う。

ある日、「本当はどう思っているんですか」と聞かれた。

私はすぐに答えられなかった。

不満はあった。

けれど、不満を伝えれば、それまでの感じのよい自分と食い違う気がした。

嫌われたくなかった。

同時に、これ以上合わせたくもなかった。

結局、「特に何もないです」と答えた。

その言葉を境に、関係は少しずつ硬くなった。

人とうまく関わるための方法は、たしかにある。

話を遮らない。

相手に関心を向ける。

名前や話した内容を覚える。

笑顔で接する。

それらに助けられる場面は多い。

短い出会いなら、互いが気持ちよく過ごせるだけで十分なこともある。

けれど、時間が長くなり、余裕がなくなると、振る舞いの奥にあったものが見えてくる。

私は相手を理解したかったのか。

理解のある人だと思われたかったのか。

助けたかったのか。

助けたぶんだけ、自分の望みも汲んでほしかったのか。

普段は混ざり合っていて、区別がつかない。

関係が順調なうちは、自分でも気づかない。

うまくいかなくなったとき、初めて本当の動機が輪郭を持つ。

以前、知人が、長く一緒に働いていた仲間と別れたことがある。

二人は周囲から、相性のよい組み合わせに見えていた。

片方が話し、もう片方が支える。

意見が違っても、表立って争うことはなかった。

けれど知人は長いあいだ、相手に合わせることで関係を保っていた。

譲れば空気が悪くならない。

不満を飲み込めば、仕事は前へ進む。

相手の得意なやり方を優先することが、信頼だと思っていた。

その一方で、心の中には記録が残っていた。

あのときも自分が譲った。

この仕事も自分が引き受けた。

相手は何も気づいていない。

ある小さな行き違いをきっかけに、それまでの不満が一度にあふれた。

相手は驚き、「そんなふうに思っていたなら、もっと早く言ってほしかった」と言った。

知人は、「言わなくてもわかってほしかった」と答えた。

二人とも、相手を傷つけようとしていたわけではなかった。

むしろ、関係を壊さないようにしてきた。

けれど、壊さないための振る舞いが、二人のあいだに言えないものを積み上げていた。

感じよく接することと、誠実に接することは、いつも同じ形にはならないのだと思う。

誠実さは、ときに不格好に見える。

すぐには笑えないことを伝える。

わからないのに、わかったふりをしない。

相手に関心を持てない自分を、親しげな態度で隠さない。

親切にした見返りを求めていることに気づく。

それをすべて相手へぶつけるのではなく、まず自分の中で見つめる。

そこには、覚えれば使える手順のようなわかりやすさがない。

私はあの仕事の相手と、後からもう一度話した。

自分が合わせていたこと。

合わせれば、相手もこちらの希望を察してくれると思っていたこと。

それが叶わず、勝手に裏切られたように感じていたこと。

きれいには話せなかった。

相手も、すぐには納得しなかった。

「何もないと言ったのに」と責められた。

その言葉はもっともだった。

関係は以前のようには戻らなかった。

けれど、相手の前で感じのよい人を続ける必要はなくなった。

話せば話すほど近くなるような対話ではなかった。

それでも、少なくとも私自身が、その場からいなくなることはなかった。

人間関係の方法を知ることは、地図を持つことに似ている。

最初の道を歩く助けにはなる。

けれど、雨が降り、道が崩れ、予定どおりに進めなくなったとき、最後に現れるのは、その地図を持っている自分なのだろう。

相手を大事にしたいのか。

自分を守りたいのか。

認められたいのか。

それらが混ざったままでも、どこから言葉が出ているのかだけは、見失わずにいたいと思う。

人当たりのよい振る舞いが剥がれたあと、そこに残る私は、どんな顔で人と向き合っているのだろう。

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