結婚しないと「一人前のおとな」になれないんでしょうか?
「いい人いないの?」
何十回、何百回と聞かれたこの質問に、
「いないんですよ~」と何十回、何百回とこたえてきた。
単なる世間話というか、家庭を持っている人にとっては、独身者に会ったら言っておかないといけない「あいさつ」のようなものなのかもしれない。
だから、責められているとかいじわるを言われているとかそんな風には思っていない。
「そんなこと言って、どうせ選んでるんやろ?」
「理想が高いんやわ」
「看護師はお金もあるから、ひとりで生きていけるもんなー」
ということばも、テンプレのようにくっついてくる。
病院で働いていたときは、飲み会のたびにそんな話になった。
「だれか紹介してくれへんの」
「ちょっとぐらいハゲててもいいやん」
「結婚する気はあるんやろ?」
とっくの昔から家庭を持っている先輩たちが、笑いながらそう言う。
自分の時代はどうだったとか、だんなさんとのなれそめとか。
バツイチだけど彼氏はいる、とか。
そんな話も加わって、飲み会はわっと盛り上がる。
「でも、子ども産むんやったら早よしないとなぁー。やっぱり母親になると、変わるよ」
ひとりの先輩がそう言う。
その一言でなんだか話の温度がひとつ上がる。
恋愛の話から、急に、期限のある、人としての成熟に関わる、というような話に変わったからだろうか。
「一生で1回くらいはできたらいいんですけどね~」
気づいたら、わたしはそんな風に「へへっ」と笑いながら言っていた。
自分から言ったのかは、正直うまく思い出せない。
誰かが引き出したことばなのか、
自分から差し出したことばなのか。
ただ、その場の空気は重くも軽くも変わらなかったことは覚えている。
わたしのヘラヘラとした笑いと
「一生で1回ぐらいは~」ということばは、
何事もなかったかのように、わいわいとした空気の中に跡形もなく吸い込まれていった。
わたしはいつも「いい人いないの?」の問いに
「いないんですよ~」とヘラヘラとこたえながら、少しだけかなしい気持ちになっていた。
いつまでたっても誰にも選ばれていない自分がとても情けなかったんだと思う。
そうして、何十回、何百回とこたえるたびに、自分でも気づかない小さな傷が、どんどんついていたのかもしれない。
そして、そのかなしさにはいつからか理由がついてきた。
わたしは女として、人として、何かがずっと
欠けている。
ずっと何かが足りないまま、ただ時間だけを
溶かしている。
わたしはとっくに大人なはずなのに、ずっと
半端者なまま。
一生懸命仕事をしても、お金を稼いで自立して、ひとりで生活をしていても、いつまでたっても一人前にはなれない。
そんなことばが、どこで自分の中に入り込んだのか、自分の中で生まれたのか、はっきりとは思い出せない。
ただ、気づいたときにはもうそこにあって、
ずっと長い間こびりついて取れないでいる。
たぶん「1回ぐらいはできたらいいですけどね」ということばは、「わたしもいつか選ばれる側に回れる」という、精いっぱいの強がりだった。
本気で焦っているわけでもない。
結婚をあきらめたわけでもない。
どちらにも見える、ちょうどいい返事だった。
あのころのわたしは、その曖昧さに隠れていたかったのかもしれない。
わたしはそんな便利なことばを使って、だれにどう思われたかったのだろうか。
結婚という結果ではなく、「わたしはいつか結婚できる人」という可能性を、誰かに保証してもらいたかったのだろうか。
結婚すれば、子どもを持てば、わたしに足りない何かがちゃんと埋まる。
人として「一人前」になって、
やっと”向こう側”に行ける。
たぶん、そう思い込んでいたんだと思う。
でも、わたしはいまだにその"向こう側"を、
見たことがない。
結婚した人が、子どもを持つ人が、
本当にみんな「一人前」の大人になっているのかどうかも知らない。
いったい、一人前の大人って何なんだろうか。
独身は一生「一人前の大人」にはなれないんだろうか。
最後まで読んでくださって
ありがとうございました☺︎
そういえば、こんなことも考えていました。
