「幼児期に、いじめはない」と言ってきた
「これって、いじめじゃないですか?」
保護者から、
そう聞かれたことは何度かある。
そのたび私は、
「幼児期には、まだ“いじめ”という概念はないと思っています」
と答えてきた。
まあまあ、堂々と。
保育歴も長い。
それなりに説得力もある。
たぶん。
幼児は、
まだ人との関わり方を勉強中である。
仲間に入れない。
嫌なことを言う。
同じ子に何度もちょっかいを出す。
昨日、
「もう絶対遊ばない」
と言っていた二人が、
今日には一緒に遊んでいる。
そして午後には、
また揉めている。
関係性が、
非常に忙しい。
だから私は、
大人が早々に、
「いじめる子」
「いじめられる子」
と分けることに、
ずっと抵抗があった。
ところが最近、
幼児期のいじめが認定された、
というニュースを見た。
その子は、
PTSDを発症したという。
……。
保育を長くやってきているが、
ここへ来て、
過去の回答に赤ペンが入る。
いや、
全部が間違っていたとは思わない。
幼児には、
「こいつを継続的に精神的に追い詰めてやろう」
などという、
悪役として完成度の高い思考は、
まだないことが多い。
でも、
気づいた。
それは、
する側の話である。
された側が傷つくかどうかとは、
まったく別だった。
悪気がなければ、
痛くない。
そんな便利な人体構造には、
なっていない。
幼児だから、
翌日にはケロッとしていることもある。
でも、
ケロッとしないこともある。
何度も続けば、
逃げ場がなくなることだってある。
だったら今、
同じことを保護者に聞かれたら、
私はどう答えるだろう。
たぶんもう、
「幼児期にいじめはありません」
とは言わない。
かといって、
一回のトラブルで、
「はい、いじめ認定」
のハンコも押さない。
私は裁判官ではない。
担任である。
まず見る。
何が起きているのか。
繰り返されているのか。
いつも同じ子なのか。
その子はどう感じているのか。
自分でそこから抜けられるのか。
大人が入らなければ、
止まらない状態になっていないか。
「いじめ」という名前をつけることより、
そっちのほうが先だ。
幼児には、
まだ「いじめ」という概念がない。
今でも、
その考えを全部捨てたわけではない。
ただ、
概念がないことと、
傷がないことを、
一緒にしてはいけなかった。
ここにきて、今さら、
回答を一部訂正する。
まあ、長くやったら、
全問正解になる資格でもない。
むしろ、
「私はもう分かっています」
になったあたりが、実はいちばん危ない。
ということで、
保育歴20年以上。
まだ、
普通に考え直している。

