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【お題】この世界観で物語作ってみて!【地球外生命の島】ソコトラ島から繋がる、超異次元のシュルレアリスム世界へ


砂の上の獣たち:ソコトラ島編

第一章 第三脚のひび

 点検係というのは、世界がちゃんと世界のままでいるかどうかを、毎朝たしかめて回る仕事です。たいていの人は、そんな仕事があることすら知りません。世界がちゃんとしているのは当たり前で、当たり前のものを誰かが毎朝たしかめて回っているなんて、思いつきもしないからです。けれど、当たり前というのは、たいてい、いちばん壊れやすいもののことなのですよ。

 タキは十二歳で、まだ見習いでした。

 見習いのタキが持たされていたのは、桶でも梯子でもなく、一枚の書式でした。分厚い板ばさみにはさまれた、細かい欄がびっしりと並んだ紙です。〈砂の乾きぐあい〉〈影の長さ〉〈象の吐く息の数〉——世界にあるものは、なんでも、この紙のどこかに自分の欄を持っていました。タキの仕事は、朝いちばんにその欄をひとつずつ見て回り、〈異常なし〉のところに小さな丸をつけていくことです。丸がぜんぶそろった朝、世界はその日も、世界でいられるのでした。

 あなたは、たった一枚の紙が世界を支えているなんて、ずいぶん心もとない話だと思うかもしれません。タキも、そう思っていました。思ってはいましたが、丸をつけるのをやめてみる勇気は、まだありませんでした。

 世界のまんなかには、象がいました。

 ふつうの象ではありません。脚は蜘蛛の糸のように細く、天までとどくほど長くて、その細さで、どうやって立っていられるのか、誰にもわかりませんでした。背中には透きとおった水晶の柱を一本のせ、柱の中では、いつも朝焼けのような光が、ゆっくりと回っていました。象は動きません。ただ、砂漠のまんなかに立って、世界という紙を、その脚の数だけの隅から、静かに押さえているのでした。

 脚には番号がふってありました。書式の世界では、なんにでも番号がつくのです。タキはその日、〈第三脚〉の番のところまで来て、丸をつけようとして、手をとめました。

 第三脚に、ひびが入っていました。

 根もとから、細く、まがりくねって、上のほうへ。それは砂の割れめにも、古い陶器の貫入にも似て、けれど、そのどちらでもありませんでした。タキはしゃがんで、指でそっとなぞってみました。ひびは冷たく、そして、ほんのわずかに、脈のように動いていました。

 タキは書式をめくりました。〈第三脚〉。色。太さ。傾き。それだけです。ひびを書く欄は、どこにもありませんでした。

 欄がないものは、報告できません。報告できないものは、この世界では、起きていないことになります。——タキの指の下で脈打っているひびは、書式の上では、どこにもいないのでした。

 見習いは余白に書いてはいけない、という決まりがありました。余白は、まだ誰も名前をつけていない場所で、そこに勝手なことを書くのは、いちばん重い罪とされていたのです。タキは鉛筆の先を余白にあてて、それから、あてただけで、書かずにおろしました。

 書式のいちばん下には、ずっと空いたままの欄が、ひとつありました。名前を書くための欄です。いつからか、そこは白いままでした。誰の名前が入るはずだったのか、タキには、もう思い出せません。ただ、その白い欄を見るたびに、胸のあたりが、いま指でひびをなぞったときのように、すうっと冷たくなるのでした。

 タキはその日、〈第三脚〉に、丸をつけませんでした。かといって、つけずにおくこともできませんでした。丸のない朝が、どういう朝になるのか、こわかったからです。タキは結局、いつもよりも少しだけ小さな丸を、ひびのすぐ横につけました。まるで、そうすれば、ひびのほうが遠慮してくれるとでもいうように。

 立ちあがって象を見あげると、水晶の柱の中の朝焼けが、いつもより少しだけ、曇っているようでした。気のせいだ、とタキは思いました。けれど、書式に〈気のせい〉という欄は、やっぱり、ありませんでした。

 その晩、雨が降りました。

 砂漠に雨が降るというのは、それだけで、書式にない出来事です。タキは寝床の中で、天幕を打つ雨の音を聞きながら、丸のことを考えていました。小さすぎた、あの丸のことを。

 夜のまんなかで、音が変わりました。雨の音ではありません。もっと低い、もっと大きな、なにかがゆっくりとほどけていくような音でした。タキは天幕を出ました。

 象の第三脚が、溶けていました。

 蝋のように、飴のように、あの細く長い脚が、雨に打たれて、たらり、たらりと、下のほうから形をなくしていくのです。タキが見ているあいだにも、脚はぐにゃりとたわみ、ひびの走っていたあたりで、とうとう、ぽきりと折れました。折れた、というより、その部分だけが、世界からそっと取り消されたようでした。

 象が、かたむきました。

 残りの脚で、象は必死に、世界という紙を押さえようとしました。けれど、一隅を失った紙は、もう平らではいられません。折れた脚のあったあたりから、地面が、砂が、砂漠のぜんぶが、濡れた紙のように、ゆっくりと、めくれあがりはじめたのです。

 タキは、めくれていく世界の裏側を、見てしまいました。

 そこには、なにもありませんでした。——いいえ、なにもない、というのは、正しくありません。そこには、白い面が広がっていました。

 それが紙なのか、タキにはわかりませんでした。光のようでもあり、雪のようでもあり、けれど、あんまり静かに乾いているので、獣の骨の、内がわの色にも見えました。どこまでも白く、遠くのほうは、白すぎて、かえって暗く見えるほどでした。

 その白の上に、うっすらと、無数の欄がひかれていました。ひとつも埋められていない、まっさらな欄が。世界の裏側は、まだ書かれていない書式で、できていたのです。

 タキは、そのとき、生まれてはじめて、あることに気がつきました。

 自分がこれまで毎朝つけてきた丸は、この白い欄の、たったひとつを埋めていただけなのだ、ということに。そして、埋められていない欄のほうが、埋められた欄よりも、ずっと、ずっと多いのだ、ということに。

 雨は、まだ降っていました。めくれた世界のむこうで、水晶の柱の朝焼けが、ぐらりと揺れました。タキは書式を胸に抱いたまま、白い面のふちに立って、動けずにいました。書くための欄は、目の前に、いくらでもありました。

 けれど、見習いは、余白に書いてはいけないのです。

 ——まだ、このときは。

2026年7月14日 20:43





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