見出し画像

高速大喜利思考#11~高速大喜利の副産物~


大喜利の目的は、何だろうか。

おそらく、ほとんどの人がこう答える。

「面白い回答をして、人を笑わせること」

もちろん、その答えは正しい。

ところが私は、いつからか「笑わせること」を大喜利の一番の目的にしなくなった。

私が目指したのは、

高速かつ大量に回答すること。

誰よりも面白い回答を出すことよりも、誰よりも速く、誰よりも多く回答する。

少し変わった方向へ走り始めた。

すると、不思議なことが起こった。

「笑わせる」という大喜利本来の目的を外したことで、かえって大喜利によって多くの人に覚えてもらえるようになったのだ。

今回は、速さと量を追いかけた先で思いがけず手に入れた、いわば「高速大喜利の副産物」について書いてみる。

「面白さ」で勝負しない大喜利

大喜利の世界には、面白い人がたくさんいる。

発想が鋭い人。

言葉選びが巧みな人。

わずかな一言で、場の空気をすべて持っていく人。

そんな人たちと真正面から「面白さ」だけで勝負しようとすれば、簡単には勝てない。

そこで私は、勝手に競技のルールを変えることにした。

競技のルールを変えるといっても、大喜利界の正式なルールを改正したわけではない。

自分の中の目的を変えたのだ。

一つの完璧な回答をじっくり考えるのではなく、とにかく高速かつ大量に回答する。

面白いかどうかを判断する前に、まず出す。

一つ滑ったら、落ち込む前に次を出す。

その回答も滑ったら、さらに次を出す。

滑っていることに気づかないくらいの速度で、回答し続ける。

それが、私の「高速大喜利」だ。

目的をずらしたら、戦う場所が変わった

「一番面白い人」を目指す人はたくさんいる。

一方で、「高速かつ大量に回答する人」を目指している人は、ほとんどいなかった。

面白さだけを競っていたら、私は大勢の大喜利プレイヤーの中に埋もれていたことだろう。

しかし、評価されるかどうかにかかわらず、高速で大量に回答することを続けていると、少しずつ周囲の反応が変わってきた。

「あの人、また回答している」

「さっきも回答していなかった?」

「いったい何個出すんだ?」

時には、Voicyの生放送大喜利の冒頭で、

「回答は4年に1回にしてください」

と警告を受けたこともある。

ちなみに、その生放送大喜利では見事優勝した。

そして、最終的には、

「高速で大喜利をする人」

として覚えてもらえるようになった。

私は「面白さ」という競争の激しい場所から、少し横にポジションをずらしたのだ。

そこで見つけたのが、「高速かつ大量」という、まだ人の少ない場所だった。

誰かを追い越して一番になったわけではない。

自分で勝手に新しいコースを作り、そのコースを一人で走り続けた。

その結果、他の人とは簡単に重ならない、オンリーワンの立ち位置ができていたのだ。

高速大喜利が私の代名詞になった

初めのうちは、「高速大喜利」は自分で名乗っているだけの言葉だった。

自分で言っているだけなら、肩書は何とでもつけられる。

今日から突然、

「高速大喜利界の貴公子」

と名乗ることもできる。

貴公子かどうかは、かなり怪しいところだが。

ところが、続けていくうちに、高速大喜利は自称ではなくなっていった。

周囲の人からも、大喜利をする人として認識してもらえるようになったのだ。

特にVoicy界隈では、私のことを詳しく知らなくても、

「大喜利の人」

として知ってくれている人が増えた。

これは私にとって、大きな変化だった。

名前や仕事、これまでの経歴を長々と説明しなくても、「高速で大量に大喜利へ回答する人」と言えば思い出してもらえる。

高速大喜利が、私を説明する代名詞になったのだ。

画面の向こう側に、本当に人がいた

それを強く実感したのが、あるオフ会に参加したときだった。

普段の高速大喜利は、オンライン上で行っている。

スマートフォンの画面にお題が表示され、そこへ回答を投稿する。

反応があれば、いいねやコメントが届く。

ただ、オンラインで活動していると、その向こう側にいる人の顔までは見えない。

本当に誰かの記憶に残っているのか。

楽しみにしてくれている人がいるのか。

正直なところ、自分ではよく分かっていなかった。

ところが、オフ会の会場で思いがけない言葉をかけられた。

「大喜利回答のファンです」

まさか、自分に向かってその言葉が飛んでくるとは思っていなかった。

私は高速で大量に大喜利へ回答していただけ。

アイドルのように歌って踊ったわけでもない。

ドラマで主演を務めたわけでもない。

ただ、ものすごい勢いで大喜利に回答していただけ。

それでも、その活動を見て、覚えて、楽しんでくれている人がいた。

さらに、大喜利の師匠からも、

「こんなに人気があるんですね」

と言っていただいた。

オンライン上で積み重ねてきた回答が、画面を越えて、現実の人とのつながりを生み出した瞬間だ。

差別化は、特別な才能から生まれるとは限らない

この経験から、私は差別化について考えるようになった。

差別化というと、誰も思いつかない斬新なアイデアや、他の人にはない特別な才能が必要だと思いがちだ。

しかし、必ずしもそうではない。

誰でもできることを、他の人がやらない方法で続ける。

あるいは、他の人がやめてしまう量まで積み重ねる。

そこから生まれる差別化もある。

大喜利をする人は、たくさんいる。

面白い回答を出せる人も、たくさんいる。

しかし、高速かつ大量に回答し、それを長期間続ける人は多くない。

一つひとつの行動は、特別なものではない。

けれども、速さと量と継続が組み合わさると、それ自体が個性になる。

やがてその個性が、他の人から見た自分の印象になるのだ。

王道の評価軸で一番になれなくても、自分なりの評価軸を作ることはできる。

私の場合、それは「面白さ」だけではなく、「速さ×量×継続」だった。

速さ×量×継続=その人だけの代名詞

この掛け算が、やがて「高速大喜利」という私の代名詞になったのだ。

高速大喜利は、私にとって大喜利の回答方法であると同時に、自分を知ってもらうための看板にもなっていた。

目的から外したものが、最後についてきた

私は、大喜利で最も面白い人になれたわけではない。

すべての回答で人を笑わせられるわけでもない。

むしろ、大量に回答しているので、その分だけ大量に滑っている。

しかし、笑わせることだけを追いかけず、高速かつ大量に回答することを目的にしたからこそ、自分だけのスタイルが生まれた。

そのスタイルを続けたことで、「高速大喜利」が私の代名詞になった。

Voicy界隈では「大喜利の人」として知ってもらい、オフ会の場では「ファンです」と声をかけてもらえるようになった。

一番になろうとしたのではなく、自分なりの方法を続けた結果、オンリーワンの場所に立つことができたのだ。

そして、ここに高速大喜利の面白い逆説がある。

私は「笑わせること」を一番の目的から外した。

それでも高速で大量に回答し続けた結果、私の大喜利を楽しみ、笑い、覚えてくれる人が現れた。

目的から外したはずのものが、最後には副産物としてついてきたのだ。

何かを始めるとき、必ずしも王道の目的だけを追いかける必要はない。

少し目的をずらしてみる。

自分が続けられる方法に変えてみる。

誰も走っていない方向へ、勝手に走り出してみる。

そこには、最初から狙っていたら手に入らなかった何かが待っているかもしれない。

私の場合、それが「高速大喜利」だ。

さて、次はどんな副産物が生まれるのか。

その答えを探すためにも、今日も私は高速で、大量に回答を続ける。

それではみなさままた次回、今日もwonderな一日を!

いいなと思ったら応援しよう!