別れは突然に
別れは突然やってきた。
いつか来ることは分かっていた。
本当は別れたくなかった。
ずいぶん長い付き合いだった。
でも最近は、少しわがままになっていた。
7、8年前の夏休み。
遠方の大学に通っていた長男が帰省した。
「何か欲しいものある? 買ってあげるよ」
「えぇ〜、いいの〜!?」
幼い頃、「母の日」には決まってガーナミルクチョコレートとカーネーションをくれた。
長男からプレゼントしてもらうのは、それ以来かもしれない。
何にしようかな……?
カバン?財布?洋服?
悩みに悩んだが、
「フライパンが欲しい!」
「そんなのでいいの?」
二人でホームセンターへ行った。
何種類か見た中から最優先で選んだのは、
「くっつきにくいこと」
26cmの黒いフライパンだった。
少し値段が高くて、重い。
裏側は、赤。
赤は私が一番好きな色だ。
長男がアルバイト代で初めて買ってくれた。
次男が高校生だった当時、朝はお弁当のおかずを作った。卵を焼いたりウインナーを炒めたり。 夕方になれば、今度は家族のおかずを作る。
26cmは、三、四人分のおかずを作るのにちょうどよかった。
ただ、やっぱり重かった。
毎日使うとその重さが腕にくる。
それでも、私はこのフライパンが気に入っていた。
洗って裏返すたび、長男と一緒に選んだ日のことを思い出した。
やがて、次男の高校生活も終わりに近づいた。
最後のお弁当を作る朝はいつもより早く目が覚めた。
「ああ、今日でお弁当作りも最後なんだ」
「今日は次男の大好きなから揚げを、たくさん入れてあげよう」
毎朝作ってきたものが、明日からなくなる……
同時に、明日から早起きしなくていいんだ。
それはそれで、たぶん嬉しいかも。
気がつけば、ずいぶん長く使っていた。
黒いコーティングも少しずつ剥がれ、下の金属が見えてきた。
そして、あれほど「くっつきにくいこと」を最優先で選んだフライパンに、食材が少しずつこびりつくようになった。
「そろそろ寿命かな」
いやいや、まだ使える。
しばらくは使い続けるつもりだった。
ところが、たま〜に料理をする夫にはイライラの限界だったらしい。
「くっつく💢」
ある日、夫は新しいフライパンを買ってきた。
持ってみる。
軽い。
「これなら軽いやろ」
「まぁ。確かに……」
ピカピカのフライパンと
ボロボロのフライパン。
「あ、捨てる時がきたんだ」
でも、すぐには捨てられなかった。
燃えないごみの日が来ても出せない。
次の燃えないごみの日が来ても、また出せない。
新しいフライパンがあるのに、古いフライパンは台所の隅に置いたまま。
見るたびに、長男と買いに行った日のことを思い出した。
ホームセンターを出たあと、二人で神社へ行った。
家族四人で何度も初詣に行った、思い出の神社だ。
二人でお参りをして、お土産屋さんでかき氷を食べた。
高校生の頃はあまり話をしなくなった長男と、久しぶりに一緒に過ごした一日だった。
それから一か月ほど経ったある日。
フライパンがなくなっていた。
「あれ? フライパンは?」
夫に聞いた。
「今日、不燃ごみの日だったから出したよ」
えっ。
別れは、本当に突然だった。
