IT業界とM&A業界のスピード感
以前書いた、私が尊敬する還暦ベンチャー(本人談)の曽我さんが、AppleのジョブスCEOにプレゼンした際の逸話で、
「3分で買収を決め、買収金額を紙ナプキンに書いて渡してきた」
というものがあります(3分という時間は真偽不明ですが、紙ナプキンは何となくあり得るなと感じています)。
いずれにしても、ジョブスの圧倒的なスピード感とスケールを感じさせる逸話ですが、3分はともかく、ビジネスにおける日米(特にシリコンバレーなどのIT企業)のスピード感の違いは、常に感じるところです。
私は長くIT企業を経営し、今はIT系のM&Aを主な業務にしていますが、M&A業界は決してスピードの速さを是とするわけではありません。「巧遅は拙速に如かず」(巧くて遅いよりも、少々拙くても速い方がいい)というIT業界の鉄則は、買収リスクを最小化するためのリサーチに時間をかけるM&Aとは、まったく違う性質です。
しかし、経済は急速に動いています。今だとAIの進化などはわかりやすいですね。本格的なAI時代に突入しようとしている今、AI各社は激烈な開発合戦を繰り広げ、毎週のように新しいバージョンをリリースしており、IT各社も、それを受けて急ピッチでサービス開発している状態です。
自分たちがこれまでやってきたものが、AIによって無意味になってしまうような危機感が、なおさら開発合戦に拍車をかけているところもあるでしょう。
そんな中で、M&Aの際に半年や1年くらい時間をかけていると、すでに市場は様変わりしているかもしれません。
時間とともに変わる価値
M&Aはその企業や事業のバリュエーション(価値評価)から始めますが、それはこれまでの業績、今の財務状況、また将来性という「現在、過去、未来」を、軽重をつけながらトータルに判断します。今の財務を分析するだけなら会計士にでも頼めばできますが、最も重要で最も判断が難しいのが、言うまでもなく「将来性」です。仮に、現在ピカピカの財務状況であっても、そのビジネスがAI技術によって食われてしまう可能性があるなら、将来の見通しは悲観的にならざるを得ません。
M&Aにおけるバリュエーションとは、本来そのようにシビアなものですが、そう考えると、今のような時代に、特にIT企業のM&Aに半年~1年かけているようでは、その間に事業の価値が大きく変わる可能性もあるのです。
M&Aの際は、交渉して値段を提示したあと、「基本合意」を結ぶのが一般的です。これには法的な効力はあまりありませんが、その後に独占交渉に入り、DD(デューデリジェンス)と言われる企業調査に入ります。この間は、「新規事業や人材採用、資金調達など、新しいことをしない」ことが求められます。
基本合意後はそれを書面で約束しますが、そこに至るまでも、M&Aの交渉期間中はそれほど大きな変化をもたらすようなことは、慎重にならざるを得ません。考えたら当然ですよね。場合によっては交渉が振出しに戻ることもあり得ますから。
一般的に、M&Aの期間は半年~1年、長いときはもっとかかります。しかし、圧倒的に動きの速いITなどの業界において、それだけの期間じっとしていられますか?
この時間のかけ方は、業績が落ち込んでいて救済型のM&Aを求めているならまだしも、より成長のスピードを上げることを目指す「成長型M&A」では、致命的にもなり得ます。
秘密主義がもたらす弊害
M&Aはとても秘密主義な世界でもあります。NDA(秘密保持契約書)からすべての話はスタートしますし、交渉期間中も一切他言無用です。なんでここまで秘密にしたいかというと
(上場企業の場合)株価に影響する
自社の財務や顧客情報などが第三者に漏れないようにする
関係先に知られると、今後の取引に影響する
というのが主な理由でしょう。そのため、通常は従業員にも話をしません。
1の場合は、理解できます。その情報が一部の人間だけに知られてしまうと、先に株を売買する判断材料にもなり、いわゆるインサイダー取引にもつながりかねません。
2も当然ですね。特に顧客情報などは重要な資産ですから、買い手以外の外部に広く公開したら大問題です。ことは二社間のトラブルだけでは済まなくなります。
また、事前の離職を防ぐ意味合いもあります。売り手側の社員が事前に売却の予定を知った際に、「自分たちの待遇が悪くなるのではないか」との不安から先にやめてしまうのではないかと。しかし、その不安はやはり売り手と買い手の経営者が、社員と真摯に向き合うしかないのです。
社員にこのような不安がある中で、成約して後戻りできない段階になるまで秘密にされたら、社員としては余計に不信感が出てくるかもしれません。ただ、これに関しては「売却が決まって安心した」と社員に歓迎されるケースもありますので、正解はないように思えます。
秘密にすることで、相手先の問題が発覚しづらい
では、3の場合はどうでしょう。「関係先」とは社員や取引先、金融機関などが考えられますが、社員が不安に思うのは、未知の相手先なので仕方ありません。それは成約まで秘密にしたところで解消されることではないでしょう。
既存の取引先や金融機関への影響はどのようなものがあるでしょうか。一般的に、他のステークホルダーがM&Aに難色を示すのは、相手企業に問題があるケースでしょう。買収後、すぐに会社を潰してしまう可能性があるのではないか。事実、今トラブルになっているのはその手のケースで、管理名目で現金を吸い上げて、経営者保証を変えず、必要な支払いをせずにあっという間に会社を(意図的に)潰してしまうという悪質なケースです。
ただ、その場合はなおさら、交渉過程を秘密にすることで問題の発覚が遅れる可能性もあります。成立すれば後戻りできないわけですから、どんな先に売却予定なのか、事前に知られた方がいいのではないか。
もしかしたら、当事者企業も知らなかった情報を、他の取引先や金融機関は知っているかもしれません。それが重大な問題であったときに、まだ後戻りできる段階で知った方が、当事者としてもいいに決まっています。
繰り返しますが、これはあくまで上場企業や大規模企業を除く、中小企業の話です。今、M&Aは小規模な会社にも急速に浸透していて、個人事業の売買なども活発に行われています。また、Webサイトの売買も盛んです。
私はWebビジネスの売買(事業譲渡)を得意としていますので、余計にそう感じるのかもしれませんが、会社名やサービス名などは最初からオープンにした方が、マッチングの確率も上がるはずです。
大手企業に求めるようなプロセスは、小さな会社には不向きなものもあります。小規模なM&Aは、もっと情報をオープンにして、スピードも最大3か月くらいで成約に至るくらいのスピード感も必要ではないかと思っています。

