エスプレッソ少な目のカフェラテ
私はコーヒーが苦手である。
小さいときに、コーヒー好きの母が自身のコーヒーを少し分け、たっぷりの牛乳と砂糖を入れたカフェオレを朝食のパンと一緒に出してくれていた。
はじめて飲んだその味は、親しんだ牛乳と、ほのかな甘さと、ちょっとの大人気分を運んでくれる魅力的な飲み物として私の大好物となった。
しかし、何故かある日突然、頭が痛くなるようになってしまった。
おそらく、カフェインへの反応なのだろう。
それから、カフェオレは私の愛飲物から飲むことのできない物へと姿を変えてしまった。
歳を重ねても、コーヒーは苦手なままとなっている。
思った以上に出先で出されるコーヒーは多く、「出されたものは飲むべし」というよく分からないルール(というか常識)に屈服し、その後の頭痛に降伏した。
そんな私であるが、「コーヒー味」が大好きという不思議な特性を持つ。
今は名称として使われなくなってしまった「コーヒー牛乳」やコーヒー味のアイスは気になって仕方がない。
やはりリアルなコーヒーではないためか、頭痛も起きないという幸せ。
そして、30代になった頃には、とうとうカフェラテが飲めるまでに成長。
時々本格的なカフェラテを飲むと頭痛を起こしてしまうのだが、「コーヒー味を楽しみたい」という誘惑に負け、カフェラテを所望する。
コーヒーの香りに少しミルキーさが加わった、あの香りにそそられる。
ちなみにカフェオレでは足りず、カフェラテでなければ満たされれないという面倒な状況である。
以前、カフェオレとカフェラテは何が違うのだろう、と不思議に思った時期があった。
国の違いかな?と思って調べたら、国どころか作り方も違ったことにびっくりしたのを今でも覚えている。
カフェオレ:ドリップしたコーヒーに同量のミルク。フランス生まれ。
カフェラテ:エスプレッソに4倍のミルク。イタリア生まれ。
そして、私が好きなのはカフェオレではなくカフェラテであることを理解した。
時折、間違った表記の喫茶店などがあるので、そんなときは一口飲んで悲しくなる。(カフェラテを頼んだらカフェオレだったなんてことも)
そこで、私はそのお店に「エスプレッソマシーン」があるかどうかでカフェラテが飲めるかジャッジするという技を身につけた。
さらに、一度飲んでみて「コーヒー感が強いな」と思ったら、次に同じお店で飲む際は「エスプレッソ少な目で」とお願いをするというスキルを習得した。
念のためお伝えするが、カフェラテを飲むのに「エスプレッソ少な目」を頼むとはなんと邪道な、という目で見られるので注文時は覚悟が必要である。
でも私は、そんな冷ややかな目を向けられても、本当においしいくかつ自分基準でコーヒー感が強いと感じるカフェラテには、次回から勇気をもって「エスプレッソ少な目」をお願いしている。
そんなカフェラテ(エスプレッソ少な目)を飲ませてくれる馴染みのお店があった。
今は辞めてしまった勤め先の近くにあるイタリアンのお店である。
その勤め先は学生時代からアルバイトを始め、新卒として入社した。
常に何かに追われつつも、いろいろな人たちが居て楽しい職場であった。
新宿に勤務してた頃、私は本社機能として社内のルールや決裁関連を担当していた。
ルールは絶対である。そのルールに従いつつ社内決裁を如何に早く正確に回すかを求められる日々であった。
余裕を持った申請を促しても、「クライアントが急いでいて!」という伝家の宝刀を持ち出された日には、急いで対応せざるを得ない。
結果、残業も当たり前の部署であったが、そんな私の憩いはランチでおいしいものを食べることにあった。
会社が新宿に引っ越したばかりの頃は、今日はハンバーガー、明日は麻婆豆腐、あさってはカレーとナンかな、といった具合で、さながら海外旅行を満喫するかの様に日々のランチを楽しんでいた。
ところが、ある程度食べまわると、お気に入りのお店というものが頭角を現す。
結果、週2回はパスタ、週2回はそば、週1回はそのときの気分でチョイスというルーチンに昇華した。
お店は数え切れないほど存在しているが、一度気に入ってしまうと同じお店ばかり通ってしまう。
これは昔から変わらない私の傾向であった。
パスタを提供してくれるイタリアンのお店は、長めの階段を上った先にひっそり佇み、少し暗めの店内と、それを際立たせるかのようにテラス席がある。
ガラス張りの店内からは、テラス席にある観葉植物の緑と日の光が眩しく、黒いサッシがスタイリッシュさを増している。
そのオシャレさから、客層はほぼ女性だが、年齢は20代からおそらく70代と思われる方まで幅広い。
お昼時には入店待ちの列ができることもしばしばで、私はそれを避ける様に14時頃を目掛けてお店に行っていた。
メニューはいつも決まったものを頼む。
前菜にはボリュームのあるサラダとパン。
その店定番の蟹のトマトクリームパスタ。
そしてドリンクはカフェラテだ。
当時はランチメニューとしてセットとなっており、パスタとドリンクは好きなものを選ぶ。
値段に対し、満足度高いボリュームと美味しさを兼ね備えていた。
サラダはリーフレタスやルッコラなどが「ふわっ」と盛り付けられ、すりおろした玉ねぎが香る淡い緑がかった乳白色のドレッシングで和えられていた。そのドレッシングはサラダそのものの味を引き立てるのに、存在感も持ち合わせている憎いヤツである。
同じ皿に温かいパンが2つ。一つは丸く外側がカリっと、中はもっちりとした触感。割ったときの小麦の香りとほのかな甘みがたまらない。もう一つは定番のフォカッチャ。ローズマリーの香りとしっとり感がよい。パンはそのままでも十分においしいのだが、私はオリーブオイルを少しつけながら食べるのが気に入っていた。
あまりの美味しさに、サラダもパンもすぐに無くなってしまう。いつも、パスタのソースを付けるというところまでパンをもたせることが出来なかった。
メインである蟹のトマトクリームパスタは、きれいなオレンジ色のクリームと乾麺が絶妙に混ざり合い、蟹の身がその上に盛り付けられている。
生麺のモチっと感が苦手な私には、弾ける食感の乾麺で作られたこのパスタが心から気に入っていた。
フォークとスプーンを使って少しかき分けると、一気にアツアツの湯気が立ち、蟹の風味とトマトの酸味が鼻に抜ける。一口頬張ればまさに天国。
2、3口食べた後、私はさらにそこに唐辛子を細かくしたスパイスを3振りする。結構な量になるが、この唐辛子がいいアクセントとなって、蟹のトマトクリームをさらに一段高い次元へ連れて行ってくれる。
タバスコや辛味オイルでは、こうは行かないだろう。
タバスコは酸味があることで繊細な味が変わってしまうし、辛味オイルでは油っこさが過剰になってしまう。
ま、お店にはそれらが無かったので試したことはなく、あくまで想像ではあるけれど。
そんな至福の流れの最後に登場するのが、そう、エスプレッソ少な目のカフェラテである。
どうしても暑い日はアイスにするが、大抵はホットを頼んでいた。
普通より少し白めのフォームミルクに、ブラウンシュガーの塊を2つ。
熱々のカフェラテをスプーンで5回ほどかき混ぜ、私のカフェラテが完成する。
取っ手を持ち、カップを顔に近づける。
エスプレッソとミルクと少し甘い砂糖の香りがのぼってくる。
口をつけると、柔らかい泡とその下に隠された熱いカフェラテが襲ってくる。
さっきまでのパスタの風味が、ここで一気にカフェラテへと姿を変える。
蟹とトマトの去り際の潔さとカフェラテの美味しさが堪らなく愛おしく感じる。
朝から続く仕事の大変さを洗い流し、これから訪れるだろう残業さえも前向きにしてくれるこのカフェラテは、今でも人生の中で3本の指に入る思い出の飲み物である。
その後、会社が新宿から引っ越してしまい、週2で通ったそのお店とも疎遠となってしまった。
当時、慣れ親しんだ定員さんは、カフェラテを頼むとすかさず「エスプレッソ少な目ですね」と付け加え、笑顔を向けてくれていた。
私の「いつもの」を分かってくれる、そんな心地よさが懐かしい。
数年経ってから、ランチの時間にお店を訪ねてみた。
残念ながら、ランチセットはサラダもパンもセレクトメニューとなり、ドレッシングもパンも少しだけど確実に変わっていた。パスタは流行りの生麺に、ホールの定員さんは全て見知らぬ人になり、時の流れを感じずにはいられなかった。
あの定員さんが運んでくれる、エスプレッソ少な目のカフェラテにはもう二度と会うことはできないが、あのときの幸せは今も私の中にしっかり居続けてくれている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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