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あなたは今、どのステージにいますか?

仏教に、

「地獄と極楽の長い箸」

という有名なお話があります。

地獄にも極楽にも、
目の前にはたくさんのご馳走が並んでいて、
そこにいる人たちは、とても長い箸を持っています。

地獄にいる人たちは、
その長い箸を使って、
なんとか自分の口に食べ物を運ぼうとする。

でも、箸が長すぎて食べられない。

「自分が食べたい」
「自分が満たされたい」

と奪い合い、
目の前にはたくさんのご馳走があるのに、
結局、誰も満たされない。

一方、極楽にいる人たちも、
持っている箸はまったく同じ。

ただし彼らは、
その長い箸で向かい側にいる人に
食べさせてあげます。

そして、自分もまた
誰かから食べさせてもらう。

だから、みんなが満たされている。

つまり、

人のためにすることが、
巡り巡って自分の幸せにもなっていく。


そんなことを教えてくれるお話です。



私は、この教えが好きです。

だけど同時に、

この教えをすべての人に
同じように伝えていいとは思っていません。

なぜなら私は、

人には、それぞれステージがある

と思っているから。



「人のために」が、その人を苦しめることもある



たとえば、

ずっと自分のことばかり考えて、
「自分さえ良ければいい」と生きてきた人にとっては、

「人に与える喜びを知る」

という教えが、
人生を大きく変えてくれるかもしれません。

でも、

ずっと家族のため。
パートナーのため。
子どものため。
会社のため。
お客様のため。

そうやって自分を後回しにして、
自分を犠牲にしながら生きてきた人に、

「人のために生きましょう」

「もっと人に与えましょう」

なんて言ったら、

もっと苦しくなってしまうこともある。


そんな人に必要なのは、むしろ一度、

「もう、人のことなんていいから、自分を幸せにしなさい」

という教えなのかもしれません。


自分は何を食べたいのか。

どこへ行きたいのか。

誰といたいのか。

何が嫌なのか。

何をしている時が幸せなのか。

本当は、どんな人生を生きたいのか。

今まで外側の誰かに向けていた愛を、

一度、徹底的に自分へ向けてみる。

私は、このステージを通ることが
とても大切だと思っています。



なぜなら私自身も、

「私を最優先にする」

ということを、
かなり一生懸命やってきたからです。(笑)

自分を愛する。

自分を満たす。

自分の本音を聞く。

嫌なことをやめる。

無理をしない。

人からどう思われるかより、
自分がどう感じているかを大切にする。

そして、

自分の人生を、
自分で選ぶ。

そんな自己愛を、かなり徹底的にやってきました。

もちろん今でも、
自分を大切にすることは変わりません。

だけど最近、

自分の中に少し違う感覚が生まれています。


それは、

「人のために自分の命を使いたい」

という気持ち。


あれだけ、

「まず私!!」

をやってきた私が。(笑)

また、人のために生きたいと思っている。

だけど、

昔の「人のため」と、
今の「人のため」は、

私の中ではまったく違うんです。


同じ「人のため」でも、中身は全然違う。


昔の「人のため」には、

認められたいから、愛されたいから、嫌われたくないから、

が根底にあって、

人のために見せかけた、傲慢な、自分のためでした。

そう、偽善というやつ??w


自分を後回しにして、

自分を削って、

誰かを満たすことで自分の価値を、満たそうとする。



でも今は違う。

誰かが幸せになること。

誰かが笑うこと。

大切な人が
自分らしい人生を歩いていくこと。

そのために自分ができることがあるなら、やりたい。

それが今は、

私自身の喜びでもあるから。



わたくしごとですが、
今、息子が
新しい人生を歩き始めようとしています。

私にも、
自分のために思い描いていた未来がありました。

住みたい場所も、
やりたいことも、
これから叶えていきたい未来も。


だけど、

息子が幸せな人生を歩いていくために
私にできることがあるなら、
できる限りのことをしてあげたい。

そのために、

私が思い描いていた未来を
少し変更することになったとしても、
不思議なくらい、
嫌じゃない。

むしろ、

息子の幸せのために
私の人生を使えることが、
今の私には喜びです。

「それって、自己犠牲じゃないの?」

と思う人もいるかもしれません。

でも、私の中では違う。

なぜなら、

私が、それをしたいから。

「母親なんだから、そうするべき」

でもなく、

「私が我慢すればいい」

でもなく、

誰かに強制されているわけでもない。

私自身が選んでいる。

息子の幸せが、
私の幸せでもあるから。


自己犠牲と献身は、外から見るとよく似ている



私は、
自己犠牲と献身って、
外側から見ると
とてもよく似ているなと思うんです。

同じように誰かを支え、

同じように時間を使い、

同じように何かを護る。

だから、

「自分を優先していない=自己犠牲」

とは限らない。

大切なのは、

その行動が、どこから生まれているのか。

自分を失って、

「本当は嫌だけど」

「愛されたいから」

「嫌われたくないから」

「私さえ我慢すれば」

と誰かに与え続けるのが
自己犠牲だとしたら、

自分を愛し、

自分を満たし、

自分の人生を自分で選べるようになったその先で、

「この人のために、私は喜んで動きたい」

と思えることは、

自己犠牲とは違う。


それは、きっと、

愛の循環”

なのかもしれません。



人生は、円ではなく螺旋



私は、
人にはこんなステージがあるんじゃないかと思っています。


自己犠牲をして、人のために生きる。



そこから自分を取り戻す。



自分を愛する。



自分を満たす。



そして、

もう一度、人へ……。



一見、1周して、
同じ場所に戻ったように見えるかもしれません。

でも、
中身は全然違う。


以前は、

自分を失いながら人に与えていた。

でも今度は、

自分をちゃんと持ったまま、

人に与えることができる。

以前は、

自分を削って差し出していた。

でも今度は、

自分の中から溢れたものを
誰かに渡すことができる。

だから人生は、

円じゃなくて、

螺旋なのかもしれない。

同じ場所に戻ってきたように見えて、

本当は、

ひとつ上の場所にいる。


そう考えると、

「自分を大切にしなさい」

という教えも正しい。

「人のために生きなさい」

という教えも正しい。

どちらが正解で、
どちらが間違いなのではなく、

大切なのは、

今の自分が、どこのステージにいるのか。

なのだと思います。


自己愛の、その先へ



もし今、
誰かのために生きすぎて苦しいのなら、

一度、

人のことなんて考えずに自分を優先してもいい。

長い箸を置いて、

まずは自分を満たしてあげてもいい。

自分を愛して。

自分の望みを叶えて。

自分の本音を聞いて。

自分を幸せにして。

それを中途半端に終わらせず、

「もう十分です。(笑)」

っていうくらい、

自分を愛してあげたらいい。


そしていつか、

自分の器から愛が溢れ始めた時。

自然と、

その愛を誰かのために
使いたくなる日が来るかもしれません。


「自分のため」か、

「人のため」か。

きっと最後は、

そんな境界さえ
なくなっていくのかもしれません。


あなたが笑うと、私も嬉しい。

あなたが幸せになることが、私の幸せ。

私が幸せであることもまた、

あなたの幸せになる。

与える人と、
受け取る人が、
分かれていない世界。


もしかしたら、

それが、

「極楽」

なのかもしれません。


あなたは今、

どのステージにいますか?



そして、

地獄と極楽。

どちらの世界で生きるのも、

すべて自由だから。




本日も

読んでくださりありがとう。



愛織.



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