「遠くへ行きたい」の正体。なぜ私は、行き先もないのに遠くへ行きたかったのだろうか?
読者様へ💌
ごきげんいかがですか?
まめです。
このnoteに興味を持っていただき
ありがとうございます。
これは、私の回復までの記事です。
自分のことを完璧に
理解できたわけでもありません。
ただ、今の私が感じていること。
気づいたこと。
少しずつ変わってきたこと。
それを、
記録として残しておこうと思いました。
もし、あなたも、
「自分の内側がよく見えない」
「何かが足りないような気がする」
「心に、ぽっかり穴が空いているように感じる」
そんな感覚を抱えているとしたら…
この文章の中に、
何か、ひとつでもヒントを
見つけてもらえたら嬉しいです。
私と、あなたでは、
きっと経験してきたことも、
抱えているものも違います。
だから、この文章に書いてあることが
すべての人に当てはまるとは思っていません。
それでも、
「私だけじゃなかったんだ」
「こういう見方もあるんだ」
「少し、自分のことを考えてみようかな」
そんな小さなきっかけになれたら。
それだけで、
この記録を残した意味が
あったのだと思います。
🌼
「遠くへ行きたい」
暗黒期のあの頃、私は、よくそう思っていた。
どこへ行きたいのかは、わからない。
海が見たいわけでもない。
山に行きたいわけでもない。
海外に行きたいわけでもない。
「ここへ行きたい」という場所は、なかった。
ただ、遠くへ行きたい。
遠いところへ行きたい。
そんな願望だけが、ぼんやりとあった。
今になって振り返ると、
これがずっと不思議だった。
なぜ私は、
そんなに遠くへ行きたかったんだろう。
何から離れたかったんだろう。
どこへ行けば、気持ちが楽になると思っていたんだろう。
そもそも。
本当に私は「遠くへ行きたかった」のだろうか。
あの頃の心はドーナツみたいだった🍩
あの頃を思い出すと、
「心が空洞だった」
という言葉が一番近い。
ドーナツみたいに。🍩
外側には、ちゃんと自分がいる。
朝になれば起きる。
人と話す。
やるべきことをする。
笑うこともある。
だから、周りから見れば、
普通に生活していたように見えたと思う。
でも、自分の内側では違った。
何かがない。
何かが抜けている。
でも、その「何か」が何なのかは、
わからない。
悲しいのかな。
寂しいのかな。
疲れているのかな。
怒っているのかな。
それとも、何かを諦めてしまったのかな。
考えてみても、はっきりしない。
ただ、真ん中だけが、ぽっかり空いていた。
外側は、ちゃんと生きているのに、
中心に自分がいない。
そんな感じだった。
「大丈夫?」と聞かれても
今、思えば、
私は「大丈夫」という言葉を、
よく使っていた。
あるとき、誰かに聞かれた。
「大丈夫?」
私は、いつものように答えた。
「うん。大丈夫」
「本当?」
「うん。大丈夫だって」
たぶん、相手は深く考えていなかったと思う。
私自身も、その場では深く考えていなかった。
でも今になって振り返ると、
あの「大丈夫」は、
相手に向けた言葉というより、
自分自身に
言い聞かせていた言葉だったのかもしれない。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
そう言っていれば、
本当に大丈夫になれるような気がしていた。
「何がつらいの?」と聞かれると、困った
これも、今でも覚えている。
「最近、ちょっと元気ない?」
そう聞かれる。
「そうかな?」
「なんか、疲れてるように見える」
「そう?」
「顔が変わったような気がする」
「うーん……」
何か答えなければいけない。
でも、何を答えればいいのかわからない。
「何がつらいの?」
そう聞かれても、
「わからない」
としか言えない。
だって、本当に、わからなかった。
一つの出来事ではない。
誰か一人のせいでもない。
「これが嫌なんです」と言えるものでもない。
だから、
「なんとなく」
だった。
なんとなく苦しい。
なんとなく空っぽ。
なんとなく疲れている。
なんとなく、ここではない場所へ行きたい。
今思えば、
この「なんとなく」の中に、
たくさんの感情が
折り重なっていたのかもしれない。
感情を押し込めることに、慣れすぎていた
悲しくても、
「大丈夫」
と言う。
嫌なことがあっても、
「まあ、いいか」
で済ませる。
腹が立っても、
「別にいいよ」
と言う。
寂しくても、
「一人で大丈夫」
と言う。
本当は嫌なのに、笑う。
本当は苦しいのに、平気な顔をする。
そうやって私は、
いろいろな感情を自分の中へ押し戻していた。
そのときは、
それが自分を守る方法だったのだと思う。
我慢すれば、その場を壊さずに済む。
「大丈夫」と言えば、心配をかけずに済む。
何も言わなければ、説明しなくて済む。
だから、
感情を抑えること自体が
悪かったわけではない。
ただ。
そのやり方を、
長いあいだ続けすぎたのかもしれない。
「何も感じない」のではなく、「感じないようにしていた」
今の自分から、あの頃を俯瞰してみる。
もしかすると私は、
「何も感じなくなった」
のではなく、
「感じないようにすることに慣れてしまった」
のかもしれない。
悲しい。
でも、泣かない。
腹が立つ。
でも、怒らない。
嫌だ。
でも、「いいよ」と言う。
寂しい。
でも、「大丈夫」と言う。
そうやっているうちに、
「私は本当は何を感じているんだろう?」
ということまで、
わからなくなっていった。
感情が消えたわけではない。
ただ、自分の感情と自分との間に、
少しずつ距離ができていたのかもしれない。
そして、「遠くへ行きたい」が出てきた
そんな時期に、
「遠くへ行きたい」
という願望が出てきた。
ある日、ふと、
「もう、遠くへ行きたいな」
と思う。
でも、
「どこへ?」
と自分に聞いても、
「……わからない」
となる。
「じゃあ、何をしに?」
「それも、わからない」
「旅行したいの?」
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