過去の自分が絶対選ばなかった選択肢をあえて選ぶ

今日の自分は過去の自分が選択した結果でできている。
これ、2年前に不当解雇されてから気付いたことの一つです。

理不尽なことが起こると誰かのせいにしたくなるというか、自分以外に原因を求めたくなるというか、解雇された当時のぼくは、やり場のない怒りをどこにぶつけていいかまったくわからなくなってました。
自分は何も悪いことをしていないのになぜこんな目に合わなければならないのか。
これから一体どうすればいいのか。
この状況を作った張本人とは一切連絡取れなくなるし、割と途方に暮れてました。

その後、再就職先を探したり職業訓練を受けてみたりしたのですが、とにかく何もかもうまくいかない。
厄介なことに、なんとか前向きにがんばろうと自分を奮い立たせたタイミングで、「結局会社破産しちゃいましたー(てへぺろ)」とか、「裁判所から連絡来るはずだからそこんとこよろしく!」とかいう連絡が入ってきたりして、そのたびに必死で目を背けていたうらみつらみ怒りがむくむくと膨れ上がってくるわけです。

でもそういう負のエネルギーなんてその場限り、たいして長くはもちません。
そしてリバウンドがえぐい。
怒りにとりつかれていた自分に対して自己嫌悪するし、不意に状況が何も変わっていないことに気付いて絶望する。
なんでこんなことになってしまったのかと自問自答する日々。
そんなことを繰り返していれば気持ちがどんどん沈んでいきます。
泥沼です。

そんな時、ぼくの戦友というか解雇友達がこんなことを言いだしました。

「わたしもうメンタルがやばいので、フィジカル強くするためにキックボクシングに行ってきます」

それまでのぼくだったら、たぶん「へー、いいね」で終わっていたはずです。
でもその頃のぼくの中では、ある考えがまとまりかけていました。
それが冒頭の、
「今日の自分は過去の自分の選択した結果でできている」
です。

ぼくはずっと、不当解雇された自分のことを、事故に巻き込まれた被害者だと思っていました。
でも、あれって本当に事故なのか?

ぼくは不正を行うような会社に無理やり放り込まれたわけではありません。
不正を予測なんてことは不可能だったとはいえ、入社するという選択をしたのはぼく自身です。
入社前、絵を描いて独立するか、再就職するかという選択肢から再就職を選んだのもぼく。
それまで転職を繰り返したのも、高校を中退して音楽活動を始めたのもぼくの選択です。

そうやって考えると、今のぼくはこれまでのぼくが選んできた選択の結果なんじゃないか。
なるべくして今の自分がいるんじゃないか。
そんな風に考え始めてました。

じゃあ逆に、これまでのぼくだったら絶対に選ばなかったような選択をすれば、今とは違う自分になれるんじゃないか。

そしてぼくは、気がつけばキックボクシング体験に申し込んでいたのでした。
運動なんかまともにしたことない、運動することにこれっぽっちも興味がない、それどころか体育会系を毛嫌いしてさえいたこれまでの自分だったら、絶対に選ばなかった選択肢です。

それから1年ちょっとが経ちました。
ぼくはキックボクシングを続けています。
そして、アラフィフにして自分史上最高に健康で強い体を手に入れました。
これはあの時のぼくが、それまでのぼくだったら絶対に選ばなかった選択をした結果です。


SNSを本格的に始めることにしたのも、まったくもってぼくらしくない選択です。
実にぼくらしくない。

もともとぼくはSNSというものが大の苦手です。
古くはミクシィ(なつかしい)に始まり、Facebook、Twitter、instagram、割とあれこれ手を出してきましたが、ことごとく好きになれませんでした。
「SNSのおかげで誰もが発信できる時代になった」とかいう話も、ぼくにはあまりピンとこなかったというか。

なんというか、発信したいことがない。
ぼくが今日何を食べたかなんて誰も興味がないだろうし、逆に見知らぬ誰かがナイトプールを満喫している写真にいいねする気にもなれない。

あと、どのSNSも初期のころは牧歌的な雰囲気があったように思うのですが、SNSマーケティングが流行したり企業のオフィシャルアカウントが当たり前になってきだしたあたりからどんどん殺伐としてきたというか、どのSNSもぼくには戦場のようにしか見えなくなっていきました。
欲望が渦巻きすぎているし、ゴシップとお金の話ばかりだし、実際あちこちで燃えたり大爆発しているし。
もう近よるだけで怖い。

だから、普通に考えたら、ぼくがSNSを本格的に始めるという選択をするわけがないのです。
でもふと、これまであれこれやらない理由を並べ立てて自分を正当化していただけなんじゃないか、と思いました。
これまでSNSをやらないという選択をし続けた結果が今のぼくであって、これまでのぼくが選ばなかったであろう選択肢、つまり、SNSを本格的に運用してみるという選択をすれば、これまでとは違うぼくになれるんじゃないか。

そう思ったぼくは、まさかの一番苦手で一番敬遠していたXに手を出したのでした。

でもその結果、劇的ではないにせよぼくの書いたnoteの記事を読んでくれる方が増えましたし、ぼくがnoteの再開を決意するきっかけになったお方から、Xでリアクションをもらって舞い上がるという、これまでにない経験をすることに。
これも、これまでのぼくだったら絶対に選ばなかった選択をした結果です。


過去の自分が絶対に選ばなかった選択肢をあえて選ぶ。
これ、結構怖いです。
そもそもなぜ今まで選んでこなかったかと言えば、そちら側の選択肢に可能性を感じなかった、もしくは苦手意識があったからだと思います。
単純にびびったとか。
そんな選択肢を自ら選ぶというのはかなり勇気のいることです。

今の自分に満足しているのであれば、わざわざそんなことをする必要はないと思います。
満足している現状をリスクを冒してまで変える必要なんて全くありません。
でももし、今の自分に不満があるんだったら、今の自分のおかれている現状に不満があるんだったら、これまでと同じ選択を続けている限り何も変わらないと思うのです。

変わらないだけならまだいい。
いつも通りの選択を続けていることで、少しずつ状況が悪化していっているかもしれません。
自分でも気づかないぐらい、ゆっくり、ゆっくり。

ぼくの場合はそうでした。
進んでいるように見えて、停滞していた。
停滞しているように見えて、実は少しずつ悪化していた。

その結果が、2年前、会社の不祥事に巻き込まれて無職になったぼくです。
だからこの先、またこれまでと同じ選択を続けていたら、その先に待っているのは今より途方に暮れているぼくかもしれない。

「過去の自分が絶対選ばなかった選択肢をあえて選ぶ」は、これまで選んでこなかった可能性を選択をするということです。
これは博打でもただの逆張りでもありません。
言ってみれば、可能性の拡張です。


なにも、人生の重要な選択でわざわざリスクのある選択をしようと言っているのではありません。

日常的な、ちょっとした選択でも、この「過去の自分が絶対選ばなかった選択肢をあえて選ぶ」はできます。
たとえば、自宅への帰り道。
もう何年も同じ道を歩き続けているんじゃないでしょうか。
もう道を選択している意識すらないはず。
だから、いつも右に曲がるところを左に曲がってみる。
いつもとは違うコンビニに寄ってみる。
これだって、立派な「過去の自分が絶対選ばなかった選択肢をあえて選ぶ」です。

その結果、新しいお店を発見するかもしれないし、近所に住んでいるかわいい猫に出会えるかもしれない。
実は選んだ道の方が近道で、通勤時間が5分短縮できるかもしれない。

脳って、いつもと違う刺激を受けると活性化するそうです。
ちょっとした「過去の自分が絶対選ばなかった選択肢をあえて選ぶ」を実行するだけで、脳が活性化して新しいアイデアを思いつくことだってあるかもしれません。

「なんとなく」とか「ちょっと苦手」とか、そういう理由で選んでいる選択肢ってありませんか?
その時、「過去の自分が絶対選ばなかった選択肢をあえて選ぶ」をやってみる。
その結果、これまでとはちょっと違う自分になっている可能性があるとしたら、やってみる価値はあると思うのです。

個人的には「いちばん簡単な自分の変え方」だと思っています。

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