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第6話 ランウェイの向こう側

第1話から3話では、夢を失い、子どものいない人生を受け入れるまでを綴りました。
第4話からは、「もっとやりたい」と思えるものに出会い、「これから私はどう生きていきたいのか」を考え始めます。
そして45歳で、パリの刺繍学校へ。もう一度、自分の人生を歩き始めるまでを書いています。

刺繍学校へ通い始めてから、毎日の景色は少しずつ変わっていった。大きな刺繍枠を抱えて電車を乗り継ぎ、三時間の授業を受ける。

帰宅すると、その日の復習と宿題。気づけば夜になり、また朝が来る。一日中刺繍をしていても、進むのはほんの数センチ。

「こんなに時間をかけても、これだけ。」

そう思う日もあった。それでも、不思議と苦ではなかった。ビーズ、スパンコール、リボン
新しい技法を知るたびに、それまで知らなかった世界が少しずつ広がっていく。

上手くできず、何度もほどきやり直す。
その繰り返しだった。それでも毎朝、クロシェ(かぎ針) を持てることがうれしかった。

少しずつでも昨日より前へ進める感覚が好きだった。

「もっときれいに。」
「もっと知りたい。」

気づけば、「これからどうしよう」と考え続けていた日々は遠くなっていた。目の前の一針だけに夢中になれる時間が、少しずつ私を前へ運んでくれていた。

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課題が終わりに近づくと、次は仕事を探さなければならなかった。プロになれるなんて思ってはいなかった。学校へ申し込んだときと同じだった。

「できるか分からない。でも、やってみよう。」

その気持ちだけだった。刺繍アトリエを探し、一件、また一件と履歴書を送ったけれど、
返事はなかった。何週間待っても、何の連絡もなかった。

「やっぱりそうだよね。」

そう思いながらも、不思議と後悔はなかった。もし仕事にならなくても、刺繍は趣味で一生続けたい。そう思えただけで十分だった。

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それから数か月後。一本の電話が鳴った。
刺繍の仕事の依頼だった。

「本当に私ですか?」

思わず聞き返したくなるほど信じられなかった。うれしい。でも、怖い。
期待に応えられなかったら。失敗したら。
前日はほとんど眠れなかった。

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アトリエには、職人さんたちが黙々と針を動かしていた。学校とはまったく違う空気だった。渡された材料を前に、私は小さく息を吸う。

学校では教えてもらえた。でも現場では誰も手を止めない。ファッションショーの日程は待ってくれない。

「大丈夫。」

そう自分に言い聞かせながら、最初の一針を刺した。あの緊張は、今でも忘れられない。
学校では「美しく刺すこと」を学んだ。
現場では、その先にあるものを学んだ。

美しさ。
そして、速さ。
それがプロだった。

フランス語が聞き取れず戸惑うこともあった。そんなとき、近くの職人が手を動かして教えてくれた。その優しさに何度も助けられた。

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家へ帰ると、疲れているはずなのに眠れなかった。緊張がまだ体の中に残っていた。
それでも心は満たされていた。

うまくできなかったこともある。
悔しさも残った。でも、逃げなかった。
それだけで十分だった。

あの日、学校へ申し込んでよかった。
履歴書を送ってよかった。心からそう思えた。

それから少しずつ仕事をいただけるようになった。一歩進むたびに、また次の扉が開く。
そんな不思議な追い風を感じていた。

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やがて、自分が刺繍を担当したドレスやジャケットが、パリコレクションのランウェイを歩く日がやってきた。

画面の向こうを歩くモデルを見ながら、
私はしばらく言葉を失っていた。
あの服のどこかに、私が刺した一針がある。

高校生の頃、妹と夢中でテレビで見ていたパリコレクション。まさか、その世界の一部になる日が来るなんて思ってもいなかった。

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三十六歳の私は、パリで何度も自分に問いかけていた。

「私は何者なんだろう。」

あれから十数年。
今の私は、その問いに静かに答えられる。

私は刺繍職人です。

その答えにたどり着くまで、ずいぶん遠回りをした。でも、その遠回りがあったからこそ、今の私がいる。私にとって人生は、大きな決断で変わるのではなかった。

毎日自分と向き合う時間を作ったこと。
本屋で一冊の本を手に取ったこと。
学校へ申し込んだこと。
怖くても、一歩踏み出したこと。

振り返れば、人生はそんな小さな選択の積み重ねだった。

今日も私は、パリのアトリエで静かに針を持つ。布の上に、一針ずつ糸を重ねながら。

そしてこれからも、
刺繍を通して、誰かに何かを伝えていきたい。
レッスンをしたり、新しいことを始めたり。
まだ、これから何が待っているのかは分からないけれど

でも、45歳のあの日と同じように、
「できるか分からない。でも、やってみよう。」そんな気持ちを忘れずにいたい。

人生は、まだ続いている。
私の次の一針も、
きっとどこかへつながっている。



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