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SNSやショート動画に潜む「いじめの構造」と、私がnoteを好きな理由

どうも、まさたかです。

最近、SNSやショート動画を見ていて、ちょっと息苦しくなることありませんか?

パッと見てサクッと情報が手に入るのは本当に便利で楽しいんですが、ふとした投稿の「そこだけ」を切り取って、ものすごい熱量で怒っている人、けっこう見かけますよね。

「いやいや、そういう意図で言ってないでしょ」

「たしかに言葉足らずかもしれないけど、そこまで悪意全開で叩かなくても……」

そんなふうにモヤモヤすることが増えました。

もちろん、度を越した暴言や差別、デマなんかはちゃんと指摘されるべきです。

でも最近の「批判」って、ただの「攻撃」というか、ストレス発散と見分けがつかなくなってきている気がして…

なんかこれ、学校の「いじめ」の空気にすごく似てるんですよね。

そもそもSNSって、とにかく言葉が短いじゃないですか?

すぐ見てすぐ反応できるテンポの良さは最高なんですが、人の考えって、そんな数秒や数十字で伝えきれるほど単純じゃないんですよね。

たとえば「会社の飲み会はもう行かない」って一言でも、「飲み会文化へのアンチ」なのか、「行けない人がハブられる空気への愚痴」なのかで、意味は全然違ってきます。

言葉が短いと勢いは出ますが、そのぶん「前提」や「背景」、あるいは「例外への配慮」がすっぽり抜け落ちやすくなりますよね。

そうするとどうなるか?

読んでる側が、自分の過去の嫌な記憶やコンプレックスで、その「余白」を勝手に埋め始めちゃうんですよ。

投稿者はただ「あるある」を言ったつもりなのに、読んだ人は「私が責められた!」と受け取って激怒する。

こういうすれ違い、SNSでは日常茶飯事ですよね。

コメント欄が地獄みたいになっているとき、「この人たち、本当に本文を読んで怒ってるのかな?」って不思議に思うことがあります。

育児、お金、学歴、働き方……こういう人生に直結するテーマだと、もはや投稿の文脈なんてどうでもよくて、自分の中の溜まりに溜まった鬱憤を、ただその投稿にぶつけているだけに見えることもあって。

文字を追ってはいるけれど、頭の中は自分の感情でいっぱいで。

そりゃコメント欄も荒れていくわけです。

で、これがなんで「いじめ」に似てるかというと。

いじめてる側って、「ただいじってただけ」「ノリだったし」「あいつにも原因がある」って、自分のやってることを小さく見積もって正当化するじゃないですか。

SNSの炎上も構造は全く一緒なんですよね。

「間違ってるから指摘しただけ」
「嫌なら発信するな」
「お前に問題がある」

ってなりますでしょ?

たしかに、言葉を世に出す以上、反応が返ってくるのは当たり前ですし、そもそもの投稿が炎上を狙っていたり誹謗中傷を発しているものは論外ですが…

でも、だからって「何言ってもいいサンドバッグ」にしていいわけはありません。

批判って本来「内容」に向かうものですが、攻撃は「人」を壊しにいってますからね。

一番怖いのは、一人ひとりは「ちょっと一言物申しただけ」のつもりでも、それが何百、何千と束になって飛んでくること。

しかもそこには観客がいて、誰かの強い言葉に「いいね」がつく。

その流れを見た人が「あ、この人は叩いていい場所なんだ」と勘違いして、怒りが次の怒りを呼ぶ。

やっぱりこれ、いじめの構造そのものですね。


だからこそ、僕はnoteが好きなんです。

いや、noteが絶対に安全なユートピアだ!

なんて言うつもりはありません。

でも、ここにはまだ「ちゃんと文章を読む」っていうユーザーさんと文化が確立している気がします。

書き手も前提を丁寧に説明できるし、書きながら迷っている様子もそのまま残せる。

「まだ答えは出てないんだけど……」っていう曖昧な状態を、曖昧なまま置いておけますしね。

X(Twitter)などの短文だと、どうしても「賛成か反対か!」「正しいか間違ってるか!」「敵か味方か!」みたいな二極化に引っ張られがちです。

でも、人間の本音ってそんな白黒ハッキリしてないじゃないですか。

「正しいとは思うけど、なんかモヤる」「共感するけど、そこまでは乗れない」「反対だけど、あの人の背景もわかる」みたいな、割り切れない感情を置いておける場所って、今すごく貴重だと思います。

長い文章が偉いってわけじゃないんです。

特に私の記事の多くが5000字を超えてるから離脱者の方が多いんです。

でも、それを面倒な長文を超えて、私のイシューを掴みながらコメントまで寄せてくださるクリエイターや読者の方に出会える喜びが大きすぎて、このスタイルにしてるんです…笑

一方で、誤解されやすいテーマや、人の人生に触れるようなセンシティブなテーマを語る時、文章が短すぎることは時に「危うさ」になります。

「こういう人もいるよね」「全部が全部そうじゃないけど」っていう、一見まどろっこしいエクスキューズが、実は人を傷つけないための大切なクッションだったりするんですよね。

今、私たちに必要なのは「感情で反応して論破する力」なんかじゃなくて、むしろ「ちょっと遅れて読む力」なんじゃないかなって思います。

「この人は本当にそんなひどいこと言ってる?」

「自分は今、文章じゃなくて自分のトラウマに怒ってないか?」

そうやって、一呼吸置く余裕とでもいいましょうか。

私自身、いつも完璧にできるわけじゃないけど、意識はしておきたいと思っています。

相手を雑に消費しないことは、自分が集団の空気に飲み込まれないための防衛線でもありますからね!

批判するなら内容に。
人を壊す言葉は使わない。
短い言葉だけで相手のすべてを決めつけない。

これからも、誰かを叩くためじゃなく、誰かと一緒に考えるために言葉を紡いでいきたいなぁなんて思っています。

そんな当たり前のことを、これからも忘れずに、引き続きnoteを更新していきますね!

それでは、また次の記事でお会いしましょう。

まさたかでした。

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