感情とは何か #1 精神科医になれなかった私――患者さんに届く言葉を探して
これから書く話は、新しい理論の提案ではありません。私が診察室で、実際に患者さんに使い、「伝わった」と感じてきた説明を、言葉にしたものです。
当事者やご家族の方はもちろん、日々、患者さんやクライアントに向き合っておられる医療・支援職の方にも、読んでいただければと思っています。専門書に書かれた理論を、そのまま患者さんに伝えるのは難しいものです。この連載の中の言い回しを、一つでも二つでも、日々の診療や支援の中に持ち帰っていただけたら、それだけで十分です。
はじめに この連載が生まれるまで
なぜこの連載を書こうと思ったのか。その話をするために、少し遠回りをする。
私は、幼いころから人の心の動きに強い関心を持っていた。医学部を志した時点で、精神科医になることはすでに決めていた。
それでも、研修をどこから始めるかを考えた時、まずは内科など、身体を診る力をつけるべきではないかと悩んでいた。そんな時、友人が最初に精神科を回ると聞いた。それだけのことで、ふと気持ちが軽くなった。私は、精神科から始めることにした。
研修は、思った以上に楽しいものだった。同期の研修医たちは、それぞれ熱意を持っており、大変刺激になった。私はこの道に進むことに決めた。
だが、そのまま進んでいくことにはまだ迷いがあった。何か、確かな足場がほしかった。そこで私は、まず研究の世界に入ることにした。
研究から開業を決意するまで
私は当時、はやり始めていた分子生物学の研究チームに加わった。仮説通りにいかないことも多かった。目の前で起きていることを丁寧に見て、なぜそうなるのかを一から考え直す。その繰り返しだった。そこで身についた、物事の仕組みを考える癖は、今も私の基礎になっている。
その後、いくつかの病院での診療にあたった。そこで、人生の方向性を大きく変える出来事があった。
今も鮮明に覚えている。想像を絶する光景を、私はテレビで固唾をのんで見ていた。その静寂を破るように、笑う人がいた。
その笑いが何を意味していたのか、今も分からない。ただ、長年、自分を騙しながらなんとか折り合いをつけてきたバランスが、その一瞬で完全に崩れ去った。
ここにいてはいけない。
そう思った。理屈ではなかった。そこを離れ、自分のやり方で患者さんと向き合える場所を持ちたかった。
開業、そして限界
開業して11年になる。大きく変わったのは、診る患者さんだった。不安や気分の不調を抱える患者さんが、圧倒的に多くなったのだ。
当初は薬物療法を中心に診療し、症状がよくなる方は多かった。しかし、それだけでは十分に届かないと感じることも多かった。
そこで私は、エビデンスの積み重ねがある認知行動療法を、独学で学び始めた。
しかし、浅い理解のまま患者さんの認知再構成(否定的な考え方のクセを、より現実に即した見方へと置き換えていく技法)を試み、むしろ患者さんの怒りを買ってしまった。
「理屈ばかり言いやがって」
そう言われた。次の回、その患者さんが、私の外来に訪れることはなかった。
二つの転機
独学での限界を感じた私は、認知行動療法の研修を、手当たり次第に受けるようになった。その中で、二つの大きな転機があった。
まずは、CPT(認知処理療法)研修である。PTSDを抱える患者さんへの治療法で、この研修を通して、患者さんの自然な反応を無理に抑え込もうとすることが、かえって苦しみを長引かせることがあると学んだ。
この気づきで、私の目からうろこが落ちた。患者さんの苦しい反応を、ただ取り除くべきものとして見るのではなく、その反応がなぜ続いているのかを考える。それ以降、認知行動療法の理解は急速に進んだ。
次の転機はUP(統一プロトコル)だった。UPでは、感情を生命を守るために必須のものととらえる。感情を回避することが、病状を固定化させていくと考える。
このシンプルな考え方が、全体を貫いていた。自分の求めていたものを、ようやく見つけた感じがした。
それ以来、この考え方をどういう形で患者さんに伝えるか、工夫を繰り返すことになった。その試行錯誤のなかで、精神科の基本ともいえる「関与しながらの観察」(患者さんとの関係の中に身を置きながら、その心を理解しようとする姿勢)という言葉を思い出した。
こちらの働きかけに、患者さんは時に涙し、時に笑う。そのやり取りの中で、今、目の前の患者さんが何を感じているのかを、少しずつ想像できるようになってきた。
私はようやく、精神科医になれたのだ。
そして、その先にもう一つ探していたものが見つかる。
子どもにも届く言葉
この試行錯誤の中で、大きな支えになったのが、厚生労働省の認知行動療法研修で受けたスーパーバイズだった。初めに、堀越勝先生に指導していただく機会を得た。先生には、認知行動療法には、構造化された中にも自由があることを教えていただいた。
次いで、小児精神科医の岩垂喜貴先生にも指導していただく機会を得た。私がある患者さんの診察の中で使っていた「モヤモヤをお薬にたとえる」説明を、先生がほめてくださったのだ。
それが、うれしかった。
学会で発表するような、専門家向けの言葉ではなく、子どもにも届く言葉。それこそが、私がずっと探してきたものだったのだと、あらためて気づかされた。この連載を書こうと思った動機の一つは、間違いなく、この一言にある。
この連載の言葉は、診察室の中から生まれてきたものである。ここから先、私が実際に使ってきた説明を、順を追って書いていきたいと思う。
次回、ある患者さんの話から始めます。
「落ち着け」と自分に言い聞かせて、本当に落ち着けた人は、どれくらいいるのでしょうか。
