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明朝体の文章

自分の記事を読んでいるとかすかな違和感があるのでこのごろnoteでなにかを書こうとしてもいまいち筆が進まなかったのだけど、ふと記事の書体を明朝体に変えてみた途端にしっくりきて驚いた。たったこれだけの変化で落ち着いてしまうのだからよくわからない。私の文章はいつの間に明朝体になったのだろう。

noteを始めた当初、何度か明朝体とゴシック体を行き来したことがあり、最終的に私の文章はゴシック体のほうが収まりがいいという結論に至って5年間そうしていた。ところが最近の記事をゴシック体で眺めてみると、なんだか丸みが強すぎて合わないのだ。そう感じているのは私だけで、実は今もゴシック体のほうが合ってるじゃないの、と思われる方もいらっしゃるかもしれないけれど。

それにしても、昔(とはいってもほんの数年前)の記事を読み返すとびっくりする。やたら改行が多いし、一文一文が短くて軽くて、なんだか浮ついている。重力がない感じ。同じ人間の書く文章なので根本的な部分は変わらないし、他人から見れば些細な違いかもしれないけれど、個人的にはずいぶん文体が変わったと思う。

あのころに比べると、書きたいことも書けることもかなり増えた気がする。単純に書く話題そのものだけでなく、目の前にある事象をどのように書くかとか、どんなふうに感じるかとか、そうした細かな出力も含めて。

それで文章が徐々に長くなってきて、実は今のひとつの記事あたりの文章量は初期のころの文章量の倍近くにまでなっている。決して長く書こうと心がけているわけではなく、書きたいことを書いて納得のいくタイミングで収められるまでの量が増えてしまったのだ。
短くまとめられるのもいいのかもしれないけれど、私の場合、文章が短くなればなるほど私らしさを出せずに終わってしまうきらいがある。ほんとうは短く簡潔に、それでいてひと目で皐月まうとわかるくらいの文章が書きたいものだけれど、あいにく私はそこまでの光る個性を持ち合わせていない。


ゴシック体が似合っていたころの文章もふわふわしていたけれど、明朝体で最近の文章を読んでみると、これはこれで別の意味でふわふわして見える。メルヘンチックな夢の中にいた文章が、今は夜中にソファでうたた寝したときに見る夢みたいになった。
※あくまでイメージであり、私の文章はメルヘンでもなければ真夜中のムーディな雰囲気もない。

ゴシック体の私の文章のほうが好きだった人は多いかもしれないけれど、私は今の明朝体の文章のほうが好き。昔に比べて、私は私の書くものをコントロールできるようになってきた。思い通りに書けると私という人間がそのまま文章に立ち表れやすく、私自身と文章との距離感が近くてなにかとやりやすい。

5年間、そしてあと半年もすれば6年になるけれど、この期間に私はなにかを確実に積み上げてきたのだと思う。劇的な成長はしなかったし、大学生だった私は社会人になっただけで今も変わらず私のままだけれど、手応えがないわけではない。

積み上げたものを上手に活かすべく、今もマイペースながらそれなりに奮闘を続けている。ただしこれが実ったとしても実らなかったとしても、きっと無駄になることはないだろう。書くことは死ぬまでできるのだから。

(でも記事を書くときはゴシック体で表示されてしまうので、明朝体のまま執筆することができるようになればいいのにな、とは思う)


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