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虫も食わない街で、私たちは何を失ったか── 消えゆく小さな生命と、断ち切られた循環の輪 ──

 今年初めて蚊に刺されたとき、私は妙な安堵を感じた。
  痒みは不快だ。しかしその不快さの中に、「まだ自分は自然の一部だ」という確認がある。蚊が私の血を選んだということは、私の身体がまだ生き物として認識されているということだ。これは当たり前のことのようで、今の時代においては当たり前ではないかもしれない、と思い始めている。
 
 ある友人は「私はほとんど蚊に刺されない」と言った。体質の差だろうか。しかしその言葉が、どこか違う場所で引っかかっている。

一 記憶の中の毛虫と、沈黙する庭
 
幼い頃、実家の桜の木は毎年毛虫に覆われた。親は顔をしかめ、枝を剪定し、薬を撒いた。私たち子供は半ば怯えながら、半ば好奇心で、うごめく毛虫の群れを眺めていた。今思えば、あの「気持ち悪さ」は、生命の過剰さそのものだった。
 
 あの毛虫たちを、今は見ない。
 
 毛虫だけではない。ハエ、ナメクジ、ミミズ──かつて日常の風景の隅々に存在していた小さな生き物たちが、静かに、しかし確実に姿を消している。街の清潔さは年々増している。しかしその清潔さと反比例するように、土の気配が消え、湿った匂いが消え、翅音が消えていく。
 
 農地では除草剤と農薬が大量に散布され、かつて土壌の健全さの指標だったミミズを、掘り返しても見つけられない土地が増えている。害虫を排除した結果、土壌の生態系そのものが静止してしまった。生態学はこれを「沈黙の春」と呼んだが、それは半世紀以上前の警告だ。沈黙は今も深まり続けている。
生命の気持ち悪さとは、生命の過剰さの別名だ。それが消えるとき、豊かさも一緒に消える。
 
二 腐らない身体という鏡
 災害の検死現場から囁かれてきた噂がある。「現代の遺体は腐敗が遅い」という話だ。
 
 科学的な検証は難しい。しかしこの言説が、妙なリアリティをもって広がる理由はわかる気がする。私たちは日々、数ヶ月放置してもカビひとつ生えないコンビニ弁当を食べ、防腐剤・保存料・着色料・抗生物質を体内に蓄積させながら生きている。
 
 もし身体の組織がそれらの化学物質で満たされているとしたら、自然界の微生物や虫たちが「これは食べ物ではない」と判断したとしても、論理的には不思議ではない。腐敗とは、土に還ること。自然の循環に戻ることだ。それを微生物が拒むとき、私たちは循環の外に置かれている。
 
 蚊に刺されない身体。微生物に分解されない身体。それは清潔さの極致なのか、それとも生態系から「異物」として認識された身体なのか。私にはわからない。しかし、どちらの可能性も、同じくらい不穏だ。

三 無菌室の先にある荒野
 
 現代の街は美しい。ゴミは見えない場所に隠され、虫は殺され、雑草は除かれ、泥は舗装に覆われる。どこを歩いても清潔で、快適で、不快な刺激が排除されている。
 
 しかしこの「美しさ」の正体は何か。それは生態系の多様性を代償として手に入れた、人工的な無菌室ではないか。
 
 生物学において、多様性の喪失は脆弱性の増大を意味する。単一の作物だけを育てる農地は、ひとつの病原体で全滅する。多様な微生物のいない腸は、些細な変化で崩れる。多様な生命のいない土壌は、やがて作物を育てる力を失う。清潔さとは、均質化のことだ。そして均質化は、外からの衝撃に極端に弱い。
 
 「虫も食わない」という古い言葉がある。虫すらも相手にしない、価値のないものを指す表現だ。しかし現代において、この言葉の矢印は反転している。虫が来ない環境、虫に刺されない身体、虫に分解されない食べ物──これらは「清潔で価値のある状態」として称賛される。しかし本当にそうか。虫に認識されないものが、土に認識されないものが、自然の循環に参加できているといえるのか。
清潔さとは均質化のことだ。均質化された世界は、外からの小さな衝撃で一気に崩れる。
 
四 痒みという「生」の証明
 
 蚊に刺されて痒いことを、私は今年から少し違う目で見ることにした。
 
 その痒みは不快だ。しかし同時に、証明だ。私の身体は、まだ地球の生態系の中に「生き物」として組み込まれている。蚊が私の血を選んだということは、私の身体が自然の循環の中にある素材として機能しているということだ。
 
 光種哲学において、生命は宇宙コードの「流れ」の中にある。精・気・神が満ちているとき、人は宇宙の循環に参加している。しかし化学物質で身体を固め、添加物で細胞を覆い、生態系から「異物」として扱われ始めるとき、その流れは断ち切られる。虫に刺されないことは、その断絶の一つの症状かもしれない。
 
 消えゆく虫たちの沈黙は、単に環境問題の統計ではない。それは、私たちが宇宙の循環から少しずつ切り離されていく過程の、静かな通知だ。コンクリートの隙間で今も生きようとしている小さな生き物たちは、循環がまだここにあると、羽音で告げている。
 
 その羽音に、耳を澄ますこと。
 
問いは、終わらない。
土もまた、答えを持っている。
 

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