娘が撫でた苗は、なぜか元気だ。そんなラララ。
https://www.youtube.com/watch?v=jKNgjAmyqQI
なぜか、娘が撫でた苗は元気に見える。
まだ田んぼに植える前の、苗箱の中の稲である。
気のせいかもしれない。
たぶん気のせいだ。
でも人間という生き物は、都合のいい気のせいをわりと大事にする。
どうも
ちっぽけな縁起を担いで、右足から家を出るナオです。
神頼みならぬ、幼児頼みである。
苗箱を見ていると、
同じように種をまき、
同じように水をやり、
同じ場所で育てているつもりでも、微妙に育ち方が違う。
色の濃いもの。
少し伸びのいいもの。
なんとなく頼りないもの。
水か。
温度か。
日当たりか。
土か。
はたまた僕の人徳か。
最後の可能性は、かなり低い。
そんな苗箱のひとつを、娘が何気なく触った。
すると、どうもその苗だけ元気に見える。
もちろん、娘に特殊能力があると言いたいわけではない。
いや、少しは言いたい。
親というのは、自分の子どもにだけ、
少し不思議な力を見たくなる生き物である。
寝顔は天使に見える。
泣き叫んでいる時は、小型の台風に見える。
同じ存在なのに、気象条件が違いすぎる。
苗箱の中の稲は、まだ頼りない。
田んぼに根を張る前の、準備期間である。
けれど農業では、この時期がとても大事だ。
苗が弱ければ、田んぼに出てから苦労する。
最初の小さな違いが、あとから大きく効いてくる。
子育ても、たぶん少し似ている。
今すぐ結果が出るわけではない。
何ができるようになったか。
どれだけ早くできたか。
つい、そんなことを見てしまう。
でも本当は、もっと手前の、
見えにくい時期に大事なものがあるのかもしれない。
触れた手。
かけた声。
一緒に見た朝の光。
泥の匂い。
そういうものが、あとから根になる。
と、親バカなりに、そう信じている。
田舎で子育てをしていると、子どもと作物の距離が近い。
土を触る。
水を触る。
苗を触る。
大人から見れば、作業の邪魔になることもある。
正直、ある。
かなりある。
急いでいる時ほど、子どもはしゃがむ。
こちらが段取りを組んでいる横で、娘は世界を一個ずつ確認している。
葉っぱ。
泥。
水たまり。
よくわからない棒。
大人にはただの風景でも、
子どもには全部がボンボンドロップシールである。
知らんけど。
娘が触った苗が、本当に元気になったのかはわからない。
たまたまかもしれない。
水加減かもしれない。
日当たりかもしれない。
でも、苗箱の前でそう思える朝がある。
それだけで、田舎暮らしは少し得をしている気がする。
