誰かこの詩を知りませんか Part2 (プレイバックPart2でなく)
雁じゃないです
キジバトです。
昭和中期の
現代詩を集めた本の中にあった
詩を、探しています。
誰かご存知ありませんか
うろ覚えを書きます。
その詩は長くて、
思い出せるのは最初と最後。
単語も表現も
だいぶ違ってると思います
もし
この詩は見たことがある
と、思われたら
厚かましいお願いですが
どうかご一報ください
よろしくお願いいたします。
詩の題は
「みんな死ねないから生きているんだ」
みたいなでした。
戦後、子どもを連れて自殺する人が
多かったそうです
電車に飛び込んだり、ビルから飛び降りたり。
それを悼み、
そうした境遇に追い詰められた人に、
自殺だけはやめてくれ
死なずにすむ方法がきっとある
と訴えた詩だと思います。
では、まいります
詩「みんな死ねないから生きているんだ」←うろ覚え
今日も誰かが死んでいく
子を道連れにして死んでいく
死なないと
いけない理由はあるのだろう
だが
子どもだけは置いていってくれ
君がいなくても
その子は国が育てる
学校で学ぶことができる
甘いお菓子を食べることもできる
だから
子どもだけは置いていってくれ
そして
ついでに
君も生きてくれ
死なないといけない理由があるのだろう
だが
僕もそうだ
みんなそうだ
みんな同じだ
みんな
死にたくても死ねないから
生きているだけなんだ。
という内容の詩です。
此の10倍くらいの長さで
すごい熱量で、
説得力がありました。
だのに
最後の
渾身の言葉が
思い出せない。
私がまだ少女だったとき
家には
「詩を読むために、書くために」的な本が
たくさんあって
あの頃
詩はあちこちにあって、
学校でも
街を歩いてても
身近だった記憶です。
小学生の時、平和学習で
ガリ版やったかな、
プリントされた詩の数々。
新潟の「生活詩」詩人で
18で戦死した大関松三郎とか、
目の前の、見たまんまを
書く少年の
「お母さんが朝、柄杓で水を汲んで飲む。
食べるものがないから
水を何杯も飲んで、働きに行く、」
みたいな詩とか。
情操教育の一環で
(情を操るって言葉、私は少し怖い、)
詩は
子の情緒を育み、
他者を自分と同じ人間として
共感を持たせるのに
善い教材だったと思います。
詩には行間があって
行の間に何があるかな、って。
子どもに考えさせるんやね、
ひびくよね、詩
数学や理科のグラフや分数より。
って、私だけ?
詩集や詩の本は読んだけど
読んだだけなので
私は詩の良し悪しは解らない。
けど心に残る詩は確かにあって
共通するのは
景色が目に浮かぶこと。
ありありと
まざまざと
その光景。
米を研ぐ、さくさく
飯が炊き上がる
湯気。
柘榴を手で裂く、
胡瓜を敲く
その色味、香り。
衣擦れ、箪笥の抽斗を閉める
音。
目に、耳に、鼻腔に、
ぱあっと
視界一杯に拡がる情景
そうした詩が好きです
谷川雁
「雲よ」
雲がゆく
おれもゆく
アジアのうちにどこか
さびしくてにぎやかで
馬車も食堂も
景色も泥くさいが
ゆったりとしたところはないか
どっしりした男が
五六人
おおきな手をひろげて
話をする
そんなところはないか
雲よ
むろんおれは貧乏だが
いいじゃないか つれてゆけよ
この詩は
私に
この国の外の
世界を想像させてくれました。
小学校も中学も、
学校が嫌で
友達おらんくて。
家には居場所がなくて
毎朝毎晩怒られて、
いつも
どこかへ行きたいなあって、
んで、
これ読んで
ええなあって思いました。
読み始めた途端、
草の上に寝っ転がって
ぽこぽこ流れる雲を眺める自分がいた。
いつか
自由に生きよう
桃源郷やユートピア、
シャングリラや
ブリガドーンに憬れたことはないんですよ、
いま、ここにいて
風に吹かれて
お碗を匙で掬って、お茶を飲んでいます
写真は
いっとき、ベランダに来てたキジバト夫婦。
スズメ用に置いてたんです、餌を。
ところが、勝手に食べてる。
ガタイがでかいから
怖がってスズメが寄り付かへん。
「これはあんたのじゃないの、雀ちゃんのなのっ」
って叱っても
神妙な面持ちで聞いた振りして
また食べる。
まあ、いいか、キジバトは大好きや。
追い払うのを諦めた。
そしたら
日に三度、夫婦で食べに来ましてな。
ついに巣作り始めた。
キジバトって大雑把な性格で、
巣も大雑把で、
あっ脱線してもうた。
続きはまた、別の話。


