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【第1話】三内丸山遺跡よりヤバかった!? 五千年前の「大都会」茅野と、縄文人のフルコース ~長野県茅野市~

みなさん、こんにちは。茅野市のPです。
新連載【諏訪・茅野ヒストリア】。第1話となる今回は、教科書の常識がちょっとひっくり返るかもしれない、五千年前の茅野市のお話です。

「縄文時代の遺跡」と聞いて、多くの方がパッと思い浮かべるのは、青森県の三内丸山遺跡ではないでしょうか? あちらが巨大な計画都市だとするなら、実はここ茅野市の尖石(とがりいし)遺跡周辺は、日本一の人口密度を誇る「大集落の密集地(大首都圏)」だったと評価されているんです。
※筆者は若かりし頃、青森に4年弱住んでいた事もあり青森も大好きです!久しぶりにいきたいなー。。

縄文中期において、八ヶ岳山麓(西麓を含む諏訪圏域)は日本で最も人口密度が高かった地域の一つとされています。この地域だけで、およそ3,000箇所もの縄文時代中期の遺跡が見つかっており、当時の人々にとって憧れの「大都会」のような場所だったと考えられています。

では、なぜ五千年前の茅野にそれほど人が集まり、大繁栄したのでしょうか?


■五千年前、茅野市が大繁栄した理由

理由①:最強のブランド資源「黒曜石」
当時の「大都会」を支えた最大の理由は、石器の材料となる良質な「黒曜石」の一大ブランド産地だったことです。 切れ味が鋭い諏訪の黒曜石は日本中で求められ、中日本から南東北にかけて勢力を伸ばすほどの広大な交易ネットワークが築かれました。実際に、本来なら黒曜石が産出しない遠方の地域からも、諏訪産の黒曜石が多数出土していることが確認されています。
※何年か前に道の駅で透明パックに入って黒曜石が売っていたのを見ました!

理由②:「森と山のフルコース」という美食
そしてもう一つの理由が、食の豊かさです。
八ヶ岳山麓の豊富な湧水や広葉樹林の生態系は、狩猟・採集・漁労の生活に極めて適していました。当時の人々は、現代人も驚くような「森と山のフルコース」を堪能していたようです。
■植物質の食材(主食)
ドングリやクリなどの堅果(木の実)や、球根などの根茎類が主食に近い役割を果たしていました。富士見町の井戸尻遺跡などからは、これらをすりつぶすための「石皿」や「凹石」、土を掘る「打製石斧」が大量に出土しており、日常的に調理されていたことがわかっています。

■原始的な「農耕」の可能性
某有名ジブリアニメの父親モデルとも言われる考古学者・藤森栄一氏は、単なる狩猟採集だけでなく、原始的な焼畑式農耕を行ってクリや植物類を栽培していたのではないかという「縄文農耕論」を唱えました。近年の研究でも、自然を管理しながら食料を得ていた可能性が注目されています。
※筆者の埼玉の家はトトロの森の近くです。
■ジビエ(肉類)
鹿、猪、兎などが日常的に食べられていました。
とくに鹿は、食料としてだけでなく、毛皮が衣類になり、角や骨が道具の素材になるなど、当時の生活に不可欠な存在でした。角が毎年生え変わることから「再生と永遠の命」のシンボルとしても崇められ、のちの諏訪大社に伝わる狩猟神事(御頭祭など)の遠いルーツになったとも考えられています。
※茅野はジビエ発祥の地であり、日本ジビエ振興協会の所在地も茅野市です。
彼らはこれら豊富な木の実のペーストや新鮮な鹿肉などを、見事な装飾が施された縄文土器(深鉢)でグツグツと煮込んで食べていたと考えられています。

■1万年前から続く「祈り」のルーツ

縄文時代より前の旧石器時代や草創期から、人々はこの地に惹きつけられていました。 その痕跡を示すのが、諏訪湖底に沈む「曽根遺跡」です。ここからは数千点以上もの鏃(やじり)が引き揚げられていますが、なぜこの時期にこの場所でこれほど大量の鏃が作られていたのかは、現在も大きな謎とされています。
1万年以上前から人々はこの地で石器を作り、厳しい自然と向き合って生きてきました。その中で抱いた自然への畏れや恵みへの感謝といった感情が、何千年という時を経て、諏訪独自の「ミシャグジ信仰」へと繋がっていったのだと思います。

さて、筆者の熱量があふれて長くなってしまいましたが、茅野市の「縄文」のヤバさ、少しでも伝わりましたでしょうか?

この熱狂的な縄文文化のリアルな息遣いを感じたい方は、ぜひ茅野市にある『尖石縄文考古館』へ遊びに来てください! 国宝の土偶「縄文のビーナス」や「仮面の女神」をはじめ、当時の大都会を彩った圧倒的な土器や石器の数々を間近で見ることができます。
そして、筆者が個人的に激推ししたい、この考古館ならではの最高に面白い展示があります。 それが「下手な土器」のコーナーです。
えっ、国宝がある博物館に下手な土器?と思うかもしれませんが、そこに展示されているのは、本当に「ちょっと不格好で、歪んでいて、あきらかに失敗しちゃった土器」たち。 でも、これを見ていると、「お母さんの真似をして子どもが一生懸命作ったのかな」「初心者が師匠に怒られながらこねたのかな」なんて、当時の人々の体温や笑い声があふれる日常の営みを思い浮かべずにはいられないんです。五千年前の「大都会」にも、不器用な人がいて、失敗があった。そう思うと、縄文人が一気に身近なご近所さんのように思えてきませんか?
しかも、「もっと詳しく知りたい!」と希望される方には、考古館のスタッフがこうした土器の裏話も含めてディープな解説を交えてご案内してくれるので、控えめに言って最高におすすめです。

古代のロマンに浸ったあとは、ぜひリアルな茅野市で、五千年前の「大都会」の空気を吸い込んでみてくださいね。
それでは、次回【第2話】でお会いしましょう!