「スキ」だけでは、足りないのよ。
noteを真剣に使い始めて、そろそろ五か月になる。
ありがたいことに、私の文章にも「スキ」をいただくことが少しずつ増えてきた。知らない誰かが読んで、わざわざ指を動かしてくれた。それだけでうれしい。通知を見ると、普通に顔がゆるむ。五十代にも、こういう小さなときめきは必要なのだ。大きなときめきは、もう心臓に悪い。
ちなみに以前、この「スキ」を「キス」と書いてしまったことがある。
いただいたのは、スキです。キスではありません。そんなに景気のいい暮らしはしていない。
さて、今日は、いただくほうではなく、こちらから送る「スキ」の話である。
最近、人の記事を読んでいて思う。
この気持ち、本当に「スキ」一個で済ませていいのだろうか。
先日、neozeoさんの防災についての記事を読んだ。防災グッズを揃えるだけではなく、家族の誰が、何を、どの順番でするのか。道具の使い方や避難場所を、一人だけが知っている状態にしないこと。
なるほど、と思った。
モノを買うと、それだけで安心してしまう。その先の「いざというとき、本当に使えるのか」までは、なかなか考えない。耳が痛い。私の家にも、買った瞬間に役目を終えたものが、防災用品に限らずいくつもある。健康器具などは、だいたい箱の中で健康に暮らしている。
そうした大切なことを、経験のある方が整理して、分かりやすく書いてくださっている。こちらは家で座って読んでいるだけなのに、知識をいただける。
私が住む北イタリアでは、日本ほど地震を身近に感じることは少ない。それでも災害はある。強風が吹いたり、げんこつほどの雹が降ったり、近年では竜巻まで起きる。もう空も、だいぶ荒れている。
台風と似たようなものでは、などと雑にまとめたくなるが、たぶん専門家に怒られるので、この話はここでやめておく。
話はneozeoさんの防災についての記事に戻る。しかも、無料である。
「おばさんはタダが好きなの」
昔、法事で親戚が集まるたびに、お姉ちゃんはおばさんたちを見て、よくそう言っていた。
でも、タダなんてみんな好きだ。若者も好きだし、男性も好きだし、富豪だって、もらえるものなら一応もらうだろう。たぶん、並んでまで。
全世界、老若男女共通案件である。
「勉強になりました」
「そこまで考えたことがありませんでした」
「これを無料で読ませていただいて、いいんでしょうか」
そんな気持ちが、次々に湧いてきた。
そして、私が押せるのはハート一個。
いや、好きなんですけど。
好きで間違ってはいないんですけど。
今日はもう少し、深々と頭を下げているんですよ。ハート一個では、このお辞儀の角度までは伝わらない。
反対に、つらい経験を綴った文章を読むこともある。簡単には言葉にできなかっただろうな、と思う。「書いてくれてありがとう」という気持ちで、ハートを押す。
ただ、ちょっと迷う。
「それはつらかったですね」と伝えたいのであって、「そのつらい出来事、好きです」という意味ではない。もちろん、そんなふうには受け取られないと思う。それでも、押す指が一瞬ためらう。ハートに、そこまで複雑な仕事を任せていいものか。
だから、もう少し種類があってもいいのにな、と思うのだ。
「笑いました」
「勉強になりました」
「じんとしました」
「なるほど」
「うまく言えないけど、読みました」
最後のものは、ぜひ欲しい。
気の利いたことは何も言えないけれど、黙って立ち去りたくないときがある。「ちゃんと読みましたよ」と、そっと会釈だけして帰りたい。
そうそう、既読マークのようなものだ。ただし、LINEの既読ほど相手を追い詰めない、やさしいやつでお願いしたい。
まあ、コメントを書けばいい話ではある。
分かっています。それはもう、本当に、そのとおり。
でも、感動したあとに、気の利いた感想まで出てくるとは限らない。
「すごいです」と書いてみる。
いや、もう少し何かあるだろう、と消す。
しばらく考える。
そして結局、また「すごいです」に戻る。
感情はあれだけ動いたのに、語彙は微動だにしない。
その点、ボタンなら助かる。今の気持ちにいちばん近いものを、そっと押せる。語彙力が帰宅するのを待たなくていい。
ただ、ここまで考えて、別の心配も出てきた。
もし本当にボタンが増えたら、私は自分の記事についた反応を見て、余計なことを考えるのではないか。
「なるほど」が五個。
「共感」が三個。
「笑いました」がゼロ。
……あそこ、笑うところだったんだけどな。
そのうち、「じんとしました」が一個ついただけで、「どの部分? まさか、そこ?」と詮索を始めるに違いない。人間、与えられた情報は、だいたい悪いほうへ深読みする。
今なら、「スキ」の中に、笑ってくれた人も、じんとしてくれた人も、なるほどと思ってくれた人もいるはずだと、こちらの都合のいいように考えていられる。
細かく分かったら、知らなくてよかったことまで分かってしまう。
気持ちは詳しく伝えたい。
でも、自分への感想は、多少ふんわり包んでいただきたい。
我ながら勝手である。送る側では詳細を求め、受け取る側ではオブラートを求める。かなり面倒な客だ。
そんなわけで、今日も私はハートを押す。
小さな一個ですが、その中には、感心も、感謝も、共感も、深々としたお辞儀も入っています。
ときどき、立ち上がって拍手までしています。
心の中では。
実際は座ったままです。せっかく座ったので。
