ホンモノのカレー【創作】
大学前の学生通りを歩いていると、立ち並ぶ飲食店から香ばしい匂いが漂ってくる。昼前の講義が長引き、腹の虫が文句を言う。
この大学の昼飯どきは戦争だ。学食は事前の席取りが必須。かつ、通りの飲食店も十二時を境に席がどんどん埋まっていく。
僕の隣を歩くのは、基礎ゼミで一緒になってから仲良くなったインド人留学生のディーパク。彼は、通りや店内で人混みに埋もれても平然としていた。インドではこれが日常……なのかどうかは知らないが、恐れ入る。
ふと、「インドレストラン」の看板を見上げ、ディーパクが言う。
「あれ、インドカレーじゃない。ネパール人のネパールカレー。ニセモノ。」
日本語の「ニセモノ」という響きが妙におかしくて、笑ってしまった。
「でも、はやく店みつけて入らないと、午後の講義遅れるぞ。」
「歴史学の講義は、途中から参加してもレジュメもらえる。単位ダイジョウブ。」
彼は白い歯を見せ、そんなことを言って笑っていた。
* * *
ある日、珍しく彼が少し困った顔をしていた。奨学金の振り込みが遅れているらしい。ここ数日は、コンビニやスーパーで安い食料を買って何とか過ごしていると。
「そうだったのか。じゃあ、近いしうちでなんか食べようか。」
「でも、代金払えない。」
「仕送りとバイト代あるから。僕はインドア派だからあまりお金使わないし。」
「インド派?」
「違う。とにかく、お金は気にせず来たらいいよ。」
と、そんなやりとりをしてから、冷蔵庫の中を思い出す。たしか、昨日の残りのカレーくらいしかない。
市販のルーを使ったが、トマトを煮詰めた無水カレー。味には、少し自信があった。
しかし、相手はカレーの国インド出身だ。口に合わないかもしれないとふと不安がよぎる。
丸テーブルとパソコン、最低限の家電と寝具くらいしかない、小さな部屋に通す。異国の民を迎えるのははじめてだった。
「ディーパクはイスラムだっけ? チキンだったら食べていいよね? カレールーも大丈夫かな。」
「うん。たぶんハラールじゃないと食べない人もいるけど、僕は気にしません。」
作りおきのカレーを温め、レタスをちぎっただけのサラダを並べる。
「イタダキマス」と言って、彼はスプーンを口に運んだ。
少し間をおいて、「おいしい」と笑った。
ほっと胸を撫で下ろす。鍋の残りも、ふたりで食べるとすぐ空になった。
「ゴチソウサマ。また、今度このカレー食べたい。お礼もします。」
彼の言葉に、冗談めかして僕はこう返した。
「でも、インド人から見たら、日本のカレーはニセモノでしょ?」
彼は首を横に振る。
「インドカレーとはもちろん違う。でも──あなたのは、ホンモノのニッポンのカレー。」
と言って笑った。
胸の奥があたたかくなる。自分のカレーが、インド人に「ホンモノ」認定されたことが、ちょっぴり誇らしかった。
* * *
後日、ディーパクが声を弾ませて言った。
「ホンモノ! ホンモノのインドカレーの店できた。ごちそうする。いきましょう!」
大学から離れた裏通りで、新しく店がオープンしたらしい。彼がこんなに慌てているところも、これまた珍しい。
「店主もインド人。僕と、地元近い。あのカレー、きっとあなたも気に入ります。」
ホンモノの異国文化に触れられるのは、楽しみでもあるが、少し緊張もする。
そのときふと、カレーの匂いのするあの日の自分の部屋を思い出した。国の味でも、誰かの味でもない。誰かに食べてもらいたい気持ちが「ホンモノ」の味だったりするのかもしれない。
浮き足立っている彼に連れられ、席を立つ。
これから口にするのは、離れた遠い国の味。けれど、僕たちの距離は思ったよりも近い気がした。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。