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みぃこさんからの「遺言」 —わたしらしく生きるためのエール—

 病は突然やってくる。
 わたしではなく、みぃこさんのことだ。

 みぃこさんは70代前半のプロ農家。物事の本質を見抜く目を持った聡明な人で、竹を割ったような、それでいて温和な性格。周囲の役に立つことを生きがいに、颯爽と軽トラを乗りこなし、隣に住む孫たちと畑の野菜たちの世話に明け暮れていた。つい、2ヶ月前までは。
 彼女は父のいちばん下の妹。つまり、わたしの叔母だ。



 みぃこさんがまだ独身で都銀の花のOLとして働いていた頃、わたしは何度か祖父の車の助手席に座って、みぃこさんを職場まで迎えにいった。妹が生まれた夏のことだから、きっとわたしは3歳だったはず。
「ありがとね~!」と後部座席に乗りこんでくる弾む声以外、あまり覚えていない。

 でも、彼女にとって初めての姪っ子だったからか、わたしが「みぃこさんによく似てる」と周囲から言われていたからか、当時はもちろん、彼女がお見合いして仕事をやめ、兼業農家に嫁いでからも、彼女に子どもが生まれてからも、わたしが母になってからも、みぃこさんは、事あるごとにわたしを気にかけてくれている。

 祖父母や親戚がみんな「うたちゃん」と呼ぶなかで、わたしを「うた」と呼んでくれるのは、みぃこさんだけだ。



「うたちゃん、もう聞いてる? みぃこさんが入院したのよ」

 もうひとりの叔母からみぃこさんが大腸がんだと聞いたとき、言葉をうしなった。蝉しぐれのなか、立ちすくむ。
 父たち兄妹3人のなかで、いつもいちばん動いていて、いつも元気印だったみぃこさんが、まさか。

 腫瘍を切除して退院してからも、みぃこさんは変わらず軽トラに乗っていた。

「みぃこさん、腰が痛い痛いって言っててね」
 叔母の話に耳を傾けながら、みぃこさんも年取ったんだなぁなんて、どこかのんきに思っていた。



 先週の水曜日、出勤前の身支度をしていたら電話が鳴った。母からだった。
 みぃこさんが再入院したという知らせとともに語られた現実は、残酷だった。

 抗がん剤の副作用で口内炎だらけになり、食事も摂れない。やがて激しい痛みで自力では起きあがることもできなくなっていったという。痛みか転移によるものかは不明だけれど、時おり人が変わったようになってしまう場面もあるらしい。
 病院からは何度も断られたが、粘り強く交渉して、ようやく再入院。検査の結果、脊椎に骨転移したがんが7ヶ所見つかったけれど、放射線治療も効かず、もう手の施しようがないこと。
 そして、みぃこさん本人から医師に抗がん剤の使用を断り、疼痛の緩和を依頼したこと。

 そんな内容だった。

「うたちゃん、どういうことかわかるでしょう?」

 わかりたくないけれど、わかってしまう。
 早く、会いに行かなければ。



 昨日、ひさしぶりに会ったみぃこさんは、ずいぶんと痩せていた。そりゃそうだ。もうひと月ほど食べられていないのだから。
 ひと回り小さくなった彼女は、驚くほど亡き祖母によく似ていた。

 ゆっくりと身体の向きを変えようとしているのに、自力では動かせないらしい。シーツの上をいざるように、痛みに耐えながら時間をかけて向きを変えていく。
 はだけた脚を隠そうとしても、左足が麻痺して動かせない。年じゅう畑に出ていてもずっと長靴と野良着に隠されてきた脚は、白くすべらかで、わたしはその細くなった太ももに、そっとタオルケットをかけた。

「骨に転移しているからね、とにかく背中全体が痛くて眠れないの」
「医療用麻薬のパッチを貼ってて、2時間おきに鎮痛剤を飲むんだけど、その間だけすこし眠れる」
「個室内にトイレがあるのに、左足が動かないから導尿とオムツになっちゃう。先生には『とにかく痛みだけ取ってください。はやくリハビリを開始して、歩けるようになりたい』って伝えてるんだけど、なかなかね」

 限られた面会時間のなかで、みぃこさんは妹家族とわたしに状況と自分の望みを冷静にわかりやすく説明してくれた。
 そして、ひとりずつに声をかけていく。

「就職、決まったんだってね。おめでとう。いつ東京へ行くの?」
「まだ学校行かないといかんね。勉強がんばって!」
 姪っ子たちと話しているのを何となく聞きながら、わたしはみぃこさんの腕をぼんやりと眺めていた。タオルケットからはみ出た白くつややかな脚とは対照的な、穿刺で青黒く内出血した前腕。

 油断していた。

「うたは相変わらずベリーショートにしてるんだね」
「うん、前髪はちょっと伸びたけど、ほら! 横や襟足は短いでしょ?」
「髪はどうしてるの? 白髪ないね」
「ううん、白髪いっぱいあるけど、ヘアマニキュアで薄く色をつけてるの」

 みぃこさんは、わたしの目をじっと見て言った。

「いい感じだね、いいよ。うたは、好きな格好をしなさい」

 

 これは、遺言だ。

 不意に涙がこみ上げてくる。
 完全に、油断していた。
 気づかれないよう目を細め、くしゃりと笑顔を作って、何度もうなずいた。

 みぃこさんはきっと、自分の言葉でちゃんと伝えられるうちに、ひとりひとりに思いを伝えようとしているんだと思う。
 今日が最後になってもいいように……という みぃこさんの覚悟が、胸に突き刺さる。


「痛みが少しでも楽になるように、離れていても念を送るから」
「また来るね」

 そう伝えるのが精いっぱいだった。
 祈ることしかできない。
 想うことしかできない。
 こういうとき、わたし達はなんと無力なんだろう。


 ❅


 書きながら、また胸が詰まってしまう。

「好きな格好をしなさい」

 昔、「女の子だから」と赤やピンクばかり着せたがった周りのおとな達に静かに抵抗しながら、ブルーの服やジーパンばかりを好んで着ていた子ども時代。いいおとなになっても、性別を感じさせないような髪型や服装をつい選んでしまう今のわたしに、みぃこさんが選んだ言葉。

 わたしを、丸ごと肯定しているように感じる言葉。

 この言葉はきっと「生きたいように生きろ」という、みぃこさんからのメッセージなんだと思う。

 ありがとう、みぃこさん。
 あなたの大きな愛を忘れないように、ここに刻んでおくよ。

 いつか みぃこさんがわたしを判らなくなる日が来たとしても、これからも何度でも会いに行くし、これからも自分らしく生きていく。

 今この瞬間、みぃこさんの痛みが少しでも落ちついて、少しでも微睡まどろむ時間が訪れますように。
 わたしは明日も明後日も、念を送りつづける。


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水野うた ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!