誰も傷つけないバトンの渡し方
きのころさんの『「ルイージという生き方」』と、たらちゃんさんの『好かんわ』を読んだ。
二つの記事を読み終えて、ふと、バトンについて考えた。バトン企画には、時に少し寂しい側面もある。誰かを指名して次へ渡していく仕組みだからこそ、そこには「選ばれる」「選ばれない」という場面も生まれる。
けれど、私には、おふたりの選択が、どこまでも優しく、そして粋に見えた。
きのころさんは、「ここに置いておきます」と、バトンを静かに置いた。
たらちゃんさんは、「バトンを紛失しました」と、おちゃめに笑いに変えた。
誰かを選んで、誰かを外すのではない。
「よかったら、どうぞ」と、そこにそっと置いておく。
そんなおふたりの姿が、私にはとても優しく見えた。
本来なら、ルール通りにバトンを受け取り、次の人へ渡す場面なのかもしれない。
けれど私には、おふたりがそっと残してくれた路地裏の空間に、ただじっと見つめることで見えてくる「特別な光」が輝いているように思えたのだ。
誰かを弾き出すことのない、その優しさの光。
それを見つけた私は、この感動を抱えて走り出したくなった。
目指すは、誰もが主役になれる路地裏の文化祭、「なんのはなしですか」の世界だ。
私は今、一人のマラソン選手として、コースを走っている。手に握りしめているのは、誰かを縛るためのバトンではない。
あのふたりの記事から受け取った、「誰も置き去りにしない優しさ」という、目に見えない温かな光だ。
走るにつれて、胸の奥が少しずつ熱くなっていく。
「自分は二番手でいい」と静かに語った、緑の帽子の美学。
日常の不条理をクスッと笑えるゆとりに変え、バトンをどこかへ落としてしまったというユーモア。
その二つの姿勢が、私の背中を押してくれる。
沿道からは、路地裏の仲間たちの温かな声援が聞こえてくるような気がする。
指名も、ルールも、順番も関係ない。
ただ、そこに思いを持って飛び込めば、誰もが笑顔で迎えてくれる場所。
前方に、ついに「なんのはなしですか」のゴールテープが見えてきた。
脚は重い。
息も上がっている。
それでも、なぜだか楽しい。
マラソン選手が最後の直線で力を振り絞り、歓喜の瞬間に向かって走るように、私も一歩一歩を噛みしめながら、ゴールへ向かって走る。
そして――
胸でゴールテープを切った。
ワーッという大きな歓声が広がる中、私は空に向かって手を高く掲げる。
「届いたぞ!」
選ぶことも、置いていくこともなく、おふたりが見せてくれた優しさを胸に、私は走りきった。
なんという達成感だろう。
なんという感動だろう。
……で、私は一体、なんのマラソンを走っていたんだっけ?
なんのはなしですか。
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