ピースケ気まぐれ日記(2026年9月04日)抗う
楽に流されたいのに、完全には自分を明け渡せない面倒な自分
noteで、あるクリエイターさんの作品を読み終えたときのことだ。
ふと、理由もなく、頭の中にひとつの言葉が浮かんできた。
「抗(あらが)う」
「ん? なぜ? どうして『抗う』なんだろう」
私は小さく首をかしげた。
私の創作は、だいたい いつも、こんなふうに始まる。

聞こえのいい「綺麗ごと」
この言葉について考え始めたとき、私はどこか気取った着地点を
探そうとしていた。
「激流をのぼる鮭じゃなくていい.…」
「綺麗な水のほうへ、ほんの少し鰭を動かせばいい.…」
そんな聞こえのいい綺麗ごとを並べてみた。
けれど、自分で書いていて、どうにもしっくりこなかった。
胸の奥が、なんだか「嘘くさい。」
本当の私は、そんなスマートでおしゃれな存在なんかじゃない。
そんな綺麗ごとで終わらせたら、私が書く意味がないような気がした。
※この記事(一応エッセイ)も意味ないですが……

「綺麗なお水を目指して、ちょっと鰭を動かす?」
「ハァ?」冗談じゃない。
実際の日常は、もっと泥くさくて、地味で、うんざりするようなことの
連続だ。
本音を言えば、楽がしたい
本音を言えば、とにかく楽がしたい。
面倒なことには巻き込まれたくないし、誰かと争って疲れ果てるのも嫌だ。流れに身を任せ、波風を立てず、ぷかぷかと下流へ運ばれていく。
そんな生き方ができるなら、それが一番いいに決まっている。

だけど、私は完全には流されきれない。
「まあいいか」と周りに合わせて流されたあと、家に帰ってひとりになったとき、なんとも言えない、後味の悪い敗北感が残る。
「なんであのとき、あんな流され方をしたんだろう」
「本当は、ちょっと違うと思っていたのに」
そんな、ダサくてドロドロした鬱屈が、腹の底に溜まるのだ。
「流されたい」という怠惰な本音と、
「このまま呑み込まれるのは嫌だ」という面倒なプライド。
私が感じていた「抗う」の正体
私が感じていた「抗う」の正体は、かっこいい挑戦でも、
美学でもなかった。
流された先で、足がぬかるみに沈みそうになったとき。
あるいは、意に沿わない場所まで運ばれそうになったとき。
私は心の中で、「ちぇっ」っと舌打ちする。
「ちぇっ、そこまでは付き合わねえよ」

そう言って、足を踏ん張り直す。
あの、何とも言えない? 往生際の悪さだったのだ。
格好悪い「抗い」でいい
立派な信念も、上流を目指す情熱もない。
ただ、
「楽をしたいけれど、完全に自分を明け渡すのは癪に障る」
という、どこまでも自分勝手で泥くさい抵抗感。
でも、抗う理由なんて、それくらいでいいのかもしれない。
人間なんて、そんなに格好よく生きられるものじゃない。

今日も私は、できるだけ楽に流されながら、たまに腹の底で「ちぇっ」
と呟いて、地味に足を踏ん張っている。
格好悪くても
自分まで明け渡さない。

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