妃殿下の晩餐会
さすがにここ最近はやってないんですが、私は「相手が怒るギリギリを見極めて暴言を吐く」チキンレースを楽しむ悪い趣味があります。この「ギリギリを見極める」というのがポイントで、本当に怒る人を本当に怒らせることはしません。ギリギリで。
うちの会社には全体発信という驚くべき文化があるので、私は店舗勤務時代に何度か「ここまで言っちゃっていいかなー怒られるかなー」と思いながら全体発信をしていました。発信した直後はめちゃくちゃ後悔するし、その後、エリアマネジャーから心配(お叱り?)の直電が来てビビりまくるのですが、何故か支持してくれる人や逆に褒めてくれる本社の人とかいて。その結果、謎に「言いたいことを言える人」という架空のキャラクター設定がなされ、そのまま本社に異動してきました。
そこで出会ったのが、経理部の美智子様です。はじめましてのご挨拶こそ、笑顔で応対して頂きましたが、私は初見で感じ取りました。この人は怒らせてはダメな人だと。そのへんの役員(?)は何故か暴言吐いても笑ってくれるけど、この御方には決して失礼があってはいけない。役職こそ一般社員ですが、間違いなく本社の最高権力者。最大限の敬意と礼節をもって対応すべきだと、私の危険予知能力が最大限に発揮されたのです。
とは言え、当時の私の仕事は経理部を避けてはできませんでした。大体、週に1回くらいは何かしらの奏上に伺う必要があったのです。「あぁ!?」「は?」「また?」「アンタねぇ…。」と無表情で返されると、根がチキンな私としては怖くて仕方がありません。チキンレースどころか、スタートからギリギリを越えてるのでもう対応のしようがないのです。こんなことなら、余計な事言わず大人しくエリアマネジャーの言うこと聞いていれば良かったと、どれだけ思ったかわかりません。
そんな状況で、ある日突然妃殿下から晩餐会へのご招待を頂きました。「なかいさんとは一度お話してみたかったのよぉ」と謎に笑顔でお声掛け頂いたらもう、返事は「はいよ!」か「YES」の二択じゃないですか。こんなことなら(以下略)
やはり、女性の最高位のフォーマルとなるとイブニングドレスでしょうか。でも懐石料理と言われたから和装…?などなど葛藤に葛藤を重ね、検討に検討を加速して前向きに善処した結果、ブラウスにジャケット、ロングスカートにパンプスという、かろうじて「アーバンシティを歩いていても不自然でないレベル」のドレスコードに決定。この時点でものすごく緊張していたことがわかります。
当日、指定時間のジャスト5分前という、計算され尽くした時間にお店に到着。係の者に妃殿下のお召しで参内した旨を伝えると、すぐに案内されました。石灯篭の光があたたかく揺らめくお庭を通り抜け、案内してくれた係の者が、スッと個室の障子を引くと、そこにはもう、既に妃殿下と侍女の方がお待ちになっていました。
やらかした。
初手でなんという非礼をと、内心焦りつつ妃殿下の晩餐会がスタート。参加者は、妃殿下とその侍女、そして私の3人。なかなかのノーブルさです。将来こんな経験をするとわかっていれば、もっと和食のテーブルマナーを勉強しておいたのに。箸の持ち方すら危うい私。人生何があるかわからないものです。多分相当に美味しい料理なのですが、もう味わうどころじゃない。
「私ね、なかいさんが店舗にいた時から一度話してみたいなと思ってたの。」
「そ、そうなんですか。光栄です。」
「男の人にもガンガン意見言えて羨ましくて。私そういうの言えないから。」
えっ、なにそれロイヤルジョーク⁉それともジャパニーズ京都ぶぶ漬けいかがですか的表現?
困惑して侍女の方を見ると、彼女もコロコロ笑っていてどうにも恐ろしいことに、本気の本音らしい。
しかしそこからは意外にも和やかに会話を重ねていき、そして気づきました。妃殿下は業務への責任感の強さから普段そういう言動を演じていたんです。恐らくこちらの穏やかな性格が素で、本来は控えめで真面目な方なんでしょう。隣の侍女と思っていた人も改めてよく見ると、いつも話す経理部のパートさんでした。
経理部というのは会社の事業活動の締めの部署です。
お店を作って食材を仕入れて人を雇用して店舗で営業した結果を、最終的に集約する部署です。頑張って働いている人たちの結果を、ちゃんと正しく数字にするために。だから経費精算の期限切れや申請漏れに烈火の如く怒りまくるし、私の計算ミスの謝罪には氷点下の塩対応だったのです。
確かに、思い返せば「〇〇さんの経費精算が急ぎで必要で」等の依頼には、夕方に金庫の鍵閉めたあとでもなんだかんだ対応してくれていました。「会社のために自分のお金で建て替えてくれてるんだから」と言っていた美智子さんの顔をよく覚えています。
その美智子さんが定年退職された時、彼女の志を次の世代の自分たちが継がねばならないと気付いてものすごく背筋が伸びました。しかし私の力不足により、妃殿下レベルの覇王のオーラを会得すること叶わず。申し訳ないばかりです。
だからこれからは、皆さんの心の中にもぜひ妃殿下を住まわせて下さいね。提出期限切れると「ちょっとアンタふざけんじゃないわよ」と烈火の如く怒りまくる妃殿下を…。
