会社を22回辞めた私が気づいた、"忘れる力"という最後の伏線。
私はずっと、
覚えていることが
誠実だと思っていた。
あの人にこうしてあげた。
あのとき助けてあげた。
あれだけ尽くした。
覚えていることで、
自分を守っていた気がした。
でも、それが
少しずつ
人生を重くしていた。
22回転職した私は、
人に何かをしてあげるたびに
どこかで"返り"を待っていた。
意識してじゃない。
でも、確かに待っていた。
紹介してもらえるかもしれない。
評価されるかもしれない。
いつか認められるかもしれない。
そしていつも、
返ってこないと
静かにイライラしていた。
あるとき、
不思議なことに気づいた。
どうも、
人に好かれる人というのは
『してあげたこと』を
忘れてしまう人らしい。
最初は意味が分からなかった。
忘れてしまったら、
損じゃないか。
バカを見るんじゃないか。
でもよく考えてみると、
腑に落ちた。
忘れているから、
返ってこなくても
最初から、なかったことになっている。
だからイライラしない。
何かを求めることもない。
見返りを期待することもない。
その人の前に立ったとき、
ただ、
目の前にいるその人だけを
見ていられる。
これは、
『念』の話とつながっていると思う。
前回書いた。
『念』という字は
今の心、と書く。
忘れた人は
"今"だけで関わっている。
覚えている人は
"過去の貸し借り"を持ちながら
今の人と関わっている。
どちらの言葉が、
相手に届くか。
どちらの行動が、
温かく感じられるか。
答えは明らかだった。
そしてもう一つ、
気づいたことがある。
『願い』についてだ。
私はずっと
願い続けることが
強さだと思っていた。
諦めないこと。
信じ続けること。
ずっと願うこと。
でも、
ある考え方に出会って
少し違う見方をするようになった。
願い続けるのは、
もしかしたら、
まだ100%自神を
信じきれていないからかもしれない。
本当に信じ切ったとき、
人は『願わなくなる』
注文した料理は、
くるまでの間
『まだかな、まだかな』と
ずっと願い続けない。
『来るよな』と
ただ、知っている。
信頼しているから
手放している。
本当の確信は、
静かだ。
つまり、
『忘れる』というのは
諦めることじゃない。
信じ切って、手放すこと。
してあげたことも
願っていることも
手放した瞬間、
不思議と
人生が軽くなる。
昔の私は、
何かをするたびに重くなっていた。
転職するたびに重くなっていた。
人と関わるたびに重くなっていた。
それは
"覚えていること"で
荷物を増やし続けていたからだ。
でも今は少し違う。
夜中に資料を送る。
送ったことを忘れる。
次に会ったとき、
ただその人に向き合う。
そこに
『あのとき送ったのに』
も
『どう思われただろう』
もない。
ただ、
今夜もその人のために動く。
それだけだ。
思えば、
不登校だったあの日も、
転職を繰り返したあの時間も、
私は"積み上げようとして"
うまくいかなかった。
守ろうとして、
覚えていようとして、
失いたくなくて。
でも本当は、
手放したとき、
流れが生まれた。
忘れることで
余白が生まれる。
その余白に
新しい何かが入ってくる。
人生は、
選択で決まり、
関わり方で加速する。
念を入れることで深くなる。
そして、
手放すことで、軽くなる。
もし今、
何かを抱えすぎている感覚があるなら。
してあげたことを
一度、忘れてみてほしい。
願っていることを
一度、手放してみてほしい。
それは諦めじゃない。
信じ切った人だけが
できる、
静かな強さだ。
その軽さが、
きっと
次の伏線になる。
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次の伏線へと書き進めていけます。
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なないろ和waon音 -nanairowaon-
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