たすけてほしいけど、たすけていらん
noteに書き始めてまだ一ヶ月もたっていない私。
気になっているのは「エッセイしりとり」
でも、こんな私にバトンを渡してくださる方もなく・・・
noteという世界の常識もお作法もわからなく・・・
ただ、ただ指をくわえて見ておりました。
そうしたら、今日、マイキーさんの投稿にこんなのを発見。
「そして、もうここまで来たらバトンを待つ必要もありません。最後に一本走りたい方は、勝手にバトンを持っていってください。」
ただいま8月31日23時45分
間に合うかなあ。
ということで
「たすけてほしいのに、たすけていらん」
「た」で始まり、「ん」で終わるエッセイを書きます。
昨日1歳半の孫が来ました。
お昼にうどんを用意しました。
短く切ったおうどんを、自分でスプーンを持って食べようとがんばります。
じいじが見るに見かねて手を貸そうとします。
孫は器をじいじから遠ざけ、スプーンに短いうどんを2かけら入れて口に近づけます。
そして、むなしくもうどんはエプロンのポケットにイン。
さらに彼女は挑戦を続けます。
また、じいじがお世話をしようとします。
すると、今度はスプーンを持って2度も3度もじいじの手を払うのです。
そして、スプーンにうどんを再び入れて、口へ。
今度は、うまく口に入りました。
そして、ドヤ顔。一歳半でもドヤ顔するんです。
その後、遊んでいた、4歳のお姉ちゃんが楽しそうにジャンプをしています。
それを見た1歳半は自分もしようとしますがうまくいきません。
じいじの方へかけより、手を広げて、やってやってとせがみます。
手伝ってもらって、ジャンプして嬉しそう。
再度、自らチャレンジするもうまくいかず、また、手伝ってとせがみます。
たすけてほしいのに、たすけていらん
自我が目覚めて、なんでも自分でやりたくなっていて、でもできなくて、でもしたくて・・・
かわいいなあ
よく考えてみると、これって65歳にもなった私もいっしょ。
ずっと、助けてほしくても、やっぱり自分でやりたくて、やせ我慢して、助けていらんと過ごしてきた私。
そのおかげでいろいろできたけど、寂しい思いもしてきたなあ。
孫よ、長い人生、助けてもらって、そして、自分の足で立って歩いてね。
