羨ましいエッセイには、おそらく型がある。
週末に、エッセイ沼にハマってましてな…。
きっかけは、素敵なエッセイを読んで「あ〜なんだろうな〜これ、私の書くものとなんか違うんだよな〜何が違うんだろうなぁ〜」と、羨望と嫉妬の間で私のスイッチが入っちゃったこと。そこから、ひたすらに自分の書き癖と、人様のエッセイを分析しまくって時間を溶かしてました。ひとりで勝手に研究会してました。たんのしぃ〜!!
ほんで、もしやこれか?という研究成果が生まれたので、誰かに聞いて欲しくて。つらつらと書いてみます。
ここ最近、自分の「書く」欲求がどこから生まれているか、とか、自分は意味づけないと気がすまないタチの人間だ、とか、そういう種類のことをよく書いていたんですが、これがそのまま私のエッセイの型みたいになっていることに気づいたのね。エッセイというものが、書き手が見ている世界だとしたら、その世界の何をきっかけに興味を持って、どう掘り下げて、どう運んで、どう締めくくるか。世界の見方がそのままエッセイに反映されるということだよなって。
で、そう思っていろんな人の文章を読んでいたら、なんとな〜く型の分類みたいなものが見えてきて。私は自分と違う型の人に、自分にないものを感じて羨んでるんだと思った。現時点で見つかった型っていうのが…
できごと面白がりマスター
目の前で起きていることそのものを、面白がって書ける人。日記がめっちゃ強い。今日こんなことがあってさ〜を、ユニークに書ける天才。マジ尊敬、うらやま。多分、瞬発的な例えとか、ものごとの掛け合わせが上手で、大喜利とか得意そうな気がする。
場面描写えげつな巨匠
その場にまるで一緒にいるみたいに描写ができる人。会話、匂い、手つき、空気の流れ、聞こえる音…こういう細部の描写がえぐい。職人がかってる。ある場面を書いたとして、その5分間の解像度がめっちゃ高くて、見えてくる映像が濃ゆい。私はこれがおそらく苦手でござる。悔しい。うらやま。
観察眼えぐいってプロフェッショナル
誰かや何かをじーっと観察して、そこからその対象の魅力や面白さを引き出すのがうますぎる人。気づいたら登場人物に惚れてまうやろ現象が往々にして起きがち。それすなわち愛されるエッセイに直結、おいおい、勘弁してくれよ。うらやま。
感情アンテナ感度ビンビン丸
これ多分私の型なので、ふざけた名前をつけたのは照れ隠しだと思ってください。エグい人は、かなりエグく心の深いところをエグってくると思う。まじでエグい。ちょっとした感情の違和感とか、言葉になる前の感情とか、感情起点で捉えようとする人がビンビン丸に該当していて、この感度が細かい人ほどエグくなる。
思考ぐるぐる深掘り名人
ビンビン丸の兄弟で、目の前のできごとや感情をきっかけに、「これはつまりどういうことなんだろう」と考えを掘っていく人。感情そのものよりも、その奥にある構造とか矛盾、社会とのつながりにまで興味の深掘りブルドーザー。読んでいるうちに、一緒に考えごとの穴に落ちていく。すげー人は、理屈だけじゃなくて体温が感じられる。おそろしや。
…という私的な分類の法則が生まれた。なんとなく、これは世界の面白がり方と紐づいていると思う。「起きていること」に、まずおもろーと思う人。「人物」そのものに関心が強い人。私みたいに感情が大好物だという人。などなど。ちなみにハイブリッドもいると思う。「起きたこと」で面白おかしく引きつけながら、最終めっちゃ微細な感情の揺れに到達させる人とか。できごと面白がりビンビン丸マスター。強すぎるんよ。
私は他の分類の人がすごく羨ましくなるけど、これは興味やものの見方の性質みたいなもんなんでね。どれが良くてどれが悪いって話ではなくて、書いているものに反映されている傾向みたいなもんだと思う。たとえば私は、感情ビンビン丸なので、心が揺れた時に「なぜ揺れたんや?」→「あ、あの時のあの気持ちと繋がったんや」みたく過去に飛びがち。どうしても長い時間軸を語る作品が多いし、1場面を濃厚に書くタイプのエッセイはなかなか無意識には書けない。描写がおいつかないんだもん。
つーまーり、そういうのが書きたいんだったら、自分にはない分類の力を磨けばいいってことやんか?そうすると、私もいつかは夢のハイブリッダーになれるってことやんか。
己を知り、人から学ぶ!
本日の研究発表は以上となります。
ああ、奥深きエッセイ道なり。
