心配されるのが苦手なのは、心配が理由じゃなかった。
「心配してくれる人は優しい人。」
「心配してくれることはありがたいこと。」
きっと、それは間違いではない。
でも私は昔から、心配されることが少し苦手だった。
「大丈夫?」
「やめた方がいいんじゃない?」
「失敗したらどうするの?」
「あなたのためを思って言ってるんだよ。」
そんな言葉を聞くと、ありがたいと思うより先に
胸がぎゅっと苦しくなってしまう。
どうしてなんだろう?
ずっと考えてきたけれど、最近やっと理由がわかった。
私は心配されることが苦手なんじゃなかった。
心配を理由に、自分の人生のハンドルを奪われることが苦手だったんだ。
新しいことに挑戦したい。
やってみたいことがある。
そんな時に返ってくるのは
「危ないからやめなさい。」
「失敗するよ。」
「そんなことしても意味ないよ。」
そんな言葉ばかりだった。
もちろん、本当に私のことを思って言ってくれた人もいたと思う。
でも、私には「心配」の後にはいつも「やめなさい」がついてくるように感じていた。
だからいつの間にか
「心配される=止められる」というイメージができあがってしまった。
でも最近、心配には大きく分けて2つの伝わり方があることに気づいた。
一つは、相手をコントロールしようとするように伝わる心配。
もう一つは、相手を信じた上でする心配。
例えば
「私は少し心配だけど、決めるのはあなた。」
「あなたなら大丈夫だと思ってるよ。」
「何かあったら頼ってね。」
こんなふうに言われたら、私は苦しくならない。
むしろ
「応援してくれてるんだ!」と感じて、嬉しくなる。
同じ心配でも、そこに「あなたを信じている」という気持ちがあるかどうかで、受け取り方はまったく違う。
親でも、友達でも、恋人でも同じだと思う。
相手が大切だからこそ心配になる。
それ自体は自然なこと。
でも、その心配によって相手の選択まで奪ってしまうと、「応援」ではなく「支配」となって伝わってしまうことがある。
本当に安心できる人は、「心配しない人」じゃない。
「心配しているけれど、あなたの力も信じている人」なんだと思う。
もしあなたも、誰かに心配されると苦しくなることがあるなら、それは冷たいからでも、ひねくれているからでもない。
もしかしたら今まで、「心配」という言葉の裏で、自分の選択を否定されたり、止められたりする経験が多かっただけなのかもしれない。
だからこれからは
「心配されるのが苦手な自分」を責めなくていい。
本当は心配が嫌なんじゃない。
自分の人生を
自分で選ぶ自由を大切にしたいだけなんだから。
