部首と字画の乖離 部首は構成要素と一致しなくても問題ない
〈部首はかん字を分類したときのグループリーダー〉である。そして,多くの人は,〈部首はかん字を構成する要素の一部分である〉と思っている。実際に多くの字はそうなっている。
しかし,必ずしも漢字の構成要素となるわけでない。
部首「水」には「江」「求」も入る。
部首「木」には,「東」「来」「栄」「杏」もある。
初めて学ぶ者は〈部首は構成要素と一致している〉と思ってしまう。違うならば,意識的に教えて欲しい。そういった思いから部首トランプを作った。
強い言葉で表現するのならば,〈部首は構成要素と一致しなくても問題ない〉となる。
例1
「甲」「申」の部首は「田」である。
板倉さんも気持ち悪がっていたが,現実の字典にそう分類されている。
例2
『康煕字典』では「凸」「凹」の字は部首「凵」のグループに入っている。線素→↓↙↘から考えると「凵」は2画になる。
そして,「凸」「凹」は全部で5画の字となれば,筆順の見当がつく。そう日本の字典では扱われた。
しかし,〈部首は構成要素と一致しない〉となれば,筆順も書きやすさから考えて問題ない。つまり,中国の漢字字典では部首は「凵」でも「凵」は書いていない。

例3
「及」の部首は「又」でありながら,総画3画で扱われている。
例4
構成するグループのすべての構成要素に「阝」があってもグループリーダーは「阜」となっている。
・・・これには抵抗勢力もある。「阝」を部首とするわけである。
これらの現象は気持ち悪い。
すっきりさせるためには,どうするか?
【案】
・新たな部首の設立。「氵」「氺」「阝」もみんな部首にする。「阜」は部首から降格。他のグループに入れる。
・筆順の統一化。正しい書き順を決める。
・字形にあわせた総画数の見直し・変更を決める。
〈新たな部首の設立〉となると〈部首は何のためにあるのか?〉を見直すことになる。現在ではかん字検索の方法となっており,かん字分類としての意義が失われている。かん字検索の方法のためならば,もっと合理的に進めればよい。例えば機械的に〈偏や冠を部首とする〉というわけである。
部首の意義をかん字分類に求めるならば,かん字の教養項目の一つにすればよい。
また,筆順やら総画数などを〈政治的に決める〉というのは正しい方向に思えない。
かん字は変化・活用するものだ。束縛する方向で考えたくない。
