見出し画像

夢逢瀬

只今、早朝4時前。あまりの夢見の良さに目覚めてしまい、休みだというのをいいことにこうやって書き出している次第です。

昨晩、鉄瓶を空焚きしてしまい、それでも無事に白湯を沸かせて、いただいています。

頭が冴えているのか、ぼんやりしているのか、わからないような状態でいますが、でも夢の中の出来事にまだとり残されているような、そんな具合です。

ここ数カ月、印象的な夢を見ることが多く、元彼や長いつきあいだったけど切れてしまった友だちや、関係のあった人が夢に出てきます。ずっと具体的に思い出すことがなくなって、もう遠くなってしまっていて、思い出すすべもなくいたようなそんな人たちとの夢時間は、ぼんやりとしながらも鮮明で記憶に残っています。

夢日記の趣味はなく、以前は夢を見ると決まって夢分析するために検索していたけれど、今ではそれもすることなく、ただ夢の印象にまかせて、記憶をふわふわとさせているばかりです。

ゆかりのある人が夢に出てくるって、ごく稀なことだと思うのですが、最近人生のステージが変わったのか、頻繁に夢に出てくるのは、癒えてきているということなのかもしれません。夢見のいい印象の夢が多く、もちろん夢見の悪い夢は逆夢でいい夢とはいうけれど、私はただ、夢で逢えただけでしっとりと喜ぶ朝なのです。

夢に見るということは、遠くなっている証拠で、現実的には忘れてきているってことだと思います。過去にまつわることが、私にとってまぎれもない、通り過ぎた出会いであり、出来事であり、でもそのことを私自身がしっかりと過去に出来ているということなのだと思います。夢見のあと儚い記憶とともに、いつもそう感じます。

私は若い頃に、臨床心理学を勉強していたけれど、勉強不足でまったく頼りなく、何もわかってないのです。むしろ、後になって本を読み出したりした印象なくらい勉強不足でした。だけれど、勉強して思ったのは、病気にならなければわからないことだらけでしょう、ということくらいです。もちろん、専門家が病気なわけではないと思いますが、私は病気になって病気を知りたいと考えていました。だから、当然本当に病気になったのだと思います。病気体験しているわけなんです。一生をかけて、体験しているのです。

それにしても、最近、寛解したい思いが出てきました。病気とつきあっていくしかないという思い、でも寛解したいという思い、複雑です。本当に可能なのかどうかわかりません。

でも、こんな夢見の日は、過去が癒えている証拠だと信じられるので、病状がよくなってきてるのだという、夢のお告げだと感じています。もう、あの出来事は起こるべくして起きたのだから大丈夫よと、そっと言われているようです。それくらい、過去のすべては細胞に残り、記憶されているのですね。身体をそっといたわり、身体の声を聞いてあげましょう。


今日は久しぶりに、オラクルカードを引きたいと思います。ポジティブズムの法則ヒーリングオラクルより、1枚引きます。今朝にヒントを教えてくれる1枚を。

信念と希望を介して、わたしは神に導かれるままに我が道を歩んでいます

このカード、以前も引いた記憶があります。人生は、コントロールできることではなく、何か大きな力に、ここでは神と呼び、導かれているのだということを、カードからの印象です。光の方へ向かって歩いている女性がいます。それは私でもあり、あなたでもあるのです。人は光の方向へと導かれます。闇を抱えながら。そして、その傍らには鳥や鹿やクリスタルが見えますが、共に歩む人が存在するのです。そんな存在に感謝して、人生を歩んでいきましょう。過去の人への感謝の気持ちも忘れずに。


今日はこんなカードが出てきてくれました。私はどこまでも見えない大きな力によって、生かされているのだということ。そのことを再確認したのです。ありがたいことです。私は生かされているのですから。自分ひとりの命ではないのですよね。

こうやって、今日も書くことができたことに私は深く生きている感覚を感じるのです。この、書くということが、どれだけ私を支えてくれているかを。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。また書きますので、宜しくお願いします。

それでは、また。


空川ナオ


いいなと思ったら応援しよう!