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仕事は、モチベーションでやるものではない

仕事をするうえで、モチベーションはとても大事だと思っていた。

いや、今でも大事だと思っている。

やる気があること。前向きに取り組めること。仕事に意味を感じられること。自分の内側からエネルギーが湧いてくること。

そういう状態で働けるのは、やはり良いことだと思う。

人は機械ではない。

感情がある。気分の波もある。納得できるかどうかも、仕事のパフォーマンスには大きく影響する。

だから、モチベーションなんて不要だとは思わない。

ただ最近、自分の中で少し感覚が変わってきた。

仕事は、モチベーションでやるものではない。

そう思うようになっている。

モチベーションは大事だが、主導権を渡してはいけない

誤解されやすい話だと思う。

モチベーションが大事ではない、と言いたいわけではない。感情を無視して働け、と言いたいわけでもない。つらくても黙って耐えろ、という話でもない。

むしろ、モチベーションは大事だ。

人が前に進むためには、内側から湧くエネルギーが必要だ。納得感がある仕事の方が、深く考えられる。自分の意思とつながっている仕事の方が、成果にもつながりやすい。

ただ、それでも思う。

モチベーションに、仕事の主導権を渡してはいけない。

やる気があるからやる。気分が乗るから考える。納得できるから動く。楽しいから頑張る。

これ自体は悪いことではない。

でも、その逆が起きたときにどうするのか。

やる気が出ないからやらない。気分が乗らないから考えない。納得できないから動かない。楽しくないから手を抜く。

ここまでいくと、仕事としてはかなり危うい。

プロとして仕事をする以上、自分の感情は大切にしながらも、感情に成果を委ねてはいけないのだと思う。

役割が変わると、見えるものも変わる

以前よりも「モチベーションで仕事をするものではない」という感覚が強くなった理由の一つは、自分の役割が変わってきたことだと思う。

プレイヤーとして働いているとき、モチベーションは成果に直結しやすい。

自分が燃えていれば、手が動く。深く考えられる。もう一歩踏み込める。結果として、成果も出やすい。

だから、自分のモチベーションをどう高めるかは重要だった。

でも、マネージャーや育成側の立場になると、見えるものが変わる。

自分だけでなく、メンバーの状態を見る。組織全体の成果を見る。仕事の進み方を見る。成長する人と、なかなか前に進めない人の違いを見る。

そうすると、だんだん気づく。

成果を出し続ける人は、モチベーションが常に高い人ではない。

もちろん熱量はある。

でも、それ以上に、モチベーションが低い日でも崩れない。

やる気があるからやるのではなく、やるべきことだからやる。気分が乗るから考えるのではなく、考える必要があるから考える。納得できる仕事だけを選ぶのではなく、納得できる形に近づけるために動く。

そういう人は強い。

逆に、能力があっても、モチベーションに仕事の品質が左右されすぎる人は不安定になる。

調子が良いときはいい。やりたい仕事なら強い。自分の関心がある領域では深く入れる。

でも、少しでも気分が乗らないと止まる。納得できないと手が鈍る。自分にとって意味を感じにくい仕事になると、急に他人事になる。

それを見る中で、自分の中に違和感が育ってきたのだと思う。

仕事は、モチベーションがあるときだけ成立するものではない。

コンディションが悪くても、役割は消えない

もう一つは、自分自身の経験も大きい。

仕事をしていれば、いつも万全な状態でいられるわけではない。

眠い日もある。疲れている日もある。体調が悪い日もある。家庭のことで気持ちが引っ張られる日もある。緊張している日もある。不安がある日もある。

それでも、仕事はある。

会議は来る。判断は求められる。相談も来る。資料は必要になる。約束はある。本番も来る。

自分のコンディションが悪いからといって、役割そのものが消えるわけではない。

もちろん、無理をし続けるべきではない。休むべきときは休むべきだ。壊れるまで働くことを美徳にしてはいけない。

でも、コンディションが完璧ではない日は必ずある。

そのたびに仕事の品質が大きく落ちるなら、それはプロとして弱い。

大事なのは、モチベーションや体調や気分に波があることを前提にしたうえで、それでも一定以上の仕事ができる状態をつくることだと思う。

つまり、感情をなくすことではない。

感情が揺れても、仕事が崩れないようにすること。

そのために、習慣が必要になる。基準が必要になる。構造が必要になる。自分なりの仕事のOSが必要になる。

「楽しい仕事」の意味が変わってきた

以前の自分にとって、楽しく働くことはかなり大事だった。

今でもそれは変わらない。

ただ、その「楽しい」の意味が変わってきた気がする。

昔は、もっと感情としての楽しさに近かったのかもしれない。

ワクワクする。熱中できる。面白いと思える。自分のやりたいことに近い。前向きな気持ちで取り組める。

もちろん、それは今でも大事だ。

でも最近は、それだけではないと思うようになった。

自分の意思が現実に接続されていること。変えたいものに向き合えていること。誰かの成長に関われていること。組織が少しずつ前に進んでいること。自分が引き受けると決めたものに対して、ちゃんと責任を果たせていること。

そういう手応えの方が、今の自分にとっては「楽しい」に近い。

気分として楽しいかどうかではなく、意味があるかどうか。

やりたいかどうかだけではなく、引き受けたいと思えるかどうか。

目の前の仕事が、自分の意思や価値観とつながっているかどうか。

そこに重心が移ってきた。

だからこそ、モチベーションという言葉だけでは、少し軽く感じるようになったのだと思う。

モチベーションではなく、意思で仕事をする

モチベーションは感情に近い。

高い日もあれば、低い日もある。湧いてくる日もあれば、まったく出てこない日もある。外部環境にも左右される。人間関係にも左右される。評価や期待にも左右される。

だから、モチベーションを仕事の中心に置くと、仕事そのものが不安定になる。

一方で、意思は少し違う。

意思は、気分ではない。

意思は、自分が何を引き受けるかを決めることだ。何を大事にするかを選ぶことだ。どんな状態をつくりたいのかを持ち続けることだ。

やる気があるからやるのではない。

自分がやると決めたからやる。

気分が乗るから考えるのではない。

考える必要があると判断したから考える。

楽しいから向き合うのではない。

向き合う価値があると思うから向き合う。

そういう働き方をしたい。

そして、そういう働き方ができる人を増やしたい。

プロとは、感情を消す人ではない

プロという言葉を使うと、少し冷たく聞こえるかもしれない。

感情を持ち込まない人。淡々と成果だけを出す人。弱音を吐かない人。常に高いパフォーマンスを出し続ける人。

そんなイメージを持たれやすい。

でも、自分はそうは思わない。

プロとは、感情を消す人ではない。

感情はある。迷いもある。不安もある。疲れる日もある。やる気が出ない日もある。

それでも、自分の感情を扱いながら、必要な仕事に向き合える人。

それがプロなのだと思う。

モチベーションが低い自分を責める必要はない。やる気が出ない日があること自体は、人として自然なことだ。

ただ、その状態をそのまま仕事の品質低下の理由にしていいかというと、そこは別の話だ。

感情は大事にする。

でも、感情を言い訳にはしない。

このバランスが、今の自分にとってのプロ意識なのだと思う。

仕事を支えるものを、モチベーション以外に持つ

モチベーションは大事だ。

でも、それだけでは足りない。

仕事を支えるものは、もっと他にも必要だ。

自分の基準。役割への責任。周囲への信頼。積み上げてきた習慣。仕事に対する思想。引き受けると決めた意思。そして、多少揺れても崩れない構造。

これらがあって初めて、モチベーションは良い形で活きる。

モチベーションがあるから仕事をするのではない。

仕事に向き合っているから、結果としてモチベーションが戻ってくることもある。

動き始めたら、少しずつ気持ちが乗ってくる。向き合っていたら、意味が見えてくる。意味が見えてくると、もう一歩踏み込める。

そういう順番もある。

だから、モチベーションが湧くのを待ち続けるのではなく、モチベーションがなくても動ける自分をつくる。

その方が、きっと強い。

意思で、役割に手を伸ばし続ける

改めて思う。

仕事は、モチベーションでやるものではない。

ただし、それはモチベーションを否定するという意味ではない。

モチベーションは大事だ。

でも、モチベーションを中心に置きすぎると、仕事は不安定になる。

プロとして大事なのは、モチベーションが高い状態をずっと保つことではない。

モチベーションが低い日でも、必要なことに向き合えること。

気分が乗らない日でも、自分の基準を下げないこと。

感情が揺れても、役割から逃げないこと。

そして、自分が引き受けると決めたものに対して、ちゃんと手を伸ばし続けること。

モチベーションではなく、意思で仕事をする。

最近の自分の変化を言葉にするなら、きっとそういうことなのだと思う。

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