一語の宇宙 | 品格・品性は、自ら語らず、ただ立ち現れる
日本語の「品格」や「品性」を英語に訳すなら、一般的には「dignity」という言葉に行き着く。しかし、この単語を私はかつて学校で「尊厳」と暗記した記憶がある。だから、「品格=dignity」と聞くと、どこか首を傾げたくなる。「尊厳」という言葉が持つ、人権や生命といった重たく不可侵なイメージと、私が日常生活や大相撲のようなスポーツの場で捉える「品格」との間には、微妙な溝があるように感じられる。
しかし、dignity の語源であるラテン語の dignus(価値がある、ふさわしい)にまで遡ると、その本質が見えてくる。尊厳とは「侵してはならない人間としての価値」であり、品格とは「自分を安売りせず、毅然と保つ価値」である。どちらにも共通して根底にあるのは「自他の価値を損なわない凛とした姿勢」にほかならない。
相撲における「横綱の品格」を「the dignity of a yokozuna」と表現するのも、勝利に浮かれず、過酷な勝負の場にあっても自らの誇りと相手への敬意を失わない佇まいを指している。
そうして「品格」の意味を紐解いていくと、本質的な事実に突き当たる。品格とは、言葉で定義するものではなく、自らの身体と振る舞いによって体現するものであるということだ。
真に品格を備えた者は、「品格とは何か?」を声高に語ることはない。自分で自分を「品格がある」と評することもなければ、その条件を言葉で規定しようともしない。品格とは、静かな佇まいや日々の誠実な行いの果てに、他者がその背中を見て自ずと感じ取るものだからだ。自ら「私には品格(品性)がある」と言うものではない。
さらに言えば、品格や品性を論じる際に、誰かを指さして「あの人には品性がない」と誹謗中傷を重ねる行為ほど、皮相で醜悪なものはない。他者を貶めるその言動自体が、自身の品性の欠如を露呈しているからだ。
品格 (dignity) とは、他者を正すための言葉ではなく、過酷な状況にあっても感情に流されず、ただ粛々と自らを律する「沈黙の実践」の中にしか宿らない。語ろうとした瞬間に手からこぼれ落ちてしまうものこそが、本当の品格なのだろう。
https://note.com/piccolotakamura/m/mead4a44fdb4b
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