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「何を書こう?」から「私はどう感じた?」に変わった

1年くらい前の私のnoteを読み返すと、今とはずいぶん違うなと思います。

当時よく書いていたのは、訪問リハビリの仕事で経験したこと。

利用者さんとの関わりの中で感じたことや、仕事を通して気づいたこと。

あとは、本や講座などで自分が学んだこと。

もちろん、それはそれで私が経験したことだし、誰かに伝えたいと思って書いていました。

でも今振り返ってみると、あの頃の私はいつも、

「何かnoteに書けることはないかな」

と探していたように思います。

仕事をしていても、

「これは記事にできるかもしれない」

「この出来事なら書けそう」

そんなふうに、どこかでnoteのネタを探していました。

本を読んだら、そこから学んだことを書く。

仕事で何かあったら、その出来事を書く。

つまり私は、自分の外側にあるものから、書くことを見つけようとしていたのだと思います。

それが悪かったわけではありません。

外から何かを学ぶことも、人との関わりから気づくことも、今でも大切だと思っています。

でも最近、私の書き方が少し変わってきました。

「何を書こう?」

と考えるより、

「私はどう感じたんだろう?」

と考えることが増えました。

たとえば、前回の記事で書いた娘との出来事。

文化祭には仕事で行けない私に、娘が、

「本当は見に来てほしかった」

と言ってくれました。

私はその言葉を聞いて、文化祭に行けない残念さと同時に、なぜか嬉しい気持ちになりました。

以前だったら、

「行けなくて残念だった」

で終わっていたかもしれません。

でも今回は、

「私は、どうして嬉しかったんだろう?」

と少し立ち止まりました。

考えてみると、娘が自分の本音を話してくれたことが嬉しかった。

そして、以前より私自身に心の余白ができたことで、娘も安心して気持ちを話してくれたのかもしれない。

そんな自分の気持ちに気づきました。

そこから一つの記事が生まれました。

そう考えると、変わったのは「書くネタ」ではないのかもしれません。

自分の気持ちを見るようになったこと。

それが、私にとって一番大きな変化なのだと思います。

特別な出来事が毎日起きるわけではありません。

誰かに教えられるような、新しい知識が毎日増えるわけでもありません。

でも、

家族との何気ない会話。

仕事をしていて少し引っかかったこと。

誰かの言葉を聞いて嬉しかったこと。

なぜかモヤモヤしたこと。

昔のことをふと思い出した瞬間。

そんな普通の毎日の中でも、自分の心は小さく動いています。

そこに立ち止まって、

「どうして私はそう感じたんだろう?」

と考えてみる。

すると、今まで自分でも気づかなかった気持ちが見えてくることがあります。

私は以前、自分の気持ちを言葉にするのが苦手でした。

だからこそ、書くことが私には合っているのかもしれません。

すぐに答えが出なくても、文章にしながら考える。

書いている途中で、

「ああ、私はこんなふうに思っていたんだ」

と気づく。

最近は、そんなことが増えてきました。

以前の私は、

noteを書くために、ネタを探していた。

今の私は、

noteを書くことで、自分の気持ちを探している。

似ているようで、私にとってはずいぶん違います。

もちろん、これからも仕事で経験したことや、学んだことを書くと思います。

でも、それだけじゃなくていい。

何気ない毎日の中で自分が感じたことも、ちゃんと書くことになる。

そう思えるようになってから、以前より「何を書こう」と焦らなくなった気がします。

書くネタは、外に探しに行かなくてもよかった。

自分が何を感じて、何を考えて、どう生きているのか。

そこにも、書けることはたくさんありました。

そして、それを言葉にしていくことは、誰かに読んでもらうためだけではなく、自分自身を知ることにもつながっているように思います。

書くことで、自分に気づく。

自分に気づくことで、何気ない毎日の見え方が少し変わる。

そんな小さな変化も、

「書くことから暮らしを豊かにする」

ということなのかもしれません。

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