転生外科医物語 ― 幕府召し出し編
江戸の大火での奇跡の治療から、数日。
「鉄砲組頭・久保広当は医術にも通じ、人の命を救った」との噂は、町人から武士へ、やがて幕府の中枢にまで届いた。
ある朝、広当の屋敷に役人が訪れる。
「広当殿、至急登城せよとの御沙汰である」
「……幕府から?」
寝耳に水の知らせに、広当は眉をひそめる。
鉄砲組頭として呼ばれるのならば、軍務か警護の話だろう。だが「なぜこの時期に」と胸の内は波立った。
江戸城に着くと将軍家直参の旗本や奥医師たちが居並んでいた。
中央に横たわるのは、馬から落ちた若い小姓。胸を強く打ち、呼吸は浅く、喉の奥からは泡混じりの血が漏れている。
奥医師たちは首を振り、誰もが「これ以上は手の施しようがない」と諦めていた。
老中は広当に視線を向ける。
「久保広当――お主の評判、耳に入っておる。真偽をここで確かめさせてもらおう」
広当は息を呑む。なぜ自分が呼ばれたか分からなかったが、状況は理解できた。
――これは“試し”だ。
逃げれば笑いもの、挑めば命を背負う。
彼は静かに頷いた。
「……綺麗な布と小刀、そして焼酎を用意してください」
場にどよめきが走る。
「焼酎……?」
「何をするつもりだ」
広当は迷わず答えた。
「傷口を清めるのです。たとえ酒であっても、何もせぬよりははるかに良い」
やがて家臣が布と小刀、徳利を運んできた。
広当は焼酎を布に染み込ませ、小刀を湿らせながら、手元の震えを抑えた。
――滅菌も麻酔もない。だが、この時代でできる最善を尽くす。
小姓の胸に手を当てた瞬間、視界に淡い光が広がった。
肋骨の折れ、肺を穿つ鋭い破片、滲む血管の走行が透けて見える。
「……見える。助けられる」
広当は刀先で胸を慎重に開き、骨の隙間を探り、破片を取り除いた。
血があふれるたびに布で拭い、焼酎を注いで洗い流す。
「しっかりせよ……まだ生きられるぞ」
誰にともなく呟きながら、止血を施し、裂けた血管を針と糸で縫い合わせていく。
額から汗が滴り落ち、右目に鋭い痛みが走った。
視界が赤く揺らぎ、吐き気すら込み上げる。
――今は倒れるな。こいつを救うまでは。
やがて最後の縫合を終え、胸の動きを確かめる。
しばしの沈黙。
次の瞬間、小姓の胸が大きく上下し、肺が空気を吸い込む音が聞こえた。
「……息をしておる!」
「生き返ったぞ!」
座敷はざわめきに包まれ、驚愕と歓喜の声が広がった。
広当は布で額の汗を拭い、深く息をついた。
「これで……しばらくは持つはずです」
老中は立ち上がり、鋭い眼差しで広当を見据えた。
「ただの鉄砲組頭と思いきや……まこと、医術に秀でたる旗本よ。上様もお喜びであろう」
広当は目の奥の痛みに耐えながら、深く頭を下げた。
己が力と知識を、この江戸の世で背負って生きることを、強く自覚した瞬間だった。
