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残った理由なんて、大したものじゃない

Vol.37『犬にワインを見せたらワイ~ンと鳴いた』
役に立つかは貴方次第!
他力本願。
しかし未来志向のワインコラム

この文章は、ある**ワインバー経営者**が自身のキャリアを振り返り、皮肉な運命の巡り合わせを綴った回顧録です。著者は学生時代の経験から**バー業務を避けていた**ものの、ホテルの配属先でその道に引き戻され、結果として同期の中で**最も早く昇進**することになりました。かつての仲間たちが次々と離職していく中で、執着心ではなく**タイミングを逃しただけ**という自然体な姿勢で、彼はただ一人現場に残り続けました。最終的に**支配人**を経て独立に至るまでの歩みは、嫌っていたはずの場所が**自身の天職**へと変わっていく不思議な人生の軌跡を描いています。18年に及ぶホテルマン生活と現在の店主としての視点が交錯する、**静かで深みのある**コラムとなっています。

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同期の桜

30数年前の話。
入社式の日、同期は全員、同じ紺のスーツを着ていた。
高卒も、専門卒も、大卒も。
調理場に配属される者も、フロントに立つ者も、客室係になる者も、レストランに行く者も、バーに配属される者も。学歴もバラバラ、目指す仕事もバラバラ。それでもあの日だけは、全員が同じ「新人」という肩書きの下に並んでいた。今思えば、あれがこの話の全ての始まりであり、同時に全ての終わりの始まりでもあった。
学生時代、私は中洲のバーでアルバイトをしていた。
カウンターの向こうで大人たちが交わす会話を盗み聞きしながら、グラスを磨く仕事だ。
正直に言うと、あの頃の私は「将来この仕事をする気」など毛頭なかった。就職活動をする頃には、むしろ「バーだけは勘弁してほしい」とすら思っていた。夜型の生活、酔客の相手、閉店後の後片付け。学生時代にさんざん見てきたから、その大変さを誰よりも知っていたのだ。
だから、ホテルへの就職が決まったとき、私が心の中で描いていた配属先は、バー以外の何かだった。
フロントでも、レストランでも、客室係でも良かった。とにかくバーでなければ良かった。
人生というのは、こういう時に限って皮肉なものを用意してくる。
配属先は、バーだった。
同期たちは、それぞれの持ち場に散っていった。
調理場に入った者は、包丁の握り方から叩き込まれた。フロントに立った者は、クレーム対応の電話一本で胃を痛めた。客室係になった者は、シーツの畳み方一つで先輩に叱られた。レストランに配属された者は、皿の並べ方で怒鳴られた。学歴も違えば、配属先も違う。同じ「同期」という言葉でくくられていること自体が、今考えると不思議なくらいバラバラな集団だった。共通していたのは、あの入社式で着ていたスーツの色くらいのものだ。
そして私は、あれほど避けたかったカウンターの中に、また立っていた。
不思議なもので、避けたかったはずの場所に立ってみると、案外、体が覚えていた。
学生時代の中洲でのバイトが、こんな形で役に立つとは思っていなかった。グラスの磨き方、酔客のあしらい方、忙しい時間帯の呼吸の読み方。イヤイヤ通っていたバイトが、いつの間にか自分の武器になっていた。
同期の中で、私は昇進が一番早かった。
これは自慢ではなく、単なる事実として書いておく。理由は今でもはっきりしない。運が良かったのか、たまたま上司との相性が良かったのか、それとも学生時代のバイト経験が多少なりとも効いていたのか。おそらく、その全部が少しずつ絡み合っていたのだと思う。ただ、周りより早く肩書きがついていく中で、同期という横並びの感覚は、少しずつ薄れていった。
同じスーツを着て並んでいたはずの仲間との距離が、役職という目に見えない線で、じわじわと開いていく。
それは嬉しいことのはずなのに、同時にどこか居心地の悪さも伴っていた。
同期の中には、同期同士で結婚したカップルもいた。
同じ研修を受け、同じ寮の食堂で飯を食い、同じように上司に怒られてきた二人だ。周りから見れば「お似合い」という言葉がこれほど似合う二人もいなかった。
結婚式には呼ばれたが、当時の私は仕事の都合がつかず、出席することができなかった。祝いの言葉だけを人づてに送ったことを覚えている。それが今でも、少し心残りになっている。
その二人は、後に離婚した。
詳しい事情を、私は知らない。知る立場でもなかった。ただ、非日常を売る仕事――お客様に「特別な時間」を提供し続ける仕事――を毎日している人間同士が、家に帰って「日常」を築くというのは、案外難しいことなのかもしれない、とだけ思っている。職場では最高の笑顔を振りまき、家では素の自分に戻る。その切り替えのどこかで、歯車が狂うことがあるのだろう。これは想像でしかないし、二人の名誉のためにも、これ以上は踏み込まない。結婚式に出られなかった負い目もあって、余計に踏み込めない、というのが正直なところかもしれない。
同期は、少しずつ辞めていった。
最初に辞めたのは、確か調理場の男だった。次にフロントの女性が結婚を機に。そしてレストランの一人、客室係の一人。
理由はそれぞれだ。
体を壊した者、家業を継ぐことになった者、単に「向いていない」と気づいた者。誰も彼も、それなりの理由を抱えて去っていった。
私は、その様子をただ眺めていた。
辞めていく理由を聞くたびに、「自分にも同じことが起きる日が来るのだろうか」と、他人事のように考えていた記憶がある。
昇進していく自分と、辞めていく同期たち。
二つの流れを同時に見ながら、自分だけが違う川を流れているような、妙な感覚があった。


気づけば、同期は私一人になっていた。
なぜ自分だけ残ったのか、と聞かれることがある。正直に言えば、大した理由はない。強い意志があったわけでも、他に行くあてがなかったわけでもない。昇進が早かったから続けられた、という単純な話でもない気がする。ただ、辞めるタイミングをうまく掴めなかっただけ、というのが本当のところだ。
「そろそろ潮時かな」と思う瞬間はあった。けれどその度に、忙しさに紛れて、気づけば次のシーズンが始まっていた。そうやってズルズルと続けているうちに、周りには誰もいなくなっていた、というだけの話だ。美談でも何でもない。
そして最後には、あれほど避けたかったバーで、支配人という肩書きを背負うことになった。
学生時代、中洲のカウンターの中から「こんな仕事はしたくない」と思っていた自分が、何十年後かにバーの支配人になっている。就職活動で「バーだけは」と願っていた自分が、結局、誰よりも長くバーにいる。人生の皮肉というのは、こういう静かな形でやってくるものらしい。
結局、そのホテルには18年勤めた。長いと言えば長いし、あっという間だったと言えばあっという間だった。
同期という横並びの存在がいなくなってからも、私はその場所に立ち続けた。
誰かと比べる必要がなくなった分、純粋に目の前の仕事とだけ向き合えたのかもしれない。
そして18年が経ったところで、私は独立した。
ホテルという看板を降り、自分の名前と腕だけで勝負する場所を持つことにしたのだ。あれほど避けたかったバーという仕事を、今度は誰の指示でもなく、自分の意志で選び直した形になる。
就職活動の頃の自分が今の私を見たら、さぞかし驚くだろう。あれほど嫌がっていた場所に、自分から戻ってきたのだから。
そうして今に至る。
同期たちのその後を、私は全員知っているわけではない。今どこで何をしているのか、風の噂で聞くこともあれば、完全に消息がわからない者もいる。ただ、あの入社式の日に同じ紺のスーツを着ていた仲間たちのことを思い出すとき、いつも思うのは、「あの日、誰も自分の未来を選べていなかった」ということだ。
配属先も、昇進の早さも、辞める時期も、誰と結婚するかも、その後どうなるかも。全部、後から振り返って初めて意味がついてくるようなことばかりだった。
今、私は自分の店のカウンターに立っている。
あの中洲のバイト時代から数えれば、もう随分長く、こうしてグラスを磨く仕事をしていることになる。
避けたかったはずの場所で、一番長く生きている。それが良かったのか悪かったのか、今でもよくわからない。
ただひとつ確かなのは、同期の中で一番出世が早く、それでも最後まで残ったのは、一番バーを嫌がっていた自分だった、ということだ。

30年前の「あだかつ」
同期のみんなと

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