朝ドラの『脚気』でつながった、宮崎が生んだビタミンの父
こんにちは、凸凹おばばです。
今朝の朝ドラ『風、薫る』を見ていて、どうしても思い出した人がいました。
宮崎県が生んだ先覚者、高木兼寛(たかき かねひろ)です。
きっかけは、直美の夫が脚気で亡くなったこと。
そして、多江のこんな言葉でした。
「戦死する人より、伝染病や脚気で亡くなる人が多い」
戦争なのに、戦って亡くなる人より、病気で亡くなる人のほうが多い。
改めて聞くと、なんともやりきれない話です。
日清戦争で兵士を苦しめた「脚気」
ドラマで描かれているのは、明治27年(1894年)に始まった日清戦争です。
この戦争では、戦場での負傷だけでなく、脚気や赤痢、コレラなどの病気に苦しむ兵士が大勢いました。
実際、戦死・戦傷死した人よりも、病気で亡くなった人のほうがはるかに多かったとされています。
今なら、
「栄養のあるものを、バランスよく食べましょう」
と当たり前のように言われます。
けれど当時は、脚気がなぜ起こるのかさえ、はっきり分かっていませんでした。
「食べ物に原因があるのでは」と考えた人
そこで思い出したのが、高木兼寛です。
1849年、現在の宮崎市高岡町穆佐に生まれ、のちに海軍軍医となりました。
当時、海軍でも脚気は大きな問題でした。
高木兼寛は、脚気になる兵士たちの食生活に目を向けます。
白米中心の食事に偏っていることと、脚気には関係があるのではないか。
そう考え、肉や野菜、麦などを取り入れ、海軍の食事を改善していきました。
すると、脚気になる兵士が大きく減っていったのです。
まだ「ビタミン」というものさえ知られていなかった時代。
高木兼寛は、のちに「ビタミンの父」とも呼ばれるようになりました。
宮崎県の郷土先覚者の一人です。
今では「バランスよく食べる」が当たり前
今の時代、脚気で亡くなったという話を耳にすることは、ほとんどなくなりました。
そして、
野菜も食べる。
肉や魚も食べる。
同じものばかりに偏らない。
そんな「まんべんなく栄養を摂る」という考え方も、すっかり私たちの生活に定着しています。
「そんなこと、分かっちょるわ」
と言いたくなるくらい当たり前です(笑)。
でも、その当たり前にたどり着くまでには、病気になった人を観察し、
「もしかしたら食事では?」
と考え、実際に確かめた人たちがいたんですね。
朝ドラを見ながら、宮崎の人を思い出す
多江の
「戦死する人より、伝染病や脚気で亡くなる人が多い」
という言葉を聞いて、
「あ、高木兼寛!」
と、わたしの中で朝ドラと宮崎の歴史がつながりました。
以前、ブログ『ひなたのばあさん凸凹日記』で、高木兼寛についてもう少し詳しく書いています。
高木兼寛が、どのように脚気と向き合ったのか。
そして、なぜ「ビタミンの父」と呼ばれるようになったのか。
朝ドラを見て「脚気」という言葉が気になった方には、ぜひこちらも読んでいただけたらと思います。
▶ 宮崎が生んだ「ビタミンの父」高木兼寛
朝ドラは物語を楽しむもの。
でも、ときどき一つの言葉から、
「そういえば、こんな人がいた」
と歴史の扉が開くことがあります。
今朝、わたしにとってその扉を開けてくれたのは、「脚気」という言葉でした。
そして、その扉の向こうにいたのが、宮崎の先覚者・高木兼寛でした。
朝ドラを見ていて、高木兼寛そのものよりも、“なぜ私はすぐ宮崎につながったのか”という自分の変化も面白く感じました。そのことは『いちごのシニア通信局』に書いています。
