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九十七、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)

題七話 風小僧 名前を盗まれる

 二十一章   藪井竹庵、現る

 堀田主計頭の屋敷に、風変わりな医者が現れたのは、昼下がりのことであった。 「殿!」  家臣が慌てて駆け込んできた。 「何だ、騒々しい」 「医者が参っております」 「医者?」 「はい。黒岩様の紹介だと申しております」 「黒岩の?」 「名前は……藪井竹庵(やぶい・ちくあん)とか」 「藪井……竹庵?」 「いかにも怪しげな名でございます」 「お前が言うな。通せ」 「はっ」  ほどなくして襖が開いた。 「ホイホイホイホイ!」  入ってきたのは、妙に派手な着物を着た男だった。  頭には大きな頭巾。  首から薬箱をぶら下げ、歩くたびに中の薬瓶が、  ちゃぷ、ちゃぷ、と音を立てる。 「これはこれは、堀田様!」 「お前が藪井竹庵か」 「左様でございます。藪の中から這い出してきたような医者、藪井竹庵!」 「……」 「本日は病人がおると聞きましてな。ホイホイホイ!」 「娘を診てもらいたい」 「お任せあれ!」  竹庵は胸を張った。 「病気には二つございます」 「二つ?」 「治る病と、治らぬ病!」 「……」 「しかし安心なされい!」  竹庵は得意げに笑った。 「私は、その二つの間を行ったり来たりする医者でございます!」 「それは医者なのか?」 「ホイホイホイ!」  堀田は不安になった。  だが黒岩の紹介である。 「娘の部屋へ案内せよ」 「承知!」  鶴姫の部屋。  竹庵は姫の前に座るなり、妙に大げさな顔をした。 「これは……」 「先生、娘は……」 「しっ!」  竹庵は堀田を制した。 「病人を前に親が騒いではいけません」  そして姫の手を取った。 「脈を診ますぞ」 「はい……」 「ほう」  竹庵は姫の顔をじっと見た。 「なるほど」  さらに手を握る。 「ほうほう」  もう一度握る。 「なるほどなるほど」  堀田が眉をひそめた。 「先生、それは診察なのか?」 「もちろん!」  竹庵は姫の手を握ったまま、妙に色っぽい目をする。 「病人には、優しく触れてやるのが一番」 「おい」 「親の前でも手と手を握り色目使うは医者ばかり。わぁっはっはっは」  竹庵は突然、大声で笑った。  堀田が呆気に取られる。 「世の中は千変万化ですぞ!」  竹庵は両手を広げた。 「栄枯盛衰!」  くるりと一回転。 「有為転変!」 「……」 「わぁっはっはっは!」  堀田は頭を抱えた。 「黒岩め……本当に大丈夫なのか、この医者は」  竹庵は突然真顔になった。 「うん」 「何だ?」 「これは治りますぞ」 「本当か!」 「ええ」  竹庵は頷いた。 「しばらく、姫様と二人にしていただきたい」 「二人に?」 「はい」  堀田が怪訝な顔をする。 「何をする」 「診察です」 「……」 「覗いてはいけませんぞ」 「なぜだ」 「病は気から。覗かれたら治るものも治りません」 「……分かった」  堀田たちは渋々、部屋を出た。  襖が閉まる。  静かになった。  竹庵は、しばらく黙っていた。  そして――。 「♪帰るピョコピョコ、三ピョコピョコ~」  姫が目を丸くする。 「……?」 「合わせてピョコピョコ、六ピョコピョコ~」 「先生……?」  竹庵はニヤリと笑った。 「姫様」 「はい?」 「ちょいと、こちらをご覧ください」  懐から小判を一枚取り出す。 「小判?」  竹庵は指先で小判を弾いた。  すると――。  小判が消えた。 「あ……」  姫が目を見開く。  竹庵が袖を払う。  すると小判が、姫の目の前に現れた。 「……!」 「どうです?」 「あなたは……」
 竹庵は頭巾を取った。 「風小僧……?」  姫の声が震えた。 「そうです」  にっこり笑う。 「姫様」 「あなた……」 「盗っ人です」 「……風小僧!」 「へい」 「生きていたのですね!」 「風小僧は――」  三太は笑った。 「いつでも姫様の近くにおります」  姫の顔が、ぱっと明るくなった。 「本当に……?」 「ああ」 「ずっと、会いたかった……」  三太は少し困ったように笑った。 「俺もですよ」  やがて部屋の外から、 「ホイホイホイ!」 という声が響いた。  続いて――。  姫の笑い声。  堀田が襖の外で目を見張った。 「……笑っている?」  家臣たちも顔を見合わせる。 「姫様が……」  久しぶりの笑い声だった。 「ねぇ、風小僧さん」 「何です?」 「今度、私を屋敷から連れ出してください」  三太は黙った。 「……外へ?」 「はい」 「姫様が町へ出たら、大騒ぎになりますぜ」 「それでも」  姫は微笑んだ。 「あなたと一緒の世界を、見てみたいのです」  三太は困ったように頭を掻いた。 「分かりました」 「本当?」 「約束します」  姫は嬉しそうに笑った。 「約束ですよ」  三太はその手を、そっと握った。 「ええ」  しばらくして。


襖が開いた。 「治りましたぞ!」  藪井竹庵が、胸を張って出てきた。 「姫様は治りました!」 「本当か!」堀田が慌てて部屋へ入る。  そこには、しゃんと起き上がった鶴姫がいた。 「父上」 「鶴!」 「お腹が空きました」 「何と!」 「鮭の茶漬けを」 「すぐに!」 「十三杯ほど」 「十三杯!?」  屋敷中が騒ぎになった。  堀田が竹庵を見る。 「先生、何と礼を申せばよいか。いくらお支払いすれば……」 「要りませんよ」 「しかし――」  竹庵は薬箱を肩に担いだ。 「世の中は有為転変!」 「……」 「栄枯盛衰!」 「……」 「病気も治れば、腹も減る!」 「……」 「ホイホイホイホイ!」  そう言って、竹庵は大笑いしながら屋敷を出ていった。  残された者たちは、ただ呆然とその背中を見送った。  その夜。  三太は屋根の上から堀田の屋敷を眺めていた。  姫は大名の娘。  自分は、盗っ人。  しかも江戸では、風小僧はすでに死んだことになっている。 「……参ったねぇ」  三太は苦笑した。  だが、その胸には妙に温かいものがあった。  一方、屋敷の中では――。  鶴姫が月を眺めていた。 「風小僧さん……」  その顔には、もう病人の影はなかった。  身分の違い。  家柄。  武士と盗っ人。  越えられないはずのものが、二人の間にはいくつもある。  それでも――。  姫は、約束をした。  「今度、私を屋敷から連れ出してください」  三太も約束してしまった。  さて、この二人。  いったい、どうなることやら。  江戸の夜空を、一陣の風が吹き抜けていった。
                                               つづく


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