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20代の遊牧民と、40代の会社員。私たちは、結婚詐欺を疑われながら、結婚した

「もしかして、結婚詐欺なんじゃないか?」

ある時期、そんな心配の視線を、うっすらと周囲から投げかけられている気配を感じていた。

それもそのはず、わたしの夫は14歳年下のモンゴル人遊牧民である。そして出会いは、旅先である。


配偶者ビザの申請中は、なかなか許可が下りなかった。入管の人手不足とか、世の中の流れなどもあったろうが、おそらく「歳の差」もネック、というか慎重な判断を要する対象になったのだろうと思う。「私たちはロマンス詐欺でも何でもない、本物の夫婦なのに……!」と思いながらも、おとなしく待つしかなかった。

「年下の外国人(しかも謎の国モンゴル)」という条件だけで、世間の警戒センサーがピピピと作動するのか。そんなにおいに直面したとき、わたしは心の中でちょっぴり毒づいた。

「いやいや、同じ日本人同士の結婚だって、やばい既婚者やモンスター級にやべえ奴なんて山ほどいるやろ!なんでうちの夫が、詐欺師扱いされなあかんのや!」と。
(自覚しているが、口が悪い)

これは、正直今でも思っている。でも、いつからかその気持ちはやわらいでいった。同時に「裏」を返してみるようになったからかもしれない。

モンゴルの大草原に暮らしてきた夫の家族や親戚、関係者の一部にだって、心配の声がないわけではない。結構な年上で、いつまでも結婚もせず、東京でバリバリ人事の仕事なんかをしていた、怪しげな日本の独身女性(わたし)。

やあ!


一般的に考えれば、なんでその年まで独身なんだよ?なんか欠陥があるのでは?と思われても仕方ない。それこそ「警戒すべきやべえ外国人」の筆頭ではないか。大切な人を守るために「この年上の女、大丈夫か?」とセンサーを働かせたとしても、あまりにも当然の反応だ。

現に、もし自分の弟が、わたしのような人と結婚したいと言ってきていたら?「え、大丈夫なの?」とは絶対に言わなかった、とは言い切れない。本人の前で口には出さないまでも、「大丈夫なのかねえ」と、お茶でもすすりながら母親とおやつのお供にした可能性は大いにある。
自分とて、そうなのだ。

そう気づいたとき、なんだか妙に、バカバカしく思えてきた。

誰かに「モンゴル人の遊牧民と旅先で出会って、結婚した」と話すと、相手の反応は面白いくらいにわかれる。興味津々になる人もいれば、詳細も聞かぬまま「えっ…大丈夫なの?」と言う人、「ああよくあるやつね」と即座にぽいっと、何かに分類する人もいた。

中身も実態もわからなければ、年齢や国籍、性別、それから過去の一般事例など、自分が知ってるわかりやすい引き出しにいれて判断するしかないのだろう。


だから、都内の会社員と遊牧民の結婚みたいな、引き出しにない組み合わせ(異物ともいう)がぬっと現れると、「大丈夫なの、それ」と反射的に思う。意地悪でも何でもなくて、知らない世界を反射的に「怖いほう」に寄せてしまう、ただの人間のクセなのだと思う。

これは結婚に限らずに、多分そこらじゅうで起きている。何かをやろうとした時に、または何かをやめた時に「それ大丈夫なの?」と案じられたこと。そしてそれが、どこか小骨のようにささって、何年たっても時々痛んだりすること。誰の中にも、一つや二つ、あるのではないかと思う。

30代、人事の仕事で年間1000人近い人間を見つめてきて、わたしが学んだのは、人の数だけ違う前提がある、ということだった。

何も言わないことをやさしさだと思う人がいる。叱ることこそやさしさだと思っている人もいる。同じやさしさという言葉の中身が、人によってまるっきり逆さまだったり、想像もつかないものだったりする。

だから他人の適当な前提にジャッジされ、一喜一憂して自分がバキバキに折られていく必要なんて、本当に一ミリもないのだ。人のジャッジなんて、風が吹けば、ちぎれてひらひらと飛んでいく草の葉のようなもの。

…と、この結婚を通じて、まあまあ立派なことを悟った気になっていた。

ある日、夫は突然、目をキラキラさせて言ってきた。

「りーちゃん!モンゴルで、土地を申し込んできたよ!」

わたしの中の警戒センサーが鳴る。
「いや待て。土地ってどこ?っていうか、何それ?まずよく考えて。ていうか、相談して」

思い立ったら即行動の夫は、事後報告であることもしばしばある。そういう意味で、ひょっとしたらわたしは騙されているのかもしれない。

だとしたら、それもまた人生か。

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