走りすぎても止まっても倒れる
「もっと頑張らなきゃ」と走り続けた先に、何があるか知っているだろうか。
燃え尽きだ。
では、「頑張れない自分はダメだ」と止まり続けた先には何があるか。同じく、燃え尽きだ。走りすぎた人も、止まりすぎた人も、最終的にたどり着く場所は同じ——何もする気力がない、という地点だ。
これは不思議な話ではない。走りすぎと止まりすぎは、崖の両側に見えて、実は同じ谷底につながっている。
ナイフの刃先を渡っている
生き方には、大きく分けて二つの極端がある。
一つは、まるで強迫観念に襲われたように必死に生きること。毎日のスケジュールを埋め尽くし、常に生産的であろうとし、休むことに罪悪感を覚える。もう一つは、目的もなく日々が過ぎ去るのを待つこと。やるべきことはわかっているのに手がつかず、気づいたら夜になっている。
おそらく、どちらも正しくない。
必要なのは、その間を渡り続けることだ。ナイフの刃先を歩くように、どちらか一方に落ちないように。 これは生ぬるい「中庸」を勧めているのではない。刃先を歩くのは、むしろ最も緊張感のある行為だ。走り続けるのは実は楽だし、止まり続けるのも楽だ。どちらかに振り切れば、少なくとも迷わなくて済む。だが刃先の上では、常に自分で判断し続けなければならない。

「現在」は線の上の指の一点だ
ここで少し、時間の話をしたい。
時間は一般的に過去・現在・未来に区分される。だが、この三つの形態は驚くほど異なる。固体、液体、気体ほどの違いがある。
長い時間軸を一本の線だと考えてみよう。過去は、その線の上にすでに描かれた筆跡だ。消すことはできないが、確実にそこにある。未来は、まだ線が引かれていない空白だ。存在しない。
では現在は何か。線の上をなぞる指そのものだ。接している一点でしかなく、同じ点に二度触れることは一度もない。
この比喩が面白いのは、未来に直接影響を与えられるのが「指」——つまり現在——だけだという点だ。過去の筆跡が未来の線に多少の影響を与えることはあるかもしれないが、直接的に未来を動かせるのは、今この瞬間の指の動きだけだ。
走りすぎる人は、指を力任せに動かして線をぐちゃぐちゃにする。止まりすぎる人は、指を動かすのを忘れて、線が途切れる。刃先を歩くとは、指の圧と速度を意識し続けることに他ならない。

バランス筋を鍛える
とはいえ、「バランスを取れ」と言うのは簡単だ。問題は、どうやってそれを実行するかだろう。
一つの提案がある。バランス筋という概念だ。
体幹を鍛えれば、身体のバランスが良くなる。同じように、生き方のバランスにも「筋肉」がある。使わなければ衰えるし、鍛えれば強くなる。
具体的にどう鍛えるか。たとえば、走りすぎる傾向がある人は、意図的に「何もしない時間」を1日に15分だけ作る。スマホも本もなし。ただ座る。これは想像以上に難しい。何かしていないと落ち着かない人ほど、この15分が苦痛になる。だが、その苦痛こそがバランス筋に負荷がかかっている証拠だ。
逆に、止まりすぎる傾向がある人は、1日に1つだけ「能動的にやったこと」を日記に書く。大きなことでなくていい。「散歩した」「あの本を3ページ読んだ」で十分だ。重要なのは、自分の意志で動いたという実感を、小さくても確保すること。
正直に言えば、自分自身もこのバランスは全然うまく取れていない。ゆったりした日もあれば、深夜までスマホを手放せない日もある。バランス筋が十分に育っているとは言いがたい。だが、筋トレと同じで、今日うまくいかなくても明日また1回やればいい。

倒れないための唯一の方法
自転車に乗ったことがある人はわかるだろう。自転車は止まると倒れる。だが、走りすぎてもコントロールを失って倒れる。 倒れない唯一の方法は、適切な速度で走り続けることだ。
人生も同じだ。走ることだけに集中してはいけない。止まることだけに甘えてもいけない。大事なのは、倒れないように、どちらか一方に落ちないように、自分の速度を調整し続けること。
というわけで、「頑張りが足りない」と自分を責めている人も、「頑張れない自分がダメだ」と落ち込んでいる人も、実は必要なものは同じだ。バランス筋。それは一朝一夕には育たないが、毎日少しずつ負荷をかけることはできる。
今日あなたは、走りすぎただろうか。それとも、止まりすぎただろうか。
