【短編小説】正義の反抗期
私は納得がいかないのです。大人たちは私を小学生の女の子だからって馬鹿にしすぎだと思います。よく可愛い子はいじめたくなるらしいと聞いたことがあるけれど、いくら私が可愛いからって限度というものがあるはずなのです。だからここまで意地悪しなくてもいいのに。全く大人という生き物には失礼しちゃいます。
「ではこの問題の答えは?昨日は縁(ユカリ)さんまでだったかな?じゃぁその次で柚月(ユヅキ)さん、わかる?」
「はい!9と4分の3です!」
元気溌剌に答えるのは私、柚月薫(ユヅキ カオル)です。今日の朝、生まれて初めてオロナミンCを飲んだからとても元気が湧き出ています。飲み物を読むだけで元気になるなんて最初は半信半疑だったのだけれど、あまりにも美味しくてびっくりしちゃいました。朝からいい気分になったので、あのCMは嘘じゃなかったことがわかってちょっと疑ってたのを反省しています。オーツカセーヤクさん、疑っててごめんなさい。
「正解!よく予習しているね」
「先生!次の問題もわかります!」
「よく予習してきてえらいね。でも、順番だからね。みんなに平等な機会を与えなきゃね」
始まりました。先生がこの言葉を言う時の意味を私はよくわかっています。いわゆる"我慢しなさい"と同じ意味です。私の親もよく使います。二重の意味で怒りたくなっちゃいます。だってそうでしょう?私だって我慢ぐらいできるのです。どんなに授業がつまらなくても、出会った素敵な本を読まずに先生の話をを聞くし、給食だって大好きな野菜スープの大きいおかずもみんなのことを考えておかわりは1回しかしないのです。私は我慢ができる子なのです。でも先生はまるで私に我慢する力がないように言ってきます。失礼しちゃうのです。それに直接"我慢しなさい"って言ってこないのも酷い話です。まるで私に"我慢しなさい"って言ったら駄々をこねるから、遠回しに伝えている、っていう風に思えます。でも大人たちは「そんな風に思ってないよ」って言ってくるのです。絶対そんな風に思っているのにそんな風に思っていないっていうなんて、絶対に嘘だともうのです。やっぱり納得がいきません。でも私は賢く聡い子なのでその気持ちは大好きな算数の先生には言わないのです。ほら、我慢できるでしょう?
私の学校では教える先生が科目ごとに違います。今は算数でこの先生は馬場先生。いつも笑顔で優しく、暖かい時の太陽みたいな人です。怒ったところを見たことがありません。ちゃんと私たちの話も聞いてくれて、授業でもわからないことを丁寧に教えてくれます。私は先生が大好きなので、算数の授業のたびに馬場先生がクラスの生徒だったら良かったのにと思います。でも残念ながらそれは違うのです。馬場先生は人気者だからみんなの『がくねんしゅにん』というやつなのです。
「じゃぁこの問題については…」
先生が私の次の人の米澤さんを当てようとした時、チャイムが鳴ってしまいました。
「あら、もうこんな時間なのね。ちょっと最初にお喋りしすぎちゃったかな」
馬場先生はいつも授業の最中におかしなお話をしてくれます。なんでも雑学というのが好きらしいのです。でも私にはわかります。雑学が好きなのはそうだと思いますが何よりそれを話してみんながびっくりしたり喜んでいる顔を見るのが馬場先生は好きなのです。みんなそのお話が大好きなので、いつ話されてもいいように授業をよく聞きます。先生は子供の扱いが上手です。私はあえて先生に上手く扱われています。
4時間目の授業が終わって給食の時間になると、給食当番はみんなの給食を運ぶために準備をします。私は今週は当番じゃないので教室でお留守番です。今日は担任の先生が風邪でお休みというので、給食の間はその間みんなでご飯を食べるために机を向かい合わせにして到着を待ちます。私はみんなでおしゃべりするこの時間が大好きです。
「夏休みもうすぐだね。柚月ちゃんちは何するの?」
「うちは旅行に行くって言ってた!北海道だって」
「えぇー!いいなぁ。北海道って涼しいんでしょ?」
「行ったことないからわからないけど北にあるから涼しいんだと思う」
社会科の授業で習いました。地球は北に行くほど寒くなるというのです。その理論でいくならば、北海道には"北"という字が入っているので気温が低いのは小学生でもわかることなのです。
「お土産買ってきてね」
「もちろん。みんなに配れるようにするね」
私の中で決まっている夏休みの予定は今のところ北海道の家族旅行だけです。4泊5日で短いのが難点なのです。だからお母さんに 『夏休みは30日以上もあるのだから北海道も30日いればずっと涼しい思いができるんじゃない?』って言ってみました。我ながらなんという名案かしら、大人も気づかないような暑い日過ごし方を思いついてしまうなんて、私は天才なのかもしれないと思っていたのですが驚くべきことに大人の夏休みは30日も無いというのです。びっくりです。
ガララッ!
突然扉がイライラしている人がやりそうな勢いで開きました。その音と勢いに給食当番の到着を待っている間、みんなでお喋りしてザワザワしていた教室が、まるでプールの水の中に入ったようにシンとなっちゃったのです。でもそれも納得です。入ってきた先生が土橋先生だったのです。
「はい。静かにして。当番を待っていると言っても騒いでいいわけじゃないからな。ほら、そこの机はちゃんとしっかりくっつけなさい。乱れてだらしない」
土橋先生はいつも怒っているような人です。まるで嘘がバレないように必死な人みたいに。いつもトゲトゲしていて、怒った土橋先生がいると空気が私を叩いてくるみたいに居心地が悪くなります。一体全体何をそんなに四六時中起こることがあるのだろうと不思議に思って色々考えたりもしてみたのですが全くわかりませんでした。正直に言ってしまえば分かりたくもありません。だって楽しいはずの給食の時間をつまらなくしちゃう大人なんて、誰も友達になりたくなんてないと思うからです。
シーンと静まり返った教室が土橋先生へのみんなの印象を物語っているようでした。そんな中沈黙を破ったのもやっぱり土橋先生です。まるでひっくり返ったセミがいきなり鳴き出すみたいでした。
「今日は君たちの担任の先生が休みだから、代わりに私が来ました。食事中にふざけたりはやめてくださいね。しっかりと叱りますのでそのつもりで」
わざわざこんなことを言わなくてもいいのにと思いました。みんなのことを支配するように言葉で押さえつけていると美味しい給食もせっかく楽しかった気分も台無しです。大好きな馬場先生の授業の後だったから尚更。さらに残念なことにそういう普段とは違ってちょっと嫌な空気になる時に限って良くないことというのは重なるものです。まるで雨の日に学校に行ったら風で傘が壊れた上に、必要だった教科書と宿題を家に忘れるみたいなことです。
シーンと静まり返った教室の後ろの扉が勢いよく開きました。家のドアのように勢いを弱まらせてくれる不思議な装置は学校にはないので、勢いに比例して大きな音が立ちます。
ガララガタン!!
「お待たせー!…え?」
先頭で入ってきたのは雨宮くんです。いつも明るくて元気ですが、ちょっとお調子者。よく悪ふざけをして先生に叱られますが悪い子じゃないのです。人に迷惑をかけたらちゃんと謝っているし、悪ふざけもみんなを笑わせようと頑張っているのが伝わります。何より彼は給食の時間が好きみたいで、昼食どきは普段よりも一段と元気が出て明るくなります。さらに今日の献立には彼の大好きな揚げパンがあったのです。我先にと給食衣服を着て準備していました。きっと余った揚げパンをじゃんけんでもぎ取ることも考えていたと思います。
いつもならそれで良かったのですが今日は運の悪いことに土橋先生が教室で待ち構えていることを知らなかったのです。ひっくり返ったセミが勢いよく鳴き出しました。
「おい!お前!危ないだろ!何考えてるんだ!」
「え、あ、ご、ごめんなさい」
勢いよく開けた時の元気がみるみるなくなっていくのが分かりました。それに伴って体もオジギソウみたいに萎んでいくみたいでした。
「いつもこんな風に入ってくるのか?担任の先生は怒らなかったのか?」
「…いえ…」
「何やってるんだ全く…顔覚えたからな?名前は?担任の先生に報告します」
「…雨宮です…」
私は賢いのでこういう『お前は他の人に迷惑をかけていると伝えるからな』という言い方で相手を追い込むのはずるい大人がやることだとすぐに分かりました。『顔覚えたからな』なんて、先生が生徒に言っていい脅し文句じゃありません。なんで大人気ないのでしょう。私はあまりにも乱暴な土橋先生の物言いに酷く腹が立ちました。きっとみんなもそうかもしれません。
まるで水の中にいるかのような息苦しさと粘っこい空気になってしまいました。人が怒られている時ってどうしてこうも嫌な雰囲気になってしまうのでしょうか。考えれば考えるほどやっぱり理解できません。きっとお腹が空いているせいもあると思います。給食の配膳に合わせてできる教室の行列はいつもと違ってとても静かです。給食当番がご飯やおかずを装ってみんなに配ります。こんな嫌な時は大体お腹が空いているからです。きっとご飯を食べれば気分も良くなってくると思います。
今日の献立は揚げパン、ABCとアルファベットの形をしたマカロニが入っている野菜スープ、白身魚の切り身、納豆、牛乳です。食べれるのですが、私はあまり好きなものがありません。特に納豆はあのネバネバと豆の微妙な柔らかさと風味が全ての食べ物の良さをかき消してしまう気がして苦手です。今日の給食の献立を考えた大人に対してちょっとお叱りをしたい気分です。
流石に食べている間ずっと校長先生の話を聞いているみたいに静かにする必要はありませんでしたが、それでもやっぱりいつもよりは静かめです。担任の先生の風邪が早く治ってくれることを今日心の底から思いました。
お昼ご飯の時間もそろそろ終わりに近づこうとしていました。みんなは好きなものを最後に残しておきたいタイプで、私も普段は同じなのですが納豆はやっぱり嫌いなので食べるのを後回しにしました。食べれなくはないのですが、それでも食べようとするならそれなりの覚悟が必要ですし、覚悟をするには時間がいります。水泳の授業で冷たいシャワーを浴びる時みたいに。
ふと隣の席の縁ちゃんを見ると同じく納豆を残していました。入れ物を見て怪訝な顔をしています。可愛い子にはあまり似合いません。
「縁ちゃん納豆嫌いなの?」
「うん。美味しくないんだもん」
「わかる。ネバネバとか嫌だよね」
「ねー!豆が変に柔らかいのも嫌。せめて枝豆ぐらい固くなきゃ」
「ぷよぷよした食感がね」
「パパはいつも朝に食べてるけど毎日信じられない気持ち」
「うちもパパが毎日食べてる!大人になると好きになるのかな?」
「えー私たち絶対好きにならないよね!」
友達と好きなものを話す時は盛り上がったりするのは当たり前のことです。でも嫌いな食べものを話す時でも二人の嫌いなものが同じだったら話が弾みます。不思議です。話しているものは嫌いなのにその話を仲のいい子とするのは嫌いじゃないのです。
そんなことを思っているとお昼ご飯の終わりのチャイムが鳴りました。このチャイムが鳴ったら5分後に片付けが始まる合図です。つまり、残って食べ物は急いで食べ切るか残すかのどちらかになります。お米一粒に七人の神様がいるから残しちゃダメよ、とお母さんに教えられたとき、神様がいるなら噛み砕いちゃ可哀想じゃないの?思いました。でも残しちゃいけないのは賛成です。だからよっぽど嫌いな食べ物じゃない限りはちゃんと食べるようにしています。納豆も同じです。でも縁ちゃんは残そうとしたのかもしれません。それも仕方がないことだと思います。だって多くの人に愛される食べ物なんてバニラアイスぐらいしか思い浮かばないのです。そのバニラアイスですら私の親戚のおじさんはあまり好きじゃないから進んで食べたくないと言っています。納豆を食べたくない人だっているのだって当然のことなのです。そんな私の考えを見抜いたように土橋先生がクラス全体に号令をかけました。
「はい、ちゃんと時間通りに片付けてくださいね。食べ物は残さないでください。作ってくれた人に失礼なので」
「……」
"残したりしたら許さないからな"と言いたげな歩き方で教室を回り始めました。 言い方はやっぱり好きじゃないですが、言っていることがすごく間違っているわけじゃないので複雑な気持ちです。良いところと悪いところを両方持っている時、どっちを見れば良いのでしょうか?そんなことを考えながら欲を向いてみると縁ちゃんはとても不安そうな顔をしていました。残そうと考えていたところを土橋先生に釘を刺されたので、ぎくりとしちゃったのかもしれません。私にもその気持ちはとてもよくわかります。夜中に目が覚めちゃってちょっと甘いものが食べたくなったから、見つからないように冷蔵庫にあるプリンを食べちゃった次の日の朝に、お母さんがお父さんに「冷蔵庫のプリン知らない?」と聞いている時とかと同じ気持ちだと思うのです。私が食べたってバレたら怒られる、とドキドキしている時の不安は心臓に悪いです。だから私は縁ちゃんに小さい声で聞いてみました。
「大丈夫?納豆嫌いなら食べてあげよっか?」
「本当?残して先生に怒られるのもいやだけど、同じぐらい納豆を食べるのも嫌だったからすごく困っちゃって」
私が代わりに食べてあげるという提案をすると縁ちゃんはすごく安心したような顔になりました。こういう時は助け合いです。私だってたまに教科書を忘れちゃった時、隣の席の友達に見せてもらったりするから。
「美味しくないもんね」
「うん。すっごく美味しくない」
「じゃぁ縁ちゃん納豆もらっちゃうね」
「うん。ありがとう」
そう言って二人でくすくすと笑いました。でも世の中というのは本当に不思議なもので、人が楽しそうに笑っているのを良しとせず、逆に困らせてやろうという意地悪な大人がいるのです。
「ほらそこ、時間になったのだから早く食べて片付けなさい」
「っ!!」
いつの間にか土橋先生が私たちの後ろに立っていました。大人はみんな瞬間移動が使えるのでしょうか?さっきまで教室の反対に居たと思ったのにもうすぐに後ろにいるなんて。とてもびっくりしました。それはそれは、もう動かないと思っていた蝉がいきなり動き出した時みたいに。
「何やってるの?」
「縁ちゃんから納豆を貰おうとしていたんです」
「なんで?縁さんのでしょ?あなたの食べ物なんだからあげちゃだめだよ」
「ごめんなさい。納豆が苦手なので柚月ちゃんにあげようと思っていました」
「だめ。苦手でもちゃんと食べなさい」
先生の顔から色が消えていくみたいでした。なんとなくわかります。これは良くない兆候です。いつの間にか教室は静かになって、みんな私たちのことを見ていました。
「先生。私納豆が大好きなので縁ちゃんのが欲しくてお願いしていました」
納豆が大好きというのは嘘ですが、それでも少なくとも縁ちゃんよりは食べることができます。そうすれば納豆が残ることにはならないので残すなんてことにはならないはずです。
「だめ。給食はあなた方のお父さんお母さんが働いたお金で作っているんだよ。お金を払いもせず、人のものが欲しいなんていうのはわがままだ。縁さんがちゃんと食べなさい」
そう言って土橋先生はその場に根を張り巡らせたように動かなくなりました。食べるまで見張りをするつもりなのでしょうか。まるで私たちがいけないことをしているみたいです。確かに給食費を担任の先生に渡したりします。そのお金が給食を食べるのに必要なんだというのもわかります。きっと土橋先生が言っていることも正しいんだと思います。でも私は納得がいきませんでした。それは苦手なものを無理やり食べさせなければいけないぐらい正しいものなのでしょうか?
「ほら、後からづけする給食当番の子が困っているでしょ」
「…ごめんなさい」
教室では私たち二人以外の人はみんな片付け終わっていました。その光景がまるで、私たち二人以外はみんな土橋先生の味方、と言っているようにも感じられたのか、縁ちゃんはか細く謝りました。消え入りそうな声で謝る縁ちゃんをみて私はいても立ってもいられなくなりました。お父さんとお母さんはよく言います。いじめている人には立ち向かわないといけないよ、いじめられている人がいて、その子に助けが必要だと思ったら薫が助けてあげるんだよと。私はその通りだと思います。でもみんながみんな相手に立ち向かえるわけじゃないのです。今この教室では先生が生徒をいじめています。なので私は立ち向かわないといけないと思いました。お父さんとお母さんにそう言われたからじゃありません。私自身が私を嫌いになりたくなかったからです。
「土橋先生。縁ちゃんは納豆が苦手で私は納豆が大好きです。私が食べれば納豆も残らないので勿体無くないです」
「そういう問題じゃない。好き嫌いをすることがいけないんだ」
「食べるのが苦手だから大好きな私が食べた方が納豆も美味しく食べてもらって喜ぶと思います」
「作った人はそう思っていないかもしれないだろう?みんなに食べてもらいたくて作ったのに、それを残した子がいるなんて残念に思うはずだ。柚月さんだって自分が家庭科の授業で作った料理が『嫌いだから食べれない』と言われたら嫌な気持ちになるだろ?」
さすが先生です。なかなか強い反撃だと思います。ですが私は諦めません。国語の成績はクラスで1番良いのです。
「でも、でも私は嫌いな食べ物を無理やり食べている姿を見る方が、なんというか、辛いです!」
「給食を作った人は残念に思うかもしれない」
「残念に思わないかもしれないです。美味しく食べてくれた方が嬉しいと思います。お母さんもよくそう言います」
「それは柚月さんの家の話だ。ここは学校だから関係ない」
ああいえばこういうというのはこのことを言うのでしょうか?私の渾身の一撃一撃を土橋先生は全て片手で弾いてしまいます。らちがあきません。でも少しだけ先生もイライラしているようでした。
「ほら、柚月さんもまだ給食残っているんだから早く食べなさい。片付けできないだろ」
"柚月さんはもう黙っていなさい"、そう言われた気がしました。馬場先生が言う『みんな平等にね』が"我慢してね"というのと同じように直接は言わないけど『わがままを言うな』と似たようなものを感じました。馬場先生と違うのは、土橋先生の目は私ではなく縁ちゃんい向いたままだということです。馬場先生が"わがまま"を言っても目を見て話してくれます。なんだかひどく子供扱いされているようで、それが私のトーソーシン?に火をつけました。それと同時に給食の食器や鍋を運ぶ合図のチャイムがなりました。
「ほら、チャイムなっちゃったじゃないか。食べ切るまで片付けちゃだめだからな。昼休みでも5時間目でも、6時間目でも。あとでチェックしにくるからな。ほら、給食当番の人も早く食器を返してきなさい」
土橋先生は根っこが切れたのか嫌がらせをする人が言いそうな言葉を残して教室から出て行っちゃいました。なんて意地悪なんでしょうか。みんなの楽しい給食の時間を台無しにしてなお、思いっきり遊ぶためのお昼時間も全て奪っていくなんて!それと同時に私は自分の無力さに悔しさが込み上げてきました。土橋先生を言い負かす気満々だったのに。結局「給食を残すな」という1番の始まりを変えることができませんでした。鼻の奥がツンと痛くなって、『あぁ、泣いちゃうかもしれない』と思ってさらに悔しくなりました。給食当番の人たちもみんな食器を返すためにいなくなっちゃいました。
「柚月ちゃん、ありがとうね」
「え?」
縁ちゃんが私にお礼を言ってきました。私はなんで自分がお礼を言われているかわかりませんでした。だって私は土橋先生を納得させることができなかったのです。
「嬉しかったの。縁ちゃんが何も行ってくれなかったら私はひとりぼっちだったから。多分すぐに泣いちゃってたと思う」
「でも私、結局土橋先生が『残していい』と言ってくれるように話せなかったよ」
「それでも!お昼休みも5時間目も、6時間目もこの納豆と睨めっこするかもしれないっていう嫌な気持ちよりも、柚月ちゃんが味方してくれた方が嬉しいの!」
『あぁ、泣いちゃうかもしれない』が本当になっちゃいました。でもさっきまで思っていたのは悔しくて泣いちゃうことでしたが今となっては、報われた気持ちの方でした。まるで、濁った嫌な感情が器いっぱいになったあと、綺麗で澄んだ感情がそこに入ってきて濁った感情を器から溢れさせてくれているようにも感じたのです。
「柚月ちゃんが泣いちゃうと私も泣いちゃうよ!」
泣いちゃいそうと言いつつ既に泣いているのは縁ちゃんらしいなとも思いました。人が悲しい姿を見て涙を流せるなんて、縁ちゃんも相当心が綺麗な人なんだと思います。
「ごめんね。すぐ泣き止むから!」
そうやって泣きながら二人してくすくすと笑いました。結局大人には勝てなかったけれど、それでも私は戦って良かったと、心の底から思ったのです。ひょっとしたらお父さんとお母さんはこのことを教えようとしてくれていたのかもしれません。今日あった出来事はちゃんと話しておこうと心に決めました。きっと二人ともちゃんと戦った私を褒めてくれるはずです。
ようやく涙と笑いが落ち着いてきたので、今目の前にやっぱり残ってしまっている納豆について考えることにしました。
「どうしよっか、この納豆。土橋先生はあとで戻ってくるって言ってたからやっぱり食べないといけないのかな?」
「えー私は今でもやっぱり食べなくて良いと思うな。やっぱりおかしいもん。嫌いなものを食べたって美味しくない、って思うに決まってるし、美味しくないって言われながら、それでもイヤイヤ食べてもらっていると思う方が嫌じゃない?」
「うーん。でもそうだよね。それに嫌いなものを無理やり食べさせられたらもっと嫌いになっちゃうし」
「でしょ?だから食べないで良いと思う」
「また怒られちゃうかなぁ」
「そのときはまた私が戦ってあげる!ちょっと昼休みがもったいなくなっちゃうけれど、食べないままでいれば、他の先生がそれを見て5時間目も、6時間目も生徒に給食と食べさせている!って騒いでくれるかもしれないし」
「ちょっと緊張するなぁ」
ちょっとずるい大人みたいで本当は嫌だったのですが、土橋先生がいやらしい言い方で私たちをいじめてくるのですから、私もお返ししてやろうと思いました。
「あら、本当だ。まだ食べようとしてる」
「でしょ!土橋先生が本当にそう言ったんだって」
「「???」」
教室の後ろの扉から雨宮くんが馬場先生を連れて入ってきました。私と縁ちゃんは『なんで馬場先生がここに?』と、不思議な気持ちでいっぱいで顔を見合わせてしまいました。そんな漫画やアニメでしかなさそうな顔の見合わせに馬場先生はクスリと笑って、雨宮くんに『ありがとうね。あとは先生から話しておくから雨宮くんも遊んでおいで』と言って何か言いたそうな雨宮くんが何も言わずに廊下の階段を降りて行ってから教室に残った私たちに説明してくれました。
「雨宮くんから色々聞いたの。土橋先生と柚月さんが言い合いになって険悪な感じになっちゃって。それだけなら仕方ないかなと思ったんだけど、納豆を食べ切るまで昼休みなし、って言われたってね。まさか本当だったなんて思わなかったんだけど、一応様子を見てみようと思ってここにきたの」
「柚月ちゃん悪くないんです。私の味方してくれたんです」
「わかっているよ。柚月さんは意味もなく先生に怒ったりしない子だってわかっているから」
やっぱり馬場先生は素敵な先生です。頭ごなしに否定したり、みんなが怖がる土橋先生の味方ばかりしたりしません。そう思っていたら馬場先生がちょっとイタズラを思いついちゃったみたいな顔をしました。
「それで、二人は昼休みも納豆食べたい?」
馬場先生もちょっといじわるだったりするみたいです。納豆が食べたくなくて土橋先生と言い合いしたのに、まだ食べたいと思うわけがありません。なので私と縁ちゃんは口を揃えて言いました。
「「全然食べたくないです!」」
「でも、捨てるのはもったいないというのは土橋先生の言う通りだと思うので縁ちゃんの分は私が食べます」
それを聞いて馬場先生は大笑いしました。
「そうだよね。ちゃんと考えられて偉いね。縁さんも。でもね、別に残すことは必ずしも悪いこととは限らないのよ。納豆が嫌いだから食べないでゴミ箱に捨てちゃえ、というのは悪いことだと二人はわかるでしょう?」
「はい。わかります」
「私もわかります」
「うん。それで良いの。全ての食べ物を好きになることができたら素敵なことだけれど、それは難しいの。大人になっても難しいんだから。私にだって嫌いな食べ物はあるのよ?子供の舌は敏感だから尚更好き嫌いが激しく別れるなんて言うのは当たり前。だから無理やり食べようとするよりも、より美味しく食べてくれる人を探して、食べてもらった方がいいと思わない?そしたら食べ物も残らないし、美味しそうに食べてもらえるから誰も損しないでしょ?」
私は馬場先生の意見には賛成です。私が考えていたバニラアイス理論にとてもよく似ています。
「そう思って、私も納豆は少しなら食べられるから、縁ちゃんからもらおうとしたのに、土橋先生が止めてきたんです」
「そうだったのね。とても偉いと思うわ。だから一つ提案をしてあげるね」
「提案?」
「今二人の納豆を先生が一時的に預かります。で、職員室にある冷蔵庫に置いといてあげる」
「今じゃなくて放課後に食べましょうっていうこと?」
「惜しい。半分正解かな」
私は少しわかりませんでした。今食べるのか放課後に食べるのかの違いだと思っていたのですが、馬場先生が言いたいことはそうじゃないみたいです。
「二人のお父さんとお母さんは納豆が好きかな?」
「「!!」」
先生が言いたいことがわかりました。先生が言いたいことはきっと「今この場にいる人でより美味しく食べてくれる人に食べてもらう」ではなく、「本当に納豆が好きな人に食べてもらう」ということだったのです。
「はい、お父さんが納豆大好きです!」
「うちのお父さんも大好きです!」
「そう。良かった。そしたら二人がまだ食べていないその納豆を持って帰ってお父さんに食べてもらうのはどうかな?そうすれば美味しく食べてくれる人が、ちゃんと美味しく食べてくれるから、誰が見ても勿体なくないでしょう?」
馬場先生はすごい先生です。私はひょっとしたら放課後までも犠牲にして土橋先生に反抗するしかないと思っていたのですが、馬場先生は昼休みも5時間目の授業も6時間目の授業もちゃんと受けられるような提案をしてくれました。まるでもう絶体絶命のピンチになった時にひょいと現れてみんなを救っていく助っ人のようでした。一体どうやったらそんな綺麗な解決方法が思い浮かぶのでしょうか?秘訣は納豆なのでしょうか?
私と縁ちゃんに断る理由はありません。私たちのお父さんは二人とも納豆が大好きです。どれくらい大好きかというと毎朝欠かさずに食べるぐらいに。
「先生、ぜひそうしたいです」
「私も!」
「ふふ、はい。じゃぁこの納豆は私が預かるから二人も遊んでおいで。あと、このことは内緒にするんだよ?」
「あ、でも先生。土橋先生はあとでちゃんと食べているか見にくるからって…」
「大丈夫よ。私から土橋先生に直接『納豆はちゃんと柚月さんと縁さんが放課後に食べますよ』って言っておくから。それにあの先生も昼休みには別の用事があるみたいだし。5時間目と6時間目は別のクラスで理科の授業だから本当には見に来ないんじゃないかな?」
「大人特有の脅し?」
「特有って、まったくもうなぁに?それ。まるでいつも先生が脅しているみたいじゃない」
「違うの先生、そう言う意味じゃなくって…」
「ふふ、冗談よ。言うだけで本当にそうするつもりはないもののことって言いたいのよね。わかってるから。ほら、昼休みの時間なくなっちゃうよ?午後も授業があるから今のうちに思いっきり遊んでおいで」
そう言って馬場先生は私たちから給食のお盆と食器と納豆を預かってそのまま教室を出て行きました。私たちにちょっとだけ笑顔を向けて。やっぱり私の受けた印象は間違っていないと思いました。馬場先生はピンチの時に救ってくれる助っ人です。人を助けておいて名乗らないでいく侍みたいです。お父さんがよくそういうドラマを見ています。でも、そういえば給食のお盆や食器はどうするんでしょうか?
「良かったね縁ちゃん。お昼休み納豆と睨めっこしなくてすみそうだよ!」
「うん、本当柚月ちゃんと馬場先生にありがとうって言いたい」
「私はいいよ、もうさっき言ってもらったから」
「あとは雨宮くんもかな」
「雨宮くん?」
「馬場先生に言ってくれたのって雨宮くんだから。馬場先生に言ってくれなかったら私たち今頃まだ納豆と睨めっこだったかもしれない」
「確かにそうだね!昼休み終わったあとでお礼言っておかないとね」
「柚月ちゃんはお昼休みどうするの?」
「うーん。みんな多分校庭でドッヂボールとかしてるよね。でも今から混ざるのもなんか気まずい気がするから図書室にいこうかな」
「私も一緒に行っていい?」
「もちろん、一緒にミッケやろうよ!」
「うん!」
図書室に入ってミッケがある場所にいきました。ミッケは人気なのでよくみんなが休み時間に遊んでいることが多いです。あまりにも人気だからもしかしたらもう昼休みの間はないのかも?と少しだけ心配していたのですがまだ残っていました。
「まだあって良かったね」
「ね、しかもこれまだ私やったことないやつだ」
「新しく入ったのかな?」
「人気だったからずっと誰かが借りてて遊べなかったんだけど運が良かったのも」
「その隅っこの机にいこ!…あれ?雨宮くん?」
ミッケを見つけて空いている席に移動しようとして、途中で雨宮くんを見つけました。珍しいことでした。雨宮くんはいつも昼休みには校庭でドッヂボールをしているかサッカーをしているからです。図書室にいる雨宮くんは本当に珍しいので一瞬本物かどうか疑っちゃいました。オロナミンCを飲んで本当に元気になるのかどうかを疑っていた時みたいに。
「あ、きた!…ミッケやろうとしてるの?」
「うん。雨宮くんはドッヂボールやらないの?」
「ね、てっきり校庭で遊んでるかと思った」
「いや、二人に謝りたくて…」
「「???」」
謝る?雨宮くんが私たちに?よくわかりませんでした。雨宮くんと馬場先生が教室に入ってきた時と同じように私と縁ちゃんは顔を見合わせました。「謝るってなんで?」
「なにかしたっけ?雨宮くん」
「いや、土橋先生があんなにイライラしたのって多分俺がドアを思いっきり開けてうるさくしたからだよね?」
「え?そうなの?」
「違うの?」
「さぁ?土橋先生に聞いてみないとわからないと思うけど私は今日はもう土橋先生に会いたくないな」
「私も」
「なんだ、俺の勘違いか。良かった。でも俺も昼休みにも食べろって言うのはおかしいと思ったんだ。でもあの場で言えなくて…」
「私たちに謝るためにわざわざ待ってたの?」
「うん。よく二人とも図書室に行っているの見かけるから。ここにならいるかもって思ったら本当にきた。」
「あ、私たちも雨宮くんにお礼言いたくて」
「お礼?なんの?」
「馬場先生を呼んでくれたの雨宮くんでしょ?」
「え、あ、うん。俺のせいで二人が怒られちゃってると思ったから」
「でも呼んでくれたおかげで昼休みも取れるようになったよ」
「え、二人とも納豆食べきったの?」
「えっとね、それは秘密かな?」
「うん、秘密だね」
「なんで?教えてよ気になる!」
「しー!大声出しちゃだめだって!」
「あ…ごめん」
雨宮くんは元気いっぱいのやんちゃやさんなのですぐに大きな声になってしまいます。でもそれが雨宮くんのいいところなのかもしれません。
「すごい気になるんだけど」
「どうする縁ちゃん?教えてあげる?」
「でも先生にも秘密だよって言われたし」
「いいじゃん!誰にも言わないから!」
雨宮くんには感謝しています。でもそれは馬場先生も同じです。雨宮くんには教えて欲しいと言われましたが、馬場先生には秘密だよと言われました。秘密というのは他の人にしゃべってはいけないことを隠すためのものです。しゃべってしまったら秘密は秘密にならないのです。そしてこういうどっちも反対のことでぶつかってしまうようなことを矛盾というのです。どっちにも感謝しているのですが、どっちの味方もできないというのはもどかしいのです。だから私は縁ちゃんと話して決めました。今は昼休み。失った給食の楽しい時間を今は取り戻すことが優先だと思いました。馬場先生もきっとそのつもりでお昼休みが取れるように助けてくれたんだと思います。だから今1番楽しくできることで決めることにしました。
「じゃぁミッケで私たちに勝ったらいいよ!」
「それでいいよ!俺得意だから」
「私たちも得意だもんね」
「うん、負けたことないもん」
「待って、俺が二人に負けたらどうなるの?」
そこまでは決めていませんでした。でもよくよく考えると私たちは負けたら秘密を雨宮くんにお話ししないといけないのに、雨宮くんが負けても何もしないのは不公平です。
「あ、じゃぁ次の給食で納豆が出たら雨宮くんが私たちの分の納豆も食べて!」
「げぇ!すっげーいやだそれ!俺も納豆嫌いなんだ」
「え?じゃぁ今日の納豆はどうしたの?」
「えっと…飯田くんに食べてもらった」
「「ずるい!!」」
飯田くんはクラスでも大食いの子です。私は飯田くんが好き嫌いをしているのをみたことがありません。そんなこの席の隣なんてずるいです。私たちはそれができなくて土橋先生と戦ったのに!出席番号順なんていう席順は今すぐ辞めて席替えするように明日担任の先生に言うことを心の中で密かに決めました。
「私たちが勝ったら私たちの納豆も全部食べて!じゃないとずるい!」
「ずるい!私それで今日土橋先生に怒られたんだから!」
「ぐ…わかった!わかったから!俺が負けたらだろ!?」
やいのやいの言いながらちょっとだけ声が大きくなって図書室にいる先生に静かにするように言われて、それから雨宮くんと勝負をしました。
結果は秘密ですが、雨宮くんはお昼休みの後、教室の後ろの壁に貼ってある今月の献立表を熱心に見つめていました。私と縁ちゃんは次、給食に納豆が出てきたとしても今日みたいな思いをする心配はなさそうです。ふふ。
終わり。
